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義翼の職人(2)

「ここが私の家よ」
 イカロスに招かれて古びた木造の建物の中に入った瞬間、鉄に鈍い臭いと皮膚の焼けるような熱を感じた。
 半月のような形をした釜戸、鉄を溶かすための長方形の大きな炉、床に転がるように置かれた金床、壁や天井に所狭しと並べられた金槌などの工具・・・。
 家と言うよりも完全な鍛治工房だ。
 しかし、元天使の目を奪ったのはそれらのどれでも無く、家の奥の壁に立てかけられた大きな鉄拵えの一対の翼であった。
 虹のような滑らかで柔らかな曲線、鏡のように透明で鈍色に輝く無数の羽は均等に並べるように跡も分からないように溶接され、今にも羽ばたき、飛び立ちそうな躍動感を感じさせる。
 それはまさに生きているかのようだ。
 しかし、元天使が驚いたのはその人間の造形物とは思えないあまりに精巧な技術と美にではなかった。
 元天使は、手を振るわせながら掛けられた鉄の翼に触れようとする。
「それは貴方の翼ではないわ」
 イカロスの言葉に元天使は、指を引っ込める。
 イカロスは、纏っていた外套を脱ぎ、工具をぶら下げた壁に引っ掛ける。
 簡素で色味のないシャツと少しタボついたズボン、腰に下げた長い筒をぶら下げた格好になったイカロスの身体は筋肉質でとても引き締まっており、肌に模様のように付いた火傷を差し引いても十分に美しかった。
「それは初代義翼の職人が造った義翼よ。私達は、その義翼を目標に技術を磨いているの」
「これが・・・義翼・・」
 元天使は、右の拳を強く握り、イカロスを睨む。
「貴様は、何者だ?」
 その声には鋭い刃物のような怒りが込められていた。
「何故、こんな物を造っている?」
 イカロスは、元天使の怒りの混じった声を受けても表情を変えない。それどころか元天使の質問などなかったかのように部屋の隅にある小さな棚へと歩いていく。
 元天使は、苛立ち、身を屈めて獣のようにイカロスに飛びかかろうとする。
「やめなさい」
 そんな元天使の思考と行動を読み取ったかのように背中を向けたままイカロスは、言う。
 元天使の動きが止まる。
「さっき犬共に襲われた時に分かったでしょう?翼を失ったあんたには身体を動かすぐらいの力しかないって」
 イカロスは、棚の中に無造作に並べられた酒瓶を右手で、小さなガラスのコップを2つを左手で器用に持つ。
「今のあんたじゃ私どころか生まれたての赤ん坊にすら負けるよ」
 イカロスは、酒瓶とグラスを持って元天使に近寄るとグラスを1つ差し出す。元天使は、反射的にそれを受け取る。
 重い。
 大地に堕ちるまで重いと言う感覚に陥ったことがなかったが、こんな小さな物まで重く感じることにはやはりショックを隠せない。
 自分は、こんなにも弱々しい存在になってしまったのか?これが神たる父に捨てられると言うことなのか?
 元天使の銀色の目から涙が一筋流れるも、それが涙と言うもので、悲しみから流れるなんて言うことも元天使は知らない。
 イカロスは、口で酒瓶の蓋を開けると元天使のグラスに中身を注いだ。琥珀色をした液体がコップを満たし、強く辛い匂いが頭を刺激する。
「気付だ。飲めるようなら飲みな」
 そういうとイカロスは、近くにあった丸椅子を引き寄せ、刃物や器具の転がる作業台の近くに置き、自分は釜戸の近くに置かれた肘付きの揺り椅子にどかっと座り、コップを持っていると言うのにそのまま瓶に口を付けて飲んだ。
 元天使は、少し躊躇いつつも作業台近くに置かれた丸椅子に座り、手に持ったコップの中身をじっと見る。
「あそこには翼を失った天使がよく堕ちてくるんだ」
 イカロスが唐突に話し出す。
 元天使は、驚いて目を大きく開ける。
「なに?」
「何?ってあんたの質問に答えてるんだろ。私が何者か知りたいんだろ?」
 イカロスは、心外といわんばかりに眉を顰める。
 その事に元天使は、ちゃんと話しを聞いていたのかと驚くと同時にイカロスのマイペース過ぎる行動言動に呆れる。
「私たちは、代々この地で堕ちてきた天使相手に義翼を造ってやってるのさ」

#連作小説
#天使
#職人
#ファンタジー

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