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クールな相対主義者ゴルギアスの弁論は、役には立たない遊び

 『ソフィストとは誰か』読書会5回目、今回は4章「ソフィスト術の父ゴルギアス」、5章「力としての言論ーゴルギアス『ヘレネ頌』」を読み進めます。前章まで読み進める中で、「ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないか、さらにはデザイン的な要素もあるのか」と、期待していましたが、裏切られました。以下では、この2つの章で何か起こっているのか、説明しましょう。


ゴルギアスの生涯

 ゴルギアスは、シチリア島の東岸、レオンティノイに生まれる。60歳で祖国がアテナイに滅ぼされ、そこから放浪の旅を始める。放浪先で、講演し、それが評判となり、その語り方である「弁論術」を教授して授業料を取るソフィストになった。彼は100歳を超えるまで生きたと伝わる。

 ゴルギアスの育ったシチリア島は、ギリシャ、南イタリアの文化が混じり合い、BC 5C半にはギリシャの知的活動の中心となっていた。人が交流し、盛んに自然学、哲学、詩学などの活動が行われていた。レオンティノイの近隣で僭主政が倒れると、土知・財産の訴訟が起こる。そこで、法廷での技術である「弁論術」が生まれ、人に伝承されるようになった。

聴衆に対するサービスとしての弁論術

 弁論術の凄みを示すために取り上げられるのは『ヘレネ頌』だ。神の子とされるヘレネは当時の絶世の美女であり、スパルタ王メネラオスの妻であった。ヘレネは、アプロディーテからヘレネを妻にするようそそのかされていたトロイヤの王子パリスの訪問を受けた。ヘレネはパリスに魅了され、娘を捨てて、トロイヤまでいってしまった。これがきっかけで、トロイヤ戦争が起き、最後にはトロイヤは滅ぼされてしまう。メネラオスはヘレネを殺すことができず、結局祖国に連れ帰り、再び妻に迎える。この「悪女」といわれるヘレネを弁明するのがゴルギアスの弁論術である。

 ゴルギアスは、A.偶然・必然(神(>人間)の意図)、B.力づくで連れ去れれたのか(男>女)、C.言論によって説得されたのか(詩による共感)、D.愛のためか(愛→神にもどる)という、ありそうな理由(ここがまず問題)をあげ、ヘレネを助ける。Aについては、強い神に対し、人間は無力ということで、ヘレネを解放する。Bについては、不正に暴行され連れ去られたのならば、女は無実。Cでは、詩によって、魂を拐かしたならば、彼女に選択肢はない。Dにおいて、彼の肉体の前に愛に落ちたならば、それは神エロースの仕業だという。こうして、ヘレネは悪い評判から解放されるのである。

エロースは、神であり、男性(そして、男性名詞)であり、力を持つ。したがって、これまでの論理から、人間の女性であるヘレネに逆らう力はない。彼女は4度、非難を免れるのである。

ソフィストとは誰か?p190

さて、ヘレネへの非難をどうして正当と考えるべきなのか?もし愛に捕えられてか、言論に説得されてか、力づくで連れ去られてか、神秘的必然によって強制されて、彼女が為したことを為したのなら、どの場合でも責め(原因)を免れているのだ。

『ヘレネ頌』より、ソフィストとは誰か?p193

 大抵の男性は、納得するらしい。ゴルギアスも、彼の弁論を聞くアテナイの聴衆も、さらに著者までヘレネに一本食わされたのかもしれない、と思うのは私だけのようだ。きっと、ヘレネや、パリスに妻がいたとしたら彼女らは、「フフッ」、と笑うとのではないか。ようするに、男性は、聞きたいことを語ってほしいのである。しかし、これもゴルギアスの手の上での話で、ゴルギアス語る知の3タイプ、科学「不明瞭なこと」弁論術「大衆を悦ばせる説得」哲学「機敏な知性を競う意見の対立」から明らかなように、結局のところ弁論は、大衆を悦ばせる説得のためにあるのである。ゴルギアスは単にその目的を達したのだ。

ナルシスト向け、内弁慶の弁論術

 このゴルギアスの弁論術は、「ありそうもない」逆境に導く言論がその技術の核なのだと、著者は説く。少なくとも、過去の男性優位の社会においては、この論理が多少意味を持つ時期もあったのかもしれない。しかし、最初から男性あるいは外的の責任を議論する問いを立てたところで、結果は見えているのである。考えるべきは、なぜこのようなポンチのような講演録が、弁論術としてソフィストの食いぶちになったのか、そして熱狂的にむかえられたのか、である。

 ゴルギアスが素晴らしいのは、聴衆が(彼自身もだが)、か弱い女性であるヘレネをみたいのだ、と察知したところである。彼らは、男の言論の為すがままにされ、まったく無力なままにそれに従わされた女という構図を愛するのである。「彼の言論の怪しい魅力に悦びを感じない人がいるであろうか」と、著者は問う。ところが、彼らの予想とは異なり、感じない人はいる。ここで対象者から除外している、彼らが弱きものとして見下しているものたちには、心響かないのだ。

 あの時代に、なぜゴルギアスの弁論術として迎えられ、かれらがソフィストとして成立したのか?それは、野心を抱く多くの「男性の」若者たちを惹きつけたからである。怪しい魅力は、これらの特定の男性向けだったのだ。結果として、ゴルギアスは弁論術は他の人々を支配するのだと、語る。さらに、ゴルギアスにとって自由とは、他者に支配されず、他者を隷属させる強者の状態だという。まさに、この講演時の若者に取り込まれたゴルギアスは、自由を満喫していたのだろう。

 ただし、詩として語ることの重要性については、ゴルギアスに同意する。言論による説得のためには、ロジックではなくエモーション、共感であるということだ。

私は、詩とはすべて韻律をともなう言論であると考え、そう呼ぶ。詩を聴く人々には、恐れによる震えと、涙があふれる憐れみと、嘆きに満ちた憧れが侵入してくる。他の者たちの行為や肉体の幸運や不成功について、言論によって魂は何か固有の受難を被ったのだ。

『ヘレネ頌』より、ソフィストとは誰か?p183

多様化が乗り越える時代の行き詰まり

 ゴロギアスについて、少々非難めいてしまったが、一点拍手を送りたいことがある。それは、先ほどの詩として語ることの重要性に加えて、彼がこれを遊びとして行なったということである。第2回で、ソフィストが相対主義者であり、ゲームとして弁論を捉えていると、分析した。その通りで、この『ヘレネ頌』は遊びであり、聴衆もそのように捉えていたとしたら、それに目くじら立てる方が、どうにかしているのかもしれない。ただ、自分の人生を賭けるソフィストが遊び術を教え、それを習った若者が人生を遊びと捉えるのだとしたら、かれらの人生観はなんとドライなのか、とも思う。時には、心を入れた哲学的対話もいいのではないか。

 最近、哲学、アカデミアなどの世界がホモジニアスであり、かなり一方的な議論があると認識するようになった。これは、作用反作用のようなもので、一方に責任があるのではなく、お互いが成した結果である。

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