ジャノメ食堂へようこそ!第5話 私は・・・(6)
アケは、アズキに駆け寄ろうとする。
しかし、それよりも早く武士達が浅黒の武士の後ろから飛び出し、アズキを囲んで刀を抜いて倒れるアズキの喉元と胴体に突きつける。
アケは、足を止める。
「アズキ……」
アケは、声を震わせ、呼びかける。
「ぷぎい」
アズキの口から弱々しい鳴き声が漏れる。
目が開いてアケをじっと見る。
アケは、胸元を押さえ、安堵する。
「焦りましたよ」
浅黒の武士は、ふうっと息を吐く。
その顔には脂汗の玉が幾つも浮かんでます。
「まったく反応出来ませんでした」
浅黒の武士は、恐れと嘲りの目をアズキに向ける。
鮮血に染まるアズキの身体には幾つもの黒く焦げた穴が開いていた。
「まだ生きてるとは……とんでもない化け物ですね」
浅黒の武士が両手を上げる。
背の高い草むらが蠢き、三人の緑色の甲冑を着た武士達が姿を現す。
彼らの手には刀の代わりに長い鉄の筒のような物が握られていた。
アケは、彼らの持つ鉄筒に見覚えがあった。
「鉄砲」
「よくご存知で」
浅黒の武士はほくそ笑む。
鉄砲を持った武士達は、ゆっくりとした足取りでこちらにやってきて浅黒の武士の前に立つと鉄砲を構える。
「化け物達の巣に来るのに刀だけで来る訳がないでしょう」
鉄砲の銃口がアケを睨むように向けられる。
アケの心に冷たいものが走る。
「取引です」
浅黒の武士がアズキを指差す。
「あの猪を助けたかったら我々と一緒に黒狼の元に行きましょう。そして……」
浅黒の武士は、口の端を釣り上げる。
「黒狼を殺しましょう」
アケの表情が固まる。
家精の表情に驚愕が浮かぶ。
アズキは、唸り、身体を起こそうとするも武士達がアズキの銃傷に刀を突き刺し、それを制する。
アズキは、口から血を吐き苦鳴を上げる。
「アズキ!」
アケは、悲鳴を上げる。
「やめて!」
アケは、浅黒の武士に懇願する。
「アズキを傷つけないで!」
「なら、私の言うことを聞いてください」
浅黒の武士は冷徹に目を細めてアケを睨む。
「貴方の使命を果たしてください」
使命……。
アケは、唇を噛み締める。
「大臣……貴方のお父上様もそれを願ってます」
"黒狼を始末しろ"
父の言葉が蘇り、アケの脳裏に呪いのように駆け巡る。
アケは、顔を伏せ、前掛けを握りしめる。
浅黒の武士は、嘲るように笑ってアケを見る。
アズキが頭に震える目でアケを見る。
家精が不安げにアケに目を向ける。
「……です」
アケは、か細く声を出す。
浅黒の武士は、顔を顰める。
「いや……です」
アケは、声を絞り出す。
「私は……ここが……猫の額が大好きです」
アケの声が、身体が震える。
「優しいみんなが、温かいみんなが大好きです……だから」
アケは、涙に濡れた蛇の目を浅黒の武士に向ける。
「だから私はやりません!」
アケは、叫ぶ。
はっきりと。
強い意志を持って。
アズキの目が喜ぶように輝く。
家精の顔が綻ぶ。
「だからもう止めてください……お父上様にも私のことはお忘れくださいとお伝えください」
アケは、必死に懇願する。
浅黒の武士から表情が消える。
冷えた目でアケを見て、ふうっと小さく息を吐く。
「分かりました」
浅黒の武士が発した言葉にアケは驚く。
それは一瞬のこと。
浅黒の武士が右手を上げる。
一斉に鉄砲の激鉄が引かれる。
「せっかく使命が終わるまでは生きれたものを」
三つの銃口がアケを捉える。
アケの顔から血の気が引く。
「貴方の死体を奴の元に運ぶくらいまでは封印も持つでしょう」
浅黒の武士が手を上げる。
引き金に指が掛かる。
アズキが目を滾らせ、身体を起こそうとするも武士達の刀が足を、胴を突き刺し、動きを封じる。
家精は、両手を組んで祈るように口を動かす。
「死ね」
浅黒の武士は裂けるように笑う。
「化け物」
浅黒の武士の手が降りる。
引き金が一斉に引かれ、破裂音が朝焼けた空に響き渡る。
視力の秀でた蛇の目が銃口から発射され、熱を帯びて回転しながら飛び出すどんぐりのような弾丸を捉える。
しかし、それだけだ。
いくら目で捉えても身体が弾丸の速度に付いていけない。
死を前にしたアケの脳裏に記憶が巡る。
羨ましいくらい可愛くて明るいウグイス。
弟のようなオモチ。
人なっこく鼻を擦り付けてくるアズキ。
優雅で美しい家精。
料理を食べて喜んでくれた小鬼三兄弟、小粋なぬりかべ。
気品と威厳に溢れた金色の黒狼。
そして……。
アケは、目を閉じる。
あれだけ待ち望んでいた死がもうすぐ来る。
なのに今はただただ怖い。
ただただ生きたい。
(誰か……)
アケは、心の奥底で願った。
助けて……と。
その時だ。
土曜霊扉。
前掛けから覗く巾着が蛍のように光り、茶色の円が浮かび、複雑な紋様を描く。
開放。
地面が揺れる。
土が生茂る草ごと盛り上がり、壁となってアケの前に立つ。
放たれた弾丸が土の壁にめり込み、回転を止めてそのまま埋まる。
浅黒の武士に驚愕と戦慄が走る。
アケは、何が起きたか分からず呆然と目の前に現れた土の壁を見る。
『間に合ったようだな』
粋な張りのある男の声がお腹の辺りから聞こえた。
アケは、蛇の目を下に向ける。
前掛けから覗く蛍色に輝く巾着。
その表面に浮かぶのは複雑に描かれた茶色の円とボヤけるような小さな岩の顔の輪郭。
「ぬりかべ……さん?」
『おうよ』
幻のように浮かぶぬりかべの顔が笑う。
アケの表情に歓喜が浮かぶ。
『あいつが力を分けてくれな』
ぬりかべの顔が屋敷に向く。
屋敷の中で憔悴しながらもほっとした表情で笑う家精の姿が見える。
「家精……」
アケは、蛇の目を震わせる。
『おいらは、すぐ消える』
ぬりかべは、淡々と言う。
その言葉通り、巾着から発せられる蛍色の光りが弱まり、円が崩れていく。
『だが、もう大丈夫だ。間に合ったから』
間に合った?
アケは、怪訝な表情を浮かべる。
『……雲……ありがとうな』
ぬりかべは、口元に笑みを浮かべる。
『美味かったぜ』
そう言い残し、ぬりかべの姿は消え、同時に蛍色の光と円も消える。
土の壁が崩れる。
驚愕に震える浅黒の武士達の姿が見える。
「小癪な真似を……」
浅黒の武士は、憎々しげに唇を噛み締め、刀を抜く。
「小細工が出来ぬよう俺自ら仕留めてやる!」
殺意がアケにぶつかる。
アケは、巾着を握りしめ、後ずさる。
浅黒の武士は、地面を蹴り上げ、一蹴でアケとの距離を縮め、刀を振り上げる。
朝焼けに光る刀が蛇の目に飛び込む。
アケは、ぎゅっと巾着を握りしめる。
刀がアケに向かって振り下ろされる。
その時だ。
「月曜霊扉」
黄金の光が草原を走る。
「開放」
刹那。
浅黒の武士の身体を無数の黒い鎖が縛り上げる。
アケの蛇の目が大きく見開く。
浅黒の武士は、何が起きたか分からず、驚愕と恐怖に顔を引き攣らせたまま鎖に持ち上げられ、宙に浮かぶ。
黒い鎖が音を立てて蠢き、緑の甲冑に亀裂が走る。骨と内臓が軋み、激痛に悶え、血を吐き、刀を落とす。
他の武士達は、何が起きているのか理解出来ず、頭目が苦しみ、悶える姿を呆然と眺めていた。
「何をしている?」
草を踏み締める音と共に声が届く。
聞き覚えのある声。
アケは、声の方を向く。
眩いばかりの黄金の光が蛇の目に飛び込む。
吸い込まれるような長い黒髪、野生味のある美しい顔立ち、金色の刺繍で花の絵が描かれた黒い長衣、細く高い背、翳された右の手のひらに浮かぶ複雑な紋様の描かれた黄金の円、そこから伸びる黒い鎖。
そして月のように美しい黄金の双眸から放たれる斬り裂かれるような怒り。
彼だ。
彼が来てくれた。
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