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【書評】李琴峰既刊本5冊+α一挙レビュー

今年もっとも読んだ作家が李琴峰。

もともと大の百合好きということもあって手に取ってみたのだけれど、甘々で切なく胸キュンな百合シーンと、人種や国家やセクシャリティといった重いテーマがマッシュされていて、それでいて、「良い話を読んだな」っていう満足感もあって、大好きな作家の1人になりました。

既刊本全5冊のレビューと+αの書評を書いてみるね。

『独り舞』(2018年、講談社)

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都内の企業で働くOL趙紀恵(ちょう・のりえ)。超ノリノリの趙紀恵という自己紹介を持ちネタするなど、同僚からも「紀恵が羨ましい、いつも元気で、自信があって」と評判の彼女だが、彼女自身は長年にわたって「死ぬこと」に惹かれていた。

死ぬ。
死ぬこと。
高層オフィスビルの二十三階で、(中略)彼女はこの言葉を何度も玩味した。
良い響きだ。風の囁きよりも優しく、夢の絨毯よりも柔らかい。(P3)

生まれ育った台湾での辛い過去から逃げるようにして東京に移住して、イチから新しい生活を試みるが、過去は遠い日本に来ても彼女に付き纏う。

主人公は台湾人かつ同性愛者なので、「外国人」であったり「同性愛」といった要素が作品の中で重要な要素になっているが、テーマの核にあるのは身を巣食う孤独であったり、周囲に上手く馴染めない違和の感覚であったり、愛であったり、多くの人が思い当たるようなことが描かれているんじゃないかなって自分はそう受け取りました。

とにかく心情描写が丁寧な作家で、登場人物たちの、その時々に感じた嬉しさであったり、苦しさであったり悲しさの心情が伝わりすぎて辛くなっちゃうくらいに上手い。

このひりつくような心情描写がこの作家のサーガの醍醐味。

東京の地でできた新しい恋人に、渾身の勇気を振り絞って辛い過去の打ち明け話をしたところ、「メンヘラ。それって欺瞞じゃないの?」と無下に拒絶されて一方的に別れを突きつけられたときの、心臓がヒンヤリとして心が凍てついていく描写の感じが鮮明でした。一世一代の告白を無下にされた時のあの寒々しい感じ、なかなか描写できるものじゃないと思う。

ちなみにこのデビュー作から最新作にわたるまで、ゆるく繋がりのある同じ世界観が共有されています。

『五つ数えれば三日月が』(2019年、文藝春秋)

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台湾で結婚して台湾で向こうの家族と暮らしている大学院時代の友人と、そんな彼女に恋をしていた(いる)日本で働く台湾人の主人公。平成最後の夏の日に、二人は池袋北口で再会し、長い午後の一時を過ごす。

自分の気持ちを伝えられずに恋心を押し殺して、友人関係を続けてる切ない片恋の物語。

自分の気持ちを伝えられなくて、でも気持ちが昂ぶっちゃってどうしようもなくて、漢詩にしたためてメールしてみたりするところとか、超切ない。隠したままで、でも伝えたところでもうどうにもならないって分かってるし、そもそも迷惑だろうしって感じが、上質な百合漫画みたいだなと思いました。でも、台湾の日本とは違った慣習であったり、家族のどうしようもない悪意なき無理解だったりが屋台骨になっているため、百合感だけではなく、文学としても成立している。

物語のクライマックス、かつての友人に想いを伝えるべきか否か悩み、目を瞑って五つ数えてもまだ駅のホームに彼女がいたら想いを伝えようと決心するシーン。

色々なことを自分で決められる歳になったけれど、こればかりは自分ではなく何か不確かなものに頼るしかないような気がしてならなかった。

「どうしようもない切実さ」みたいなのがとんでもなく綺麗に映ったし、彼女の想いを想像できて胸に迫るものがあった。

もし、そんな言葉を介してではなく、気持ちそのものを自分の中から取り出して、そのまま見せることができたらどんなに良かったのか。

「色々なことが自分で決められる歳」になってさえも、目をぎゅっと瞑って、自分の気持ちを伝えようか否か悩んでしまう、切実さ、みたいなの、良いなと思いました。

あと、自分自身が大学時代、ずっと池袋を利用していて馴染みのある土地だったこともあって、イメージのしやすさもあった。あ~ここか~ここにはこんなこともあったな~とか、そんな感じ。

もう一編の「セイナイト」は映画『アデル、ブルーは熱い色』に憧れる美大生の恋人と過ごすちょっと変わったクリスマス・イヴの一日のお話。好意の総量が異なる2人の恋人の話で、次の作品の「ポラリスの降り注ぐ夜」に出てくるバーが舞台になっている、プロローグ的な作品でした。


『ポラリスが降り注ぐ夜』(2020年、筑摩書房)

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最初に李琴峰作品を読んだのが今作。これがあまりにも面白かったので既刊本を全部読破してしまいました。

2丁目のビアンバー『ポラリス』を舞台に、7人の女性の恋を描いた連作短編集。本作の作者は台湾人で日本に留学をして日本語を習得したそうですが、第二言語で書いたとは思えないほど文章が美しく、それだけじゃなくて言語化しにくい感情に的確な言葉をぴったり当てはめていく技術に驚愕しました。

物語のテーマに取り上げられやすいビアンやトランスはもちろん、あまり物語では取り扱われにくい、バイセク、Aセク、ノンセク、パンセクまでセクシャルマイノリティの有り様が幅広く描かれているうえに、さらに年齢や国籍までもが異なる登場人物の、人生と人生が交差する瞬間が描かれていた。

セクマイとかってその性的指向ゆえに特殊な存在だと世間では扱われてしまいがちだけれど、彼女たちが想起する一つ一つの感情は、私たちがいつかどこかで湧き起こったことのある普遍的な感情そのものだったりする。

でもその一方で「共感できた」「胸キュンした」って上辺だけの感動だけじゃなくて、著者が当事者だからこそ描ける甘えを許さない凄みみたいなのも感じました。セクマイゆえの不都合なところも、限界も、嫌らしさも、幻想の入り込む余地がないほどに精緻に描写していた。

それなのに、美しいし、世界がもっと愛しくなる、そんな作品。

自分がとくに好きだったのは、ビアンバー『ポラリス』の店主の夏子の過去が描かれる章。バブル崩壊後の厳しい就活状況に苦しみ喘ぐ夏子の個人史に寄り添うように、新宿二丁目の発展と勃興の歴史が描かれる。

バブルが崩壊した直後の就活で、まったく箸にも棒にもかからず暗澹たる気持ちを抱えた夏子は気が付いたら2丁目に辿り着いていた。そこでバーのママにこのようなことを言われる。

安心して。たしかに大変なこともたくさんあるけど、楽しいこともたくさんあるものよ。世界を、そして自分自身を変える力がなくても、私達はずっとここにいるの。常に複数形で、いるのよ。(P143)

複数形の歴史(国籍・ジェンダー・セクシャリティなど)をバックボーンに持っている単数形としての歴史を紡ぐ一個人が、他者と出会い人生が交差する。その結果、傷ついたり、愛を紡いだりする。

本当に実在する人間の、とっても大切な打ち明け話を聞かせてもらっちゃった、みたいな読後感でした。

『星月夜(ほしつきよる)』(2020年、集英社)

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明日には消えたり欠けたりするかもしれないが、少なくとも今この瞬間、星も、月も、ここにはある。それを表す言葉がないのなら、たしかに、作ればいいのだ。

早稲田大学で先生をしている台湾人の柳凝月(りゅうぎょうげつ)と、留学生で彼女の教え子玉麗吐孜(ユーリートゥーズー)の恋の物語。

見ようによっては、女教師✕女学生の百合モノにも読めるし、そういうキュンとするエピソードもあるのだけれど、李琴峰作品の中で一番重苦しい作品でした。

新疆ウイグル自治区出身の留学生ということもあって中国という<国家>という存在が前面に出てくるのと、日本語文法の習得のしにくさが印象的だった。他にも結婚や親子関係、宗教、言語など、短いながら重いテーマが詰め込まれている。

これだけ多くの要素を詰め込みながらも、それでも破綻させずにまとめあげたのは李琴峰が本当に力のある作家である証左なんだと思う。

玉麗吐孜は普段人には弱みを見せず、強がっているような節がある。そんな彼女が泣き顔を見せてくれたのも、私に頼ってくれている証なのかもしれないと思うことにした。(36P)

こうやって静かに想い合う二人の関係性は素敵。でもその一方で圧倒的な現実が立ち塞がってヒリヒリする読後感。


『彼岸花が咲く島』(2021年、文藝春秋)

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彼女の作品を読み進めている途中で芥川賞受賞の報を聞いて殊更嬉しくなってしまったのを覚えている。

これまでは現代の現実の日本と、台湾を舞台にしてきたが、今作の舞台は近未来の日本。与那国島と思しき島の浜辺に、傷だらけで記憶を失った少女が漂着する。その島は、女性が統治する完全な女性上位社会だった。

この島では「ニホン語」と呼ばれる現代日本語とは少し異なる言語と「女語」という女性だけが使うことを許された日本語に近い言語の2つが存在する。(正確にはもう1つあるんだけど、それはネタバレになりそうだから…)さらに、社会運営の中心になっているのは女性で、男性は徹底的に排除されている。まるで一昔前の日本のように。(今もかもしれないけど…)

そんな不思議な島の秘密に漂着した少女の視点で迫っていく構造のお話。これまでの作品は、作家の実感が込められた「現代日本を生きるレズビアン」の人生の物語が描かれていたけれど、今回は近未来SFというフィクションの濃度の濃い作品。

一人の作家をずっと追っていると、作者が実感した現実の世界から一歩踏み出して、物語世界に足を踏み入れる作品が必ず出てくるのだけれど今作がそれに該当する。

ほんとに受賞できて良かった、と思う。


「流光」(『群像』2017年11月号)

このnoteで紹介するからには外せないのが本作。新宿歌舞伎町にある『リヴァイアサン』という吊床のあるSMバーを舞台に、そこに出入りする人たちについての群像劇。

短編ながらも多くの要素が詰め込まれているし、ストーリーも緩急があり、なによりSMについての考察が詳しく書かれていながら、SMにどっぷり心酔してるって感じではなくて、一歩引いてSM全体を俯瞰した視点で描かれているのも良き。

まるでそれは私という人間の性質の最も中枢に近い要素の一つであるかのように。豹は生まれつき獲物を捕食する。鳥は生まれつき空を飛ぶ。私は生まれつき縄と鞭を好む。

SMがいっそ性欲だったらどんなに分かりやすかっただろうに。

自分は生まれた時から自然と「そう」なのに、普通の人には異常視されると気付いて、その普通さに憧れのような嫌悪のような寂しさのような断絶感を抱くあの感じ、繊細で伝えるのが難しいはずなのにすごく上手く表現してくれたように自分は感じた。

SMって、ただの性欲ってだけじゃないのは分かってるんだけど「じゃあ何が違うんだよ?」って問われた時に、上手く言葉で説明できなくなってしまうあの感じが描かれていました。

SMerがどこかで絶対に感じるであろう孤独と断絶感が端的に表現された傑作です。

ちなみにあまりにも好きすぎて、しかも、自分がこのnoteで書いている小説で本当に書きたいと思ってるやつの完成形すぎて、プロットを書き出してしまいました。

本当にSMが好きな人にこそ読んでほしい。絶対にがっかりしないから。

最後まで読んでくださってありがとうございます🥺