任意団体ORIZURU/グリーフケアの有料化について
ケアは有料か無料か
いきなり際どい話です。例えば看護師はその多くのケアが直接お金として換算されません。ただ” いないと困る” 存在であり、全体の総合点(総合力)として結果的に換算されていることが多くあります。
いや、マジですよ。知ってました? 患者さんの話を聞いても、背中をさすっても、検査を準備・介助してもそれだけではお金に換算されません。むしろ話を聞いている暇があるなら急患をジャンジャカ取って、早期に退院してもらえば儲かるのです。(ちょっと言い過ぎかもしれませんが)病院で看護師が患者さんに寄り添いたいのに寄り添えない理由が浮かびます?
医療は無料か
人の命はお金には変えられない
金の切れ目が縁の切れ目
どちらも古くから医療の中にある言葉です。つまり医療はビジネスと命の視点が深く絡み合っていると言えます。ただ発展途上国や紛争のある国と比べ、裕福な日本ではビジネスで命を扱うようなことが目立ってきているように思います。
命のためにビジネスを利用する
「いわゆるビジネス上の価値とは、お金を払ってでもそのサービスを受けたいか?ということです。グリーフケアの担い手は意図的でなかったにせよここに対して向き合って来ませんでした。」
というキツーいけど、支えとなるお言葉を頂きました、この前。
そうです私は、お金なんて後からついてくるし、必要なことは貫くという考えでやってきました。だから1年半に渡るホスピス訪問ボランティアもお金のことなんぞ考えず貫きました。でも言われたんですよね、「坂詰さんができても、他の人は休みも返上し、自分で交通費も出し、続けられないですよ。」と。(ホスピス訪問は結果的に任意団体ORIZURUが助成金をとってくれて私の雑費はカバーしてくれましたが)…。
つまり私が倒れたら続かないケアじゃん・・・。
私たちは医療者やケアの担い手は、苦しんでいる人の話を聴くことや寄り添うことががとても必要なことだと思っています。でも必要が無料では深まらないのです。人材が育たないのです。だから命のためにビジネスを利用するという発想にパラダイムシフトが必要なのです。
ハッキリ言いますが、グリーフケアを始め、このようなケアは国が対価を認めることが必要だと思っています。私はこれらのケアが国の援助(つまり保険診療として利用者は1割、2割負担)で動くことを目指しています。しかし、そこに辿り着くには市民レベルで「これ必要だよね」と認めてもらうことが求められます。
KODAMAの有料化
今回、私が始めたプログラム「KODAMA」を有料化に踏み切りました。これはお金が欲しいというメッセージではありません。社会に必要なプログラムなんだというメッセージです。いや、もしかしたら市民レベルで「有料なら要らない」と言われるかもしれません。それでも私は市民の方々に問いかけます。かなしみは病ではありませんが、私たち人間の普遍的な出来事です。欧米ではとっくに行っている社会的支援をいつまでも個人レベルで続けさせず、一歩踏み出したいと。
おまけ
これはうちうちのミーティングの話ですが、私は「KODAMA」に無料の参加枠を残しました。だって本当にお金がない人もいるから。
そんな人は無料でどうぞ。 「え? そこはどうやって調べる?」 いやそんな野暮しませんよ。いいじゃないですか、それで…。困っている人が参加できないプログラムなんて作りたくないから。仲間は全員賛成でした。
https://orizuru.qloba.com/