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看取り人(19)

 看取り人の目が大きく開く。
 その頬がほんのりと赤く染まっている。
「・・・抱いたんですか?」
 看取り人の声が上ずる。
 宗介は、面白いものを見るように、力無く笑う。
「最高だったぜ」
 宗介の脳裏にアイとの初めての行為が蘇る。
 それは今まで抱いたどんな女性との行為よりも官能的で蕩けるものだった。
 それは肉体だけの快楽ではなく、心と心が繋がったからこそ起きる快楽と言えるのかも知れなかった。
「そして俺たちは恋人同士となった」
 息を痛々しく吐き出しながらもその時の輝かしい感情を思い出してか宗介は嬉しそうに言う。
「付き合ってからのアイは・・その・・なんだ・・・今まで以上に可愛かったよ」
 教育実習生であること、年上であること、そして身体的コンプレックスもあり、ずっと気を張っていたのだろう、それらの壁が全て無くなったアイは本当に年上かと思うほど可愛らしく、甘えん坊で、しかし、芯のある女性であった。
 宗介は、そんなアイの一つ一つが愛おしくて仕方なかった。
 2人は、週末になるとアイの運転する車でデートした。
行くのは大体が知ってる人がいないであろう県外だ。高速代やガソリン代は掛かるがアイは教育実習生、宗介は高校生、2人が一緒にいるのを知っている人に見られるのはまずい。だからといって平日の5日間会えないことすら中世の拷問のように辛く厳しい2人にとって週末に会わない、肌を重ねない発想はなかった。
「愛してるよ宗介」
 肌を重ね、行為を終えた後、アイは必ず耳元でそう囁いた。甘く、優しく、そして沁みるような愛情を込めて。
 その度に俺の心は喜びに震えた。
「愛してるよアイ」
 宗介も甘く、優しく、そして沁みるように言葉を掛けるとアイは嬉しそうに、そして美しい笑みを浮かべて宗介にキスをした。
 そしてアイは、教員資格を取得し、大学を卒業すると母校である高校の教師となった。公立の高校の教師になると言う進路もあったが、やはり身体のこと、そして彼女のように悩んでいる生徒に手を差し伸べたいと願う彼女にとって母校が一番、夢に近い場所であった。
 その1年後に宗介も高校を卒業し、日本でも屈指の大学にストレートで入学した。宗介の学力なら当然の結果であった。バスケでプロを目指すと言う選択肢もあったが実業団で拘束されるのも、海外に行くのも宗介の望む進路ではなかった。と、いうよりも大学だって宗介の本当の意味での望む進路ではなかった。
「俺の目標は経営のためのノウハウを身につける為だ」
 宗介は、短く息を切り裂き、声を掠れさせながらもゆっくりと話す。
「その為に難関大学に?壮大ですね」
 看取り人は、感心して舌を巻く。
「その頃からあの会社の構想が出来ていた訳ですか?」
 看取り人の問いに宗介は、力無く首を横に振って笑う。
「そんなんじゃない。アプリを楽しんでくれている君には悪いが会社になんて思い入れも何もない。起業できればそれがITだろうが、飲食店だろうが、なんだったら商店街の雑貨屋だって良かった」
 看取り人は、意味が分からず眉を顰める。
「では、何のために?起業なんて苦労を?」
 宗介は、キシッと空気が漏れるような音を立てて笑う。
「アイとずっと一緒にいる為に決まってるだろう」
 どんなに愛し合っても宗介とアイが法律的に婚姻を結べることはあり得ない。同棲し、内縁の妻としては一緒にはいられる。しかし、一般企業や国家公務員という職に付いた時、内縁の妻という肩書きは何かしらの障害となってアイにもう負う必要の無い傷を与えてしまうかもしれない。2人の安寧な生活を続ける為には人に雇われる、国の宮遣いになるという発想は抱かなかった。それならば自分で起業し、誰にも文句を言わせない環境を作るのが1番だ、と宗介は考えたのだ。
 そこまで聞いて看取り人は、唖然とする。
 なんて大きな愛なのだろう。
 たった1人の女性の為に人生を賭けた大きな道をこの男は作ろうとし、そして作ったのだ。
「・・・アイさんは幸せものですね」
 こんなにも大きな愛を与えてくれる人に出会えるなんてどれだけの確率なのだろう?
 しかし、宗介は首を力無く横に振った。
「不幸さ」
 宗介の言葉に看取り人は、大きく瞬きする。
「そんなこと・・・ある訳が・・」
「じゃあ、なんでアイはここにいない!」
 宗介の痛みのこもった言葉が部屋の中を走り、沈黙を作り出す。
 看取り人は、手が震え、パソコンを落としそうになる。
 宗介は、天井を見る。
 目頭から薄い涙が流れる。
「アイが俺と出会ったのは幸運なんかじゃない・・俺となんて・・俺となんて出会わなければ・・」
 きっとアイは、この世界にまだ入られたのだから。

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