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ゴルギアスは何と戦っていたのか?それは、その時々の人々の魂

 『ソフィストとは誰か』読書会6回目、今回は6章「弁論の技法ーゴルギアス『パラメデスの弁明』」、7章「哲学のパロティーゴルギアス『ないについて』」を読み進めます。前章まで読み進める中で、「ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないか、さらにはデザイン的な要素もあるのか」と、期待が膨らんできました。前回は、ゴルギアスの代表的な弁論『ヘレネ頌』を読みました。しかし、実際のところ彼らは弁論を一時の遊びとするただのファイターだったようです。


はみ出しものゴルギアスの本性

 超クールな相対主義者であり、ニヒリズムなどの哲学の枠組みからはみ出しているソフィストの祖先ゴルギアスを総括して、納富氏は以下のようにまとめている。

 ゴルギアスにとって、学術的な議論も、法廷での論争も、哲学の学説争いも、すべて「説得」による魂の操作の例にすぎない。このようなロゴスへの見方を、専門領域の侵犯として退けたり、哲学的真理の冒涜として非難することに、はたして意味があるのか。

 『ソフィストとは誰か』p253

 プラトンがソフィストを目の敵にしたとしても、ソフィストにとっては単なる遊び相手の一人だったのだ。一方、民衆は、当時どちらかというと、彼らにとって役に立つソフィストの弁論術に熱狂したのだ。そうだからこそ、一層哲学を背負ったプラトンは、ソフィストを弾劾した。結果として、現在ソフィストに関する情報は限られたものになっている。ゴルギアスは、そんなことも、さして気にしないだろう。

ソフィストの時代の哲学

 ソフィストと生まれたての哲学者が競っていた時期の哲学は、今読み返してみると奇妙に感じる。エレア学派の創始者であるパルメニデスの「自然について」の一節では、

 彼は感覚をひとを欺瞞するものと考え、おびただしい感覚し得る事物を単なる錯覚として断罪した。唯一の真なる存在は、無限で分割不能であるところの「一なるもの」だという。

西洋哲学史 p56

 このエレア学派の哲学者たちの主張の争いを、面白おかしく批判したのが、ゴルギアスの『ないについて、あるいは、自然について』だったのだ。残念なことにその論説は奇妙で、私にとって如何しても説得されるようなものではなかった。しかし、大事なのは、その頃の哲学は、ゴルギアスに簡単に論破されるように相容れない多様な論調が溢れていた。そのため、いかに厳密に論じたとしても、奇妙なものには変わりがなかっただろう。

ソフィストが残したもの

 ソフィストに関する知識は、現在限られた研究者のみが保有している。殆ど、哲学者たちに駆逐されてしまったり、そもそものソフィストとしての生の弁論の戦い重視のため、書籍が残っていないことによる。しかし、そのソフィストたちが残したものの最大の遺産は、哲学なのではないか。同時期に、ソフィストという好敵手がいたことが、哲学に深みを増す効果があったのではないだろうか。

 もし(何かが)あれば、[A]あるものがあるか、[B]ないものがあるか、あるいは、[C]あるものとないものの両方があるか、のいずれかである。だが、[A]あるものがあることはなくーこれから示す通りー[B]ないものがあることもなくーこれから正当化するようにー、また、[C]あるものとないものがあることもないーこのことも教示するー。したがって、何もない。
[B-1]もしないものがあれば、同時に、あり、かつ、ないことになるだろう。というのは、ないものと考えられる限り、それはあることはなく、ないものである限り、今度はあることになろう。だが、何かが同時に、あり、かつ、ないことは、完全におかしい。したがって、ないものがあることはない。

『ソフィストとは誰か』p239

 ゴルギアスの『ないについて、あるいは、自然について』は、上の文章で始まる。いかにもいかがわしい、香りがする。相対主義者というよりも、どちらかというと皮肉屋だったのだろう。どこか、トランプの顔が浮かんだ。不幸なことに、また時代がソフィストを求めているということか。


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