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冷たい男 第8話 冷たい少年(3)

「まだ、答えは出ないのかな?」
 誰もいない静まり返った教室の中、担任の柔らかい声が清水ように流れる。
 冷たい少年は、担任と机を並べて向かい合うように座っていた。少年の机には筆記用具すら乗っていないが、担任の前には資料や筆記用具が所狭しと並べられている。冷たい少年のこれまでの成績や授業態度を記したものであったり、彼の偏差値で届くであろう大学のパンフレット、専門学校や就職先の資料などもあるのであろう。
 担任にじっと見られて冷たい少年は珍しく目を逸らす。
後ろめたいのもあるが単純に思春期の男子学生特有の綺麗な年上の女性に見られることによる心の隅をくすぐられるような感覚もあった。
 担任はどのように表現しても美人であった。
 少し茶色がかった髪を後ろで纏め、形の良いおでこが覗いている。鉛筆で描いたような一筋の整った鼻梁、少し厚みのある唇、一重だが大きな目。身体の線も細く、皺のないワイシャツにスラックスというシンプルな出立ちだがそれが担任の美しさを際立たせていた。
 美人と接するのに抵抗がある訳ではない。むしろ冷たい少年の近くには美人と呼ばれる類が多い。幼馴染の少女や元生徒会長がいい例だ。しかし、担任の美しさは2人とは少し違う。上手くいうことは出来ないが表現するなら2人になくて担任にあるもの。大人としての洗練された魅力であった。
 唯一、気になると言えば元々、色白だが今日はいつにも増して色が白いこと、それに髪の毛も水気がなくパサついているような印象がある。
 冷たい少年は、訝しんでいると担任がそれに気づいて眉を顰める。
「どうしたの?」
 担任に声をかけられ、冷たい少年は慌てて顔を反らす。
「い・・いえ、何でも」
 ほとんど言い訳のような口調で言う。
 担任は、小さく首を横に傾げるもそれ以上は気にせず、机には置いた資料を見る。
「また、成績が伸びてるわね。毎日、勉強してるの?」
「はいっそれなりに」
「塾か予備校は?」
「行ってません」
「そう」
 担任は、それ以上は聞かなかった。塾や予備校に関してはそれぞれの家庭事情もあるので「行ったほうがいい」なんて気軽に言えるものではない。ちなみに冷たい少年の家は裕福ではないが一人っ子なので行かせようと思えば行くことは出来るだろう。本人が望めば・・・。
 担任は、冷たい少年の顔をじっと見る。
 一重の大きな目に冷たい少年の顔が映る。
「今の貴方の成績なら私立の大学の推薦なら受けることが出来るけど・・どお?」
「どお・・・とは?」
「行きたいかどうかってこと。もし行きたいなら先生がご両親に話して上げる」
 担任の力強い眼差しに冷たい少年は思わず目を逸らしてしまう。
 有難い申し出なのだろう。
 本当に。
 しかし・・・。
「・・その大学って・・遠いですか?」
「一人暮らししなきゃ行けないような距離ではないわ」
「でも、電車には乗るんですよね」
「電車と・・・バスにも乗るわ。交通の便はいいと思うわよ。ショッピングモールも近いから帰りに彼女と待ち合わせして買い物も出来るわ」
 そう言って揶揄うように笑う。
 しかし、冷たい少年の表情は暗い。暗いと言うよりは怯えて身が縮んでいると言った印象だ。
 担任は、小さく息を吐く。
「その体質のこと?」
「えっ?」
 冷たい少年は顔を上げる。
「貴方が悩んでいるのはその体質のことでしょう?この町以外で自分がやっていけるのか自信がないってところかな?」
 冷たい少年は、大きく目を見開く。
 担任の言っていることは的を得ているどころか貫いていた。
「図星?」
「・・・はい」
 冷たい少年は頷く。
「俺が今までやってこれたのはこの町のおかげなんです。両親や友達、俺を受け入れてくれた先生や皆さんのおかげなんです。でもそれはこの町だからこそであって、もし違う所だったら・・・」
 誰からも相手にされなかったのではないか?
 罵られ、虐げられていたのではないか?
 18世紀の魔女狩りのように生きるのも辛いような人生を送ることになったのではないか・・・。
 そして一つの選択を間違ってしまったらそれが起きるのではないか・・・。
 そう思うと一歩を踏み出すことが出来ないでいた。
 担任は、思い悩む冷たい少年をじっと見る。そして何か言おうと口を開きかけ、唐突に表情が固くなり、腹部を押さえ、蹲る。
「先生⁉︎」
 異変に気づき、冷たい少年は立ち上がる。
 その勢いで椅子が後ろに倒れる。
 冷たい少年は、担任の背中に手を置き、声を掛ける。
 担任の顔には脂汗が浮かび、美しい顔が赤く歪んでいるのを見て、痛みだ、と冷たい少年は直感する。
「先生、どこか痛いんですか⁉︎」
 しかし、担任は答えられない。痛みで声が届いているかも分からない。
 恐らく腹部・・・。
 冷たい少年は、手袋を外す。
 教室内の気温が下がる。
「冷たいですよ」
 冷たい少年は、担任の背中・・腰の部分に指で触れる。
 指先を中心に白い霜が走る。
 少年は、直ぐに指を離す。
 担任の顔から赤みが引く。
 痛みによる顔の歪みが消え、身体を起こす。
 担任は、驚いた顔をして冷たい少年を見る。
 冷たい少年はほっと胸を撫で下ろす。
「腰を少し冷やして痛みを和らげさせたんです。湿布と一緒ですよ」
 担任は、少年の言っている意味が理解出来ず、一重の目を何度も瞬かせて、自分の腹部を摩る。
「でも、先生、直ぐに病院に行ってください」
「病院?」
「はいっあんまりにも先生が苦しそうだったからやむを得ず触りましたけど・・・もし・・」
 担任は、冷たい少年の言いたいことが分かり思わず小さく笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。妊娠なんかしてないわ。出来るわけないもの」
 その言葉に冷たい少年は少し安堵したものの引っかかるものを感じた。
「助けてくれてありがとう」
 担任は、深々と頭を下げる。
「それにしても大したものね」
 担任は、感心して腹部を摩る。
「でも、先生・・痛みはあったのは事実なんで病院に・・」
「大丈夫よ。痛み止めは持ってるもの」
 冷たい少年は、痛む止めと聞いて少女もたまに飲んでるよくCMで流れる市販の薬を思い出す。
「いや、そんなんじゃなくちゃんと病院に・・・」
「分かったわ」
 担任は、困ったように笑って息を吐く。
「じゎあ、座ってくれる?これだけ言ったらちゃんと病院に行くから」
 冷たい少年は気が焦りながらも渋々了承し、倒れた椅子を起こして座り直す。
 担任は、痛みで苦しんでいたとは思えない強い眼差しを向ける。
「貴方って明日死ぬの?」
「えっ⁉︎」
 冷たい少年の顔が強張る。
 冗談にしても酷すぎる言葉に冷たい少年は二の句を告げられなくなる。
「違うわよね」
「・・・はいっ」
「貴方は明日死なない。つまりは生きていかなければならないということ。分かる?」
 冷たい少年は頷く。
「生きるってことはね。いろんな障がいがあるのよ。それこそ喜びもあれば悲しみも。楽しみもあれば辛さも。でもね。1番辛いことって何だか分かる?」
 冷たい少年は、首を横に振る。
 本当にわからなかった。
 担任が何を言いたいのか?そして誰に向かって言っているのかが。
 この言葉は本当に自分に向かって言っているのか?
「悔いよ」
「悔い?」
 冷たい少年が首を傾げる。
 担任は、頷く。
「あの時、やっとけば良かった。何でやらなかったんだろう、もっと早く気づいていれば・・人はとある場面に来た時にそれを思うの」
 とある場面・・・?
 その言葉が耳に残る。
「貴方はまだ死なない。やれることもいっぱいある。だから自分から道を閉ざしてはダメよ。失敗なんて幾らでもしなさい。悔いが残らないよう、やって良かったと思える生き方をしなさい」
 担任の目は反らすことを許さないほどに強く、そして熱かった。
 冷たい少年は、担任から目を逸らすことが出来なかった。
「私の言いたいことはこれだけよ。また、ゆっくり話しましょうね」
 そう言って担任は、美しくも優しい笑みを浮かべた。

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