『荒地』を愛でる「チェスゲーム」 7
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Footsteps shuffled on the stair.
Under the firelight, under the brush, her hair
Spread out in fiery points
Glowed into words, then would be savagely still.
足を引きずり階段を歩く靴音が聞こえた
燃えさかる炎に照らされて 彼女が髪にブラシをかけると
毛先は火の色に染まって広がり
白熱は言葉になった それから粗野な静寂が訪れる
ここにはエロティシズムがあるように思う。
不具であることは一種の美学だ。
三島由紀夫の『金閣寺』がそうだ。
青年の間に皆が一度思ったことがあるだろうが、
車椅子に乗りたい、救急車に乗りたいと
私もおもったことがある。
きっと、ここでも健常であることを前提にした
エロティシズムなのだ。
健常者であるから障碍を一つ得たい。
このような欠損こそエロティシズムをかき立てる。
私たちが、女性の髪の毛の美しさに惹かれるのは
もしかしたら背徳なのかもしれない。
この瑞々しい黒髪を己が手で撫でてみたい。
そうした父性が私にあるように思う。
父性とは、誰を殺しているか未だ分からないが、
父親の美学とはなんだろうか?
仕事での出世、家庭での円満あるいは
子どもを育て上げる。
どれが父親の美学なのか分からない。
もし経験できるなら、
私の父の教育観を真似るだろうと思う。
三十路にもなるとただやりたいという気質はなくなる。
美意識が欠損を埋めたくなる。
欠ければ欠けるほど
充足してくれる母性を要求する。
彼女は私にとっての恋人だけでなく
私にとっての母になるのだ。
マリアは崇拝されるべきではないが、
美学にとって欠かせないのもまた事実だ。
明日もよろしく。
短歌やろー
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