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生徒手帳のシーウィー 3

26歳になったというのに12年前の出来事に未だに囚われ続けているなんて何て馬鹿らしいのだろう。自分がしていることの馬鹿らしさは分かっているはずなのに降り積もる雪のようにどんどん重くなっていく。12年前の出来事は脳内で幾度となく繰り返されわたしは押し潰されそうになっている。

わたしの身体に重くのしかかる雪が降り始めたのは12月の校舎でのことだ。わたしは14歳で生意気で臆病で馬鹿だった。

太ましい身体の見た目に反比例するようにして、心許なく傷つきやすい精神の持ち主だった。ずんぐりとした指はまるでロールパンみたいで、頬につきすぎた肉は顎を二重にさせたし、顔など見たくもないほど不細工であったし、それを隠す術も知らなかった。母親にも、

「あんたの顔は男ウケしないから、あんたのことを好いてくれる奇特な男がいたら絶対離しちゃいけないよ」

と言われて育ってきた。

わたしは妹と違って、母親と父親の醜い特徴を合わせて生まれてきた。だからわたしはなるべく波風を立たせないように日々をやり過ごしていた。

小学校高学年から高校生の間、わたしの容姿はとくに醜いもので、ホルモンバランスが崩れていたせいでぶくぶくに太っていたし、化粧の技術についても不勉強だったため、クラスメイトから蔑まれるような容姿をしていた。

この時代に不遇な時代を過ごした者は一生残る傷を負うことになる。わたしはずっと不細工として自分を自覚し律してきたつもりだ。調子に乗らないように常に気を張り、己の立場を弁えようとしてきた。

しかしそう思っていても、自分だって幸せに生きたっていいじゃないか、わたしだって男の子と楽しく話がしたい、行事を楽しみたい、青春というものを味わってみたい、自分をいくら律して弁えたつもりになってもそのような感情がどうしても芽生えてしまう。

しかしまるで野良猫の死骸を処理する保健所の車のように迅速にそのような感情は無力感によって綺麗に拭き取られていく。

わたしの努力を無為なものにしたのが東海林えりさだった。しっかりと日付も覚えている。12月22日だ。翌日が(平成時代の)天皇誕生日で、そのまま冬休みに突入する前日では終業式があって、お決まりの校長先生の訓辞を右から左に聞き流し、形だけの大掃除をして、惨憺たる通知表を渡され、

「よいお年を」

という挨拶をしてお開きになった。これでしばらく学校へ行かなくていいという安堵感を胸にさっさと家路に着くべきだった。このときの選択がわたしの人生のトーンを決定づけてしまったのだ。この頃のわたしは図書室へ通うのが日課になっていてこの日も図書室でハリーポッターシリーズの続きを借り出しに行き、二時間くらい読書をしてから帰ろうと考えていた。

ハリーは強い精神の持ち主だった。複雑な出自を持ち、養父母に虐待されながら育ち、やっと家を出て寄宿制のホグワーツ魔法魔術学校に入学した。しかし、学校も順風満帆とは言えない環境だ。いじめは横行しているし、先生も威圧的だった。そんな環境でも強く、へこたれずに生きるハリーがまぶしかった。本を読んでいるときの自分が生きている世界から自分が消滅する心地が好きだ。彼らの冒険を見守り、時に彼らの気持ちに寄り添っていると言い知れぬ充実感を味わうことができるし、世界の命運を分ける重要な局面に立ち会っているのだという気さえしてくるから不思議だ。

図書室は校舎の端の方にあった。公立中学校へ通う生徒は減っていて、空き教室も多く駅前の商店街を思わせる寂しさが校舎全体に漂っていた。設備も古さを感じさせ、床がところどころ剥げ掛けていたり、漏水による沁みによる汚れも目立ちそれらが侘しさをさらに強調させる。誰かが蹴り破って、穴が開いたままになっている引き扉を開け図書室に入る。図書室にはわたし以外の生徒は誰もいなかった。それもそうだ。読書は奇特な人間のすることだと思われるような空気があったし、雨でも降ってなければほとんど図書室を利用する人間などいなかった。

わたしが通っていた中学校の図書室は通常の教室の壁を取り払ったもので二教室分の広さになっている。窓際をのぞく三方の壁に沿うように書棚が配置され、さらに教室一部屋分のスペースに書棚が四列並んでいる。もう一部屋のスペースに閲覧机や貸し出しカウンターが置かれている。わたしの学校には司書はおらず、国語教師が当番制で昼休みの時間に貸し出しや返却などを受け付けていた。ただ、それほど厳密に行わておらず、自分で貸し出しカードに書名と貸し出しの日付を書き返却のときに先生に印鑑をもらうだけでよかった。

読書教育を蔑ろにしているにも関わらず、ハリーポッターシリーズはそれなりに人気のあるシリーズで、借りられていることも多かったが、このときは運よく次の巻が残っていてほっとした。この学校ではハリーポッターシリーズとダレン・シャンシリーズとなぜかヤング・インディ・ジョーンズシリーズが人気を誇っていた。

自分用の貸し出しカードに記入を済ませ、冬休みの間に読めそうな分だけ借り出して鞄に突っ込んだ。ここでさっさと帰って自分の家のこたつに潜り込んで本を読んでいればよかったのにわたしはそれをしなかった。

この学校の図書室には図書準備室と名付けられた部屋がもう一部屋割り当てられている。図書準備室は図書室内にある扉から入ることができるが普段は施錠されて滅多に人の出入りはない。しかしわたしは簡単に開錠できることを知っていた。わたしは片足をあげて上履きを脱ぎ、芸人の頭をはたくようにすぱーんとドアノブを叩いてから上履きを床に落としてからドアノブをひねる。そうすると扉が開いている。もう、何度もやっている方法だった。

両方の壁に背の高い本棚が並んでいてぎっちりと本が詰め込まれているだけでなく、床のあちこちにも本の塔ができている。その他にもベニヤ板で作られた演劇用の舞台装置や会議資料の入ったコンテナボックスや玉入れの籠がついた赤いポールなどたくさんの物がこの部屋に詰め込まれている。そのガラクタと本の塔の中心に革張りのソファが置かれている。スプリングは沈みきっているが高級そうな代物で座り心地は抜群だった。

ここは、図書室に誰もひとがいなかったときに扉の先が気になって発見した部屋でわたしの特等席だった。他の生徒にも知られていない秘密の場所だったし見回りの先生が来たとしてもここまで覗くことはない。だから好きなだけ本が読める。とっておきの特等席にどかっと倒れ込むようにして座る。

「あ~あ、疲れた」

いったいこのつまらない生活はいつまで続くのだろう。わたしはこのつまらない学校生活が永遠に続くように思えた。不毛だ。そして絶望しかない。さらに絶望を感じる自分に心底嫌気がさしていた。どうして、他の同級生のように学校生活を楽しめないのであろう。

自分には重大な欠陥があるのではないだろうか。発達障害とか注意欠陥なんとかとか、なんかそういう「言ってはいけない」例のあのひとなんじゃないか、って思うことが少なくない。そう思うとなんかしっくり来るような気もする。いつもどこかで遠くから世界を見ているだけで、社会の一員になりきれていないという気持ちがあった。

「ま、どうでもいいか……」

このことについてパソコンで調べるとそれらの特徴に何かしら当てはまる記事が出てくる。と言うよりも当てはまる回答が出るまで探し続け、自分の不安を補強してしまう。《相手を傷つけてしまう》とか《ひとの気持ちを考えるのが苦手》なんて、誰にでもあることでは? それをわたしの性質の責任と考えること自体が間違っているのだ。そういうときは相手のせいにするのが健常者としてのあるべき姿だ。「やつはデリカシーに欠ける」「あいつはなに考えてるのか分かんない」って思って非難しておけばいい。

「やめよう……」

わたしは実りの無い内省をするためにここに来たわけではなく、本を読むためにここに来たのだ。へたれたスプリングに背中を押しつけて自分の体型に合うようにソファを沈ませ鞄から本を出して開き再び魔法の世界へと戻っていった。ハリーの辛い春休みが終わり新しい学年が始まろうとしたとき図書室の方で物音がした。

わたしの意識が一気に現実世界に引き戻された。がらがらと引き戸が引かれ二人分の足音が聞こえる。わたしのように冬休みをやり過ごすために、本を借りに来たのだろうか。でも気にするようなことではない。どうせここまで入ってくることはないだろう。

それから十五分は経っただろうか。何かが破裂するような渇いた高い音が聞えた。びっくりして本から顔をあげる。

いったい何の音だ? わたしの至福の時間を邪魔しやがってと思ったが、外的な要因で現実に引き戻される己の集中力の弱さを認めたくなくて字を追い続けようとする。しかし目が文字の上を滑り始め、物語の世界に入り込むことができなくなっていた。死ね、唇を固く結んで口の中で呟いて本を閉じる。

壁を挟んだ向こう側で何が起こっているんだろうか?「うるさいですよ、図書室では静かにしてください」なんて準備室から出て注意などできるはずもない。そう思っているうちに、何が起きているのか気になって仕方なくなってきた。



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