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港湾食堂(2)

 港湾食堂は、今日も大盛況!

 大きな窓からは穏やかな海と港で働く人達の生き生きとした姿が見え、お昼時になると沢山のお客さんがやってきて注文の嵐にてんやわんや!

 女将は、忙しく手を動かしながらも笑顔で注文を聞いている。

「カキフライ下さい!」

「豚バラ定食!」

「麻婆豆腐!」

 喧しくも賑やかな声が食堂の中を飛び交い、女将も汗だくに忙しくなりながらも思わず笑みを浮かべて手を動かしている。

 そして今日は一際元気な声が食堂の中を木霊する。

「おっかみー!きったよー!」

 勢いよく正面口を開けて入ってきたのは艶やかな翡翠色の髪の少女であった。

 絶世の美人。

 彼女を見た人々は口を揃えてこう言うだろう。
 髪と同色の翡翠色の大きな目、黄金比の理想となりそうな整った輪郭に鼻梁、厚みのある震えるような唇、女将と同じくらい小柄だが、女性として魅了するべき部分は発達している。
 少女は、白いパンプスでステップを踏みながら食堂の中に入ってくると白いワンピースをはためかせながら手を動かし、身体を回転させ、さながら雨の日に跳ねる水の王冠のようにはしゃぐように踊りながら給水器で水を注ぎ、カウンターまでやってくる。
 そしてカウンターに細い手を乗せると満面の笑みを浮かべてこう言う。

「生姜と蜂蜜たっぷりのレモネードちょうだい」

 女将は、思わず笑ってしまう。
「もう少し普通に入ってきたら?みんなに見られてるわよ」
「見られてもいいもーん」
 少女は、年相応の無邪気な笑みを浮かべながら足をパタパタ動かす。
「もうセイちゃんは幾つになっても変わらないわね」
 見かけはセイちゃんと年は変わらないのに妙におばちゃん然として言う。
「今日も歌ってきたの?」
「オフコース!」
 セイちゃんは、胸に手を当てて歌う真似をする。
「売れっ子なので呼ばれればどこへでも」
 セイちゃんは、歌手だ。

 それも本人曰く売れっ子の。

 確かに彼女には華がある。

 食堂の中に入ってきた瞬間に誰もが彼女に目を奪われる。
 そして誰もが彼女の名前を知っていた。
「歌い終えた後は女将の作った生姜と蜂蜜たっぷりのレモネードを飲むと喉が癒えるのよねえ」
「それは嬉しいわね」
 女将は、冷蔵庫からレモンと生姜と蜂蜜の瓶を取り出す。
「でも、喉が痛いなら私のレモネードよりポーさんに薬を出してもらったら?」
 その名を出した瞬間、セイちゃんの顔が険しくなる。
「ポーさん?」
「そこに座ってるでしょ?」
 セイちゃんの座るカウンター席の奥にポーさんは、静かに座って羊肉のステーキを食べていた。
 セイちゃんには、見向きもせずフォークとナイフだけを動かし、業務のように口に運ぶ。
 セイちゃんの表情から輝くような笑顔が消える。そして現れたのは氷山よりも冷たい侮蔑の表情。
「あんたいたの?」
 その声は、この世のどんな針よりも歪んで突き刺さる。
「セイちゃん!」
 生姜をすり下ろしていた女将が手を止め、セイちゃんを嗜める。
 しかし、ポーさんは、そんな事など気にも止めずに羊肉のステーキの最後の一口を食べ終え、血のように赤いワインを飲み干した。
「女将、美味かった」
 ポーさんは、表情の一つも変えずにそう言って立ち上がる。
「ありがとうございます」
 女将は、微笑んで頭を下げる。
「目の件だがもう少し待ってくれ」
「別に生活に支障があるわけでないから大丈夫ですよ」
「・・・そうか」
 ポーさんは、短く言うとセイちゃんの前を通り過ぎ、正面玄関へと向かう。
「セイ」
 ポーさんは、振り返らずに声を掛ける。
「なに?」
 不快な虫の声を聞いたかのように表情を歪めながらも答える。
「女将に迷惑掛けるなよ」
 そう言い残してポーさんは、食堂を出た。
 その直後に水の入ったコップが固く閉じられた正面口にぶつかり、水が飛び散る。
 セイちゃんは、肩を怒らせ、射抜くような形相で正面口を睨んだ。
 他の客達が食事を運ぶ手を止めて唖然とセイちゃんを見る。
「セイちゃん・・・」
 心配げに女将が声を掛ける。
 その声でセイちゃんは、我に帰り、顔を俯かせながら席に戻る。
「・・・ごめん」
 セイちゃんは、小さな声で謝る。
 女将は、何も言わずに手に持った艶やかな黄色のレモンを輪切りにし、絞り器に押しつけて果汁を出す。
「女将・・・」
「なあに?」
「女将は、ずっとここで働くの?」
 質問の意味が分からず、女将はレモンを絞る手を止めて顔を上げる。
「そりゃそうよ。ここは私の食堂だもの」

「私のじゃなくてご主人のでしょ?」

 2人の間で空気が止まる。

 他のお客さんの咀嚼音と食器を鳴らす音だけが食堂の中を走り回る。

「・・・そうよ」
 女将は、レモンを最後まで搾り尽くす。
 食器棚から細い円柱のグラスをとり、製氷器から氷を取り出したコップに入れる。
「ここは主人のお義母さんがやっていた食堂。それを私が引き継いだの。だから私がここを守らないといけないの。主人が帰ってくるまで」
 女将は、冷蔵庫から予め作ってきたレモン漬けの水の入ったボトルを取り出しゆっくりとグラスに注ぐ。
「ご主人が帰ってこなくても?」
 セイちゃんは、大きな翡翠の目を女将に向ける。

 決して曲がることのない力強い目を。

 女将は、何も答えず、半分までレモン水を注いだグラスに搾りたての果汁、擦りたての生姜を入れる。

「女将、私と行こう」

「えっ?」

 女将は、顔を上げる。

 セイちゃんは、悲しげな笑みを浮かべて細い右手を女将に差し出した。

「私と一緒にここを出よう。帰ってこないご主人に縛られる必要なんてないよ。私と一緒に飛びたとう。私が女将のことを支えるから・・・守るから・・・ね」

 女将の目が震える。

 溢れないようグラスを支えていた手が離れ、ゆっくりと持ち上がる。

 セイちゃんの顔に歓喜の色が浮かぶ。

 セイちゃんの手と女将の手が触れそうになる・・。

 ふふっ

 女将は、小さく笑う。

 セイちゃんは、怪訝な表情を浮かべる。

 女将は、伸ばした手で蜂蜜の瓶を取る。
 そしてゆっくりとグラスの中に蜂蜜を注いだ。

 グラスの中で蜂蜜とレモン、生姜がマーブルになる。

「ありがとうね。セイちゃん」

 女将は、グラスの中にマドラーを差し込み、ゆっくりと回す。
 マーブルとなっていた3つの素材が混ざり合い、1つの黄金色の液体となる。
 女将は、グラスの上に輪切りのレモンとそっとミントの葉を乗っけるとそっとセイちゃんの前に置く。

「レモネードお待たせ」

 女将は、にっこりと微笑む。
「蜂蜜も生姜も大サービスしといたわよ」
 セイちゃんの大きな翡翠の目が揺れる。
 目の下に涙が溜まる。
 女将は、寂しげに小さく笑うとセイちゃんの涙を指で拭う。
「セイちゃんの気持ちは嬉しい。でもね、私はここを出ていかない。ここは主人が帰ってこれる唯一の港。だから私はここを守りたいの。待ちたいの。いつか帰ってくるその日まで」
 女将は、そう言って厨房へと戻った。
 セイちゃんは、顔を上げることが出来ず、女将の作ってくれたレモネードをじっと見た。
 そしておもむろに両手で掴むと一気に喉の中に流し込んだ。

 ぷはあっ

 セイちゃんは、大きく息を吐き、グラスをカウンターに置く。

 そして椅子から立ち上がると大きく息を吸う。

 そして歌った。

 甘く、冷たく、そしてどこか痺れるような妖しい、透き通った綺麗な歌声。

 人を誘うような、心から安らがせるような、そしてどこか怖くて震えるような魅力をもった歌声。

 お客さん達は、料理を口に運ぶ手を止めてセイちゃんの歌声に耳を傾ける。

 ある者はその歌声に涙し、ある者は眠り、ある者は彼女に寄り添うように手を伸ばす。

 それはまさに鎮魂歌レクイエムと呼べるような歌だった。

 女将は、目を閉じる。

 その目から涙が一筋流れる。

「や・・めて」
 女将は、小さく声を漏らす。
「セイちゃん・・・お願いだからやめて」

 セイちゃんは、歌うのを止める。
 そして悲しげな目で女将を見る。
「セイちゃん、ごめんね。とてもいい歌なの。でも、今はその歌を聞きたくないの。ごめんね」
 セイちゃんは、首を横に振る。
「私こそごめんね。レモネード美味しかったよ」
 セイちゃんは、口元に笑みを浮かべると「ご馳走様」と小さく言って正面口に行く。
「・・・また来てもいい?」
 幼い子どもが遊びにきてもいいか聞くように涙声で聞く。
「もちろん。喉に良いものたくさん用意しておくね」
 女将は、笑顔で答える。
 セイちゃんは、嬉しそうに微笑み、「またね」と食堂を出て行った。
 再び咀嚼音と食器を鳴らす音が響き渡る。
 女将は、穏やかな海を見る。
「私は、ずっとここにいるよ。だから・・・」

 早く帰ってきてね・・・。

 女将は、吐き出しそうになった言葉を飲み込み、仕事へと戻った。

 港湾食堂は、今日も賑やかに営業中。

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