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ないものがたり

【エッセイ・小説】主人公たちと脳内バトルの日々。


会話のない物語を書こうとしてはや一時間。
ぴたりと止まった手は、徐々に冷えてきた。
冬を思わせる気温。
香り豊かなコーヒーもとっくに冷めた。
口に含むと苦味だけが広がる。
思わずため息がこぼれる。

いつもそうだ。
会話から始まり、会話で終わる。
そんなワンパターンを脱却したくて、自分にルールを課してみたものの、どうにも話が続かない。
登場人物たちが勝手に脳内で会話を始めてしまうのを、必死に押し止めて、情景を書く作業が続く。

「もういいだろ、しゃべらせてくれよ」

一人が我慢できずにしゃしゃり出てきた。

どうして彼は黙っていてくれないのか。
どうしておとなしく思考していてくれないのか。

私はまたため息をついた。

「幸せが逃げるぞ?」
からかうように彼が言う。

――最初から、ため息で逃げる幸せなんて求めていない。幸せは、自分の手で着実につかんでいくから。あなたたちに心配される筋合いはない。

「へえ、そうかい」と彼が笑う。
「お前は、俺たちにしゃべらせないなんてことは、できないんた。あきらめろ。ないものねだりは、よせ」

つい、ごもっともです、と言いそうになった。
確かに会話をさせないで物語を動かしていくのは、それなりの技術が必要だ。私には備わっていないのかもしれない。

冷めたコーヒーを飲み干す。
もう一杯、熱いのを淹れよう。
冷たい指としぼんだ心を温めよう。

そうしてまた、私は努力を続けよう。
会話のないものがたりを書くために。

「まぁ、せいぜい頑張れや」

消え行く彼の声は、どこか優しく私の脳に届いた。


#私のコーヒー時間

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