Yuriko Sawatani (澤谷 由里子)

NUCB Business School Professor, Design for …

Yuriko Sawatani (澤谷 由里子)

NUCB Business School Professor, Design for All CEO & Co-founder, Waseda University MBA Service Design

マガジン

  • 文化の読書会

    • 264本

    読んだ本の趣旨を1章ずつ1000字以内で書いていっています。

  • 夜更けの思索宮

    時には哲学を、古代ギリシャを、あるいは皮肉やのイタリアの彼氏のような、ちょっといつもの場所をはなれて遊ぶ

  • デザインとイノベーション

  • MBAとデザインとオンラインと

    MBAの授業作成のなかでいろいろ考えたことなど徒然に

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Livable Proximity:近接の経済に向けて

近接の経済に向けて 「現代の産業社会が、これに先立つもっと単純で質素であった社会より、人間の幸福の増進により大きな貢献をするだろうと考える理由はどこにもない。他方また、昔もっとしあわせであったとかもっと人間的であったとかよくいわれるようなそういったノスタルジアも、あまり経験的な根拠があるとはいえないのである」(Simon, 1996, p193)というSimonの語りは、Covid-19の最中、本書を書いたManziniと重なる。ここでは、担当した「3章 ケアする都市」を核

    • SDL(Service Dominant Logic)的なものは、実は遊びなのかもしれない

       今回はホイジンガの「ホモ・ルーデンス」読書会の3回目です。今回は、手分けをして最後まで読み解きます。私の担当は、「9. 哲学の遊びの形式」と、「10. 芸術の遊びの形式」です。 青年の遊びとしての哲学、教育・文化のギリシャ的環境を形成したソフィスト ホイジンガは哲学が、原始時代の聖なる謎解き、弁論術、祝祭の余興から形成されてきたという。そもそも、プラトンまでが、哲学を青年の遊びとみなしていた。哲学によって、問いが深く掘り下げられたとしても、それは高貴な遊びに過ぎなかった

      • 「武士道」は遊びであり、文化を形作る

         今回はホイジンガの「ホモ・ルーデンス」読書会の2回目です。今回は、「2. 遊び概念の発想とその言語的表現」と、「3. 文化創造の機能としての遊びと競技」です。  ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』は、遊びが通常の真面目なこと以外の部分であるという一般的な考えを覆すために、遊びが文化の形成や社会的な機能において重要な役割を果たすことを論じています。彼は、遊びが単なる娯楽や時間つぶしではなく、真剣で深い文化的意味を持つものであることを示しています。 遊びの重要性  ホ

        • 自由で人生に不可欠で時限的な「遊び」

           今回からホイジンガの「ホモ・ルーデンス」を読んでいきます。今回は、「序章」と、「1. 文化現象としての遊びの本質と意味」です。序章の中で盛んに、ホイジンガの講演タイトルについて、「文化の遊び」とすべきところを、「文化としての遊び」に変えられて困ったという話が出てきます。この章のタイトルは大丈夫? 面白さを本質とする非理性的な遊び ホイジンガは、遊びを生物学的機能ではなく、文化現象として捉えます。科学的な方法を手段として、その本質を捉えようとします。これまでの遊びの定義、「

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        Livable Proximity:近接の経済に向けて

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        記事

          カントの「判断力批判」をデザインから読み解く

          美を感じるのは人間だから カントは、表象(意識の中に現われてくるものやその内容)に対する3つの適意(快の感情)について議論する。その充足感の表現の違いを以下のように示す。 快適なもの → 満足する 心の傾きに関する適意 美しいもの → 意に適う 好みに関する適意 善なるもの → 高く評価し是認する、客観的な価値を認める 尊敬に関する適意  この3種類の中で自由な適意は、美に関する適意、「趣味」であるという。それは、感覚能力の関心も理性の関心も、わたしたちに同意を強制

          カントの「判断力批判」をデザインから読み解く

          きっと『政治学』を読まないとわからない『アリストテレスの世界観』

           前回はアリストテレスの「二コマコス倫理学」第9巻 愛(フィリア)について続き を読みました。最後の第10巻は幸福論の結論です。幸福に焦点を当て、人間にとって最高の善とは何かというアリストテレスの哲学的探究を深く掘り下げます。幸福に関するアリストテレスの言説は、徳、魂、人間生活における理性的活動の役割に関する彼の見解とニュアンスが深く絡み合っており、『ニコマコス倫理学』第10巻は、幸福の本質とその達成方法に関するアリストテレスの考えを集約しています。 最高善としての幸福 ア

          きっと『政治学』を読まないとわからない『アリストテレスの世界観』

          『時』に生きるイタリア・デザイン-3: 「倫理的な観点」から認識されるイタリアデザイン

           第2回で多様なものを統一していくイタリアデザインについてみていきました。それができるのは、多様な考えの中でも一貫している、反インダストリー、反大量生産といったデザイナーの社会を見る皮肉的(irony)な視点です。戦後生まれたラディカルデザインは、そのものがもつ本質を再発見することを目指しました。今回はその後のイタリアデザインの展開についてみていきます。 イタリアのポストモダン宣言 1980年のベネツィア・ビエンナーレには初めて建築部門が加わり、ディレクターのパオロ・ポルゲ

          『時』に生きるイタリア・デザイン-3: 「倫理的な観点」から認識されるイタリアデザイン

          『時』に生きるイタリア・デザイン-2: 「相違の中の統一性」を追求するイタリアデザイン

           前回読んだところで、1923年のミラノビエンナーレから1930年にトリエンナーレとなった後、1968年以降の開催が不定期になります。その後、2016年の第21回トリエンナーレから3年ごとに開かれています。この不定期になった部分が気になって、「4. イタリアのインダストリアル・デザイン、5. イタリアのインテリア・デザイン、6. デザイン空白時代」を読み進めました。 イタリア人にとってのデザインの意味 イタリアの建築家などが使うプロジェクトという言葉は、設計する・企画すると

          『時』に生きるイタリア・デザイン-2: 「相違の中の統一性」を追求するイタリアデザイン

          『時』に生きるイタリア・デザイン-1: 歴史が紡いだ文化と現在を繋ぎ、とことん遊ぶイタリアデザイン

           今回は佐藤和子氏「『時』に生きるイタリア・デザイン」の読書会初回で、「序、1. 1990年代。モダンクラシックの風、2. 1930年代のイタリア・デザイン、3. 敗戦からデザイン黄金時代へ」まで読みます。イタリアは20世紀を通じて、モダニズム、ファシズム期のデザイン、戦後の復興、1960年代のデザイン革命、ポストモダンデザイン、そして21世紀の現代デザインへと移り変わってきました。英国、北欧、アメリカと比較すると、イタリアのデザインはその時代ごとの文化的、社会的、経済的背景

          『時』に生きるイタリア・デザイン-1: 歴史が紡いだ文化と現在を繋ぎ、とことん遊ぶイタリアデザイン

          Dialogueこそ創造の源、書き言葉はその保管庫

           『ソフィストとは誰か』読書会最終回は、8章「言葉の両儀性ーアルキダマス『ソフィストについて』」、結び「ソフィストとは誰か」を読みます。前章まで読み進める中で、「ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないか、さらにはデザイン的な要素もあるのか」と、期待が膨らんできました。そして、ゴルギアスの代表的な弁論『ヘレネ頌』を読む中で、そのソフィストたちが残したものの最大の遺産は、哲学なのではないか?

          Dialogueこそ創造の源、書き言葉はその保管庫

          知性か快楽か?品位のある人に必要なもの

           前回はアリストテレスの「二コマコス倫理学」第8巻 愛(フィリア)について を読みました。愛には善に基づく愛、快楽に基づく愛、そして有用性に基づく愛の3つがあるということでした。今回はその続き第9巻 友愛(今回は、元の朴氏の訳本)です。 人間にとって大切なもの、それは知性?「二コマコス倫理学」第7巻 抑制のなさと快楽の本性でソクラテスが、生きていく上で、知に勝るものはないと考えていたことがでてきました。この巻には、アリストテレスも同様に考えていたことがわかります。  「ひ

          知性か快楽か?品位のある人に必要なもの

          どのようにしたら正しく生きられるか?相互の等しさを基本とする愛で答えは出るのか?

           今回はアリストテレスの「二コマコス倫理学」第8巻 愛(フィリア)について を読みます。愛には「善に基づく愛」、「快楽に基づく愛」、そして「有用性に基づく愛」の3つがあると議論を始める巻です。アリストテレスは、快楽に基づく愛は、一層本物の愛に似ている。なぜなら、愛のうちに自由人らしさが多く含まれているから、といいます。彼の考える愛を読み解いていきましょう。 愛は計算づく!等しい交換が基本善に基づく友人は「共に生きる」間柄である、で始まる第5章には以下の様な箇所があります。

          どのようにしたら正しく生きられるか?相互の等しさを基本とする愛で答えは出るのか?

          快楽のための技術はデザインだと、私は思う。アリストテレスは反対するけれど。

           今回はアリストテレスの「二コマコス倫理学」第7巻 抑制のなさと快楽の本性を読みます。「暇つぶし」から進化したBMX(Bicycle Motocross)は、遊び、快楽から生まれた新しい競技で、五輪に採用されました。この章ではアリストテレスは、抑制の中について科学的、客観的、普遍的な議論をしようとしています。が、最終的には、抑制のなさと関連が深そうに思われる快楽を排除することはできませんでした。逆説的な意味で、快楽、遊び、人にとっての有用性(、そのための技術であるデザインの大

          快楽のための技術はデザインだと、私は思う。アリストテレスは反対するけれど。

          ゴルギアスは何と戦っていたのか?それは、その時々の人々の魂

           『ソフィストとは誰か』読書会6回目、今回は6章「弁論の技法ーゴルギアス『パラメデスの弁明』」、7章「哲学のパロティーゴルギアス『ないについて』」を読み進めます。前章まで読み進める中で、「ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないか、さらにはデザイン的な要素もあるのか」と、期待が膨らんできました。前回は、ゴルギアスの代表的な弁論『ヘレネ頌』を読みました。しかし、実際のところ彼らは弁論を一時の

          ゴルギアスは何と戦っていたのか?それは、その時々の人々の魂

          Livable Proximity: Toward an Economy of Proximity

          Toward an Economy of ProximityThere is no reason to believe that modern industrial society will make a greater contribution to human happiness than the simpler, more humble societies that preceded it. On the other hand, there is also littl

          Livable Proximity: Toward an Economy of Proximity

          GDL-SDLの変容のためには思考・行動・エコシステムまで含むという発想が大事

           最近訳あってNewsPicksに戻ってきた。今日は、「富士通、モデル転換正念場 クラウドに軸、営業6割増益なるか」の記事にコメントした。  GDL-SDLの変容は、思考、行動の変容を伴うが、それを起こす組織のみではなく、その周りのエコシステムの変容まで考える必要がある。salesforceは、GDL視点ではアプリケーションレイヤーであったが、SDLでは、アセットとエコシステムを保持するキープレイヤーだ。変容を自組織のみでなく、周りのシステムまで認識することが大事。  こ

          GDL-SDLの変容のためには思考・行動・エコシステムまで含むという発想が大事