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生徒手帳のシーウィー 4

聴力に集中して物音を聞き取ろうとすると、自分の耳がくいっと動くのが分かった。どうやら男女二人が何かを話している声が聞こえる。女子の声は男子の声よりも高く何かを言っているのが聞えた。誰かを責め立てるような声だ。痴話喧嘩なのか……「……なりなさい」鋭い声がわたしの耳に届いた。あ、この声は聞き覚えがある。東海林さんだ。

東海林さんとは同じクラスのクラスメイトでわたしは東海林さんのことが苦手だった。妙に調子に乗っていて、人当たりもキツい。それなのに彼女はクラスの中での立場が強いのにどこのグループにも属さず一匹狼タイプで飄々としている。そして男にもモテることを自覚していて周りの男子を顎で使っている。すっごく嫌いだ。

東海林さんは図書室で何をやっているのか気になる。どうしてもその場を確認したくなってわたしは考える。この古い扉を少しだけ開けて中を覗くことはどうやったってできない。どんなに慎重に開けたって蝶つがいが軋む音が立ってしまう。もし東海林さんに見つかったら学校生活が居づらいものになってしまうだろう。東海林さんを怒らせるとめんどうなのだ。

どうしたらいいか考えながら辺りを見回す。図書室と図書準備室を隔てる壁の上部に採光用の窓が取り付けられているのを見つけた。ここからなら向こうの様子が見られるはずだ。

「きゃははははは」

東海林さんの高笑いが聞こえる。なんと耳に障る声なのだろう。笑い方に性格の悪さが滲み出ている。

わたしはゆっくりと身体を起こし胸の前に抱えていたハリーポッターの本をソファに置いた。そして両足を床に降ろして上履きを履き、本の山を崩さないように足元に注意しながら、ゆっくりと書棚へと歩く。足を踏み下ろすとき、足を動かすとき、足を床から離すとき、すべての動作を音を立てないようにゆっくりと…。

静寂がこの図書室を包んでいるのだ。今日は校庭で練習をしている部活動もないし人の通りもまったくない。少しでも音を立てたらえりさに気付かれてしまう。

「ははは、ほんっとみじめだねえ? お前は、え? 恥ずかしくないのかな? なんとか言ったらどうなんだい」

妙に芝居がかった声で誰かを威圧している。東海林さんは先ほどより声が大きくなっているようでこちらまではっきりと彼女の喋っている声が聞こえてきた。

わたしが登っても書棚が倒れないか確かめて、地震対策のために棚と壁が固定されているのを見つけ、これなら大丈夫だと確信を得る。書棚に手をかけてゆっくりと足をかけた。そのときぎぎぎぎと木が軋む音がした。心臓が飛び跳ねた。そのまま静止して様子を伺う。バシンッ、また何かを叩く音がした。その音は乾いていたが先ほどよりも大きくなっている。

「ねーえ? 言ったでしょう? あなたは人間じゃないんでしょう? 人間の言葉を喋っていいと思ってるの?」

東海林さんが言う。それにしてもどうやったらこんなにも底意地の悪い声が出せるのだろうと感心した。わたしは今まで以上にゆっくりと一歩一歩足を踏み出す。書棚が軋んでも大きな音が出ないように少しずつ体重をかけていった。

「え? あんた自分で言ったのよね。あたしはあんたの願いを叶えてやってるのよ?」

「そ、そんな…………、僕……こと言って……」

バシンバシンバシンバシンバシンバシンバシンッ!先ほどの乾いた音が連続で聞こえる。そして鈍い水っぽい音も混じって聞こえるようになった。東海林さんが男の子に暴力を振っているのだろうか。東海林さんは確かに粗雑なところもあるがひとに暴力を振うような人間ではないはずだ。とうとう書棚を登り切り、上部についている通気用の窓を覗き込むと、東海林さんの足元で崩れ落ちた町田くんの姿が見えた。

そして町田くんの頭の上で、ニタニタ歪ませながら上気している東海林さんの顔が目に入る。町田くんがかわいそうだ。こんなこと東海林さんがしていいはずがない。いや、誰にだってそんな権利などない。

「わかった、分かったからやめてよ」

頭を抱えて町田くんが言う。

「そう、やっと分かってくれたの? それは嬉しいわ。あなたは何になりたいんでしたっけ?」

そう言ってえりさは町田くんの顎を掴んで無理やり顔を上げさせた。

「……です」

「え? 聞こえないっ」

「……ぬです」

「あ? 聞こえねーんだよ! はっきり喋れないの?」

「犬! 犬です! 僕は犬になりたい!」

東海林さんの眼の奥が光ったのが遠くからでも分かった。

「へえ、そう。犬、犬になりたいの。仕方ないなあ、じゃあわたしが叶えてあげる」

町田くんはうなだれて目に涙を浮かべていた。

「あ? 泣いてるの? かわいそうにね~」

イラつくような声で東海林さんは言ってから立ち上がって窓際の転落防止の手摺りにかかっていた雑巾を持ってきて顔をぐしぐしと乱暴に拭いた。町田くんは手で払いのけようとするがえりさの方が力が強く、軽くいなされてしまっていた。

町田くんは生徒会長をやっていてクラスの秀才として知られている。いつも明るい性格をしていてわたしは密かに好意を抱いていた。いつかの席替えのときに隣同士になったとき、授業で当てられて答えられずに俯いていたわたしにこっそり答えを教えてくれたことがあった。とても優しい彼にそんなことをするなんて……言われてみれば最近の彼は元気が無さそうに見えた。これが原因だったのか。

「ねえ、犬はそうやって鳴くんじゃないでしょ? ほら、どうやって鳴くんだっけ?」

そうやって東海林さんは雑巾を脇に捨てて言った。

「そう、まだ、犬になりきれてないみたいね。そうだ。そこで服を全部脱ぎなさい」

東海林さんは事も無げに言った。

「え……」

東海林さんがかつかつとこちらに向かって歩いてきた。見つかってしまう! と思い身を固くした。しかし、上部の窓に視線をやることなく気付かれることはなかった。貸し出し用のカウンターの文房具立てに刺さっていた五十センチの物差しを取ってまた戻ってきた。そして何の躊躇もなく町田くんの背中に振り下ろした。パチンッという乾いた音がする。今までの音とは質が違う。まるで衝撃で肌が張り裂けそうな感じすらする音だった。町田くんは悲鳴をあげていた。

「ねーえ?脱ぎたくなった?」

東海林さんが声を弾ませながら言った。東海林さんは町田くんを痛めつけることを心から楽しんでいるようだ。

「え?まだ脱ぎたくならないの?犬は服なんて着なくて良いのよ。ほんとに手のかかる駄犬だなあ、まったく」

そう言ってまた定規を振り下ろし始めた。どうして彼女はひとを叩くことに躊躇が無いのだ?さらに力をこめて打ち据えていく。上半身から下半身まで、彼が腕で防御できていない箇所をまんべんなく定規をリズミカルに振り下ろしていく。パチンパチンパチンパチンパチン!そのたびに、彼は背筋を反らしたり、丸めたり、仰向けになったり、うつ伏せになって身体を必死に守ろうとしていた。

「ほんとにやめて、やめてってば……」

「もう、そんな演技いいから。まどろっこしいのは嫌いよ。ねえ。早くして。そうじゃないともっとひどいことするよ?」

「わかった、分かった。脱ぐからやめて、お願いします」

町田くんは学ランのボタンに手をかけた。そして一つずつボタンを外していく。脱いだ上着は東海林さんによって乱雑に奥へと放り投げられ床に落ちた。次にワイシャツのボタンに手をかける。



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