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『荒地』を愛でる「チェスゲーム」 10

【毎日投稿中】【感想】

"What is that noise?"
 The wind under the door.
"What is that noise now? What is the wind doing?"
 Nothing again nothing.
             "Do
"You know nothing? Do you see nothing? Do you remember
"Nothing?"
 I remember
Those are pearls that were his eyes. 
"Are you alive, or not? Is there nothing in your head?"
                                                       But
O O O O that Shakespeherian Rag—
It's so elegant
So intelligent
"What shall I do now? What shall I do?"
"I shall rush out as I am, and walk the street
"With my hair down, so. What shall we do tomorrow?
"What shall we ever do?"
                                      The hot water at ten. 
And if it rains, a closed car at four.
And we shall play a game of chess,
Pressing lidless eyes and waiting for a knock upon the door.
「あの音はなに?」
 ドアの下から風が入ってくるんだよ
「いまもしているでしょ? 風はなにしているの?」
  なにもしないよ なんでもないよ
                                              「あなたは
「なにも知らないの? なにも気がつかないの? なにも覚えて
「いないの?」
 私は思い出す
その真珠は 彼の瞳だった
「あなた 生きてる 生きてない? 頭は空っぽ?」
                                                       しかし
おおおお あれは シェイクスピヒアリアン・ラグ
とても エレガントだ
そして インテリジェントだ
「いまからなにをすればいい? なにしようかな?
「このまま部屋を飛び出して 通りを歩いてみようか
「髪を下ろしたまま[怠惰に] 明日はなにをしたらいい?
「私たちは なにをすべき?」
               十時に熱いシャワーを浴びて
もし雨だったら 四時にセダンの車
そしてチェスに興じる
執拗に目を見開いてドアのノックを待ちながら

 会話が詩になる。
 チェスゲームはここが最高潮である。

 エリオットは、伝統・文化を大切にする詩人だけれども
 シェークスピアは、そんなに感心していないと読んだが、
 ここでは、シェークスピアのようなラグタイムと自嘲的に
 会話をみている。
 あまりにも詩的な会話は詩ではないというかの如くである。

 劇詩にも関心を持った作者は
 「会話」を「詩」にするということを私たちに
 見せしめている。

 英語が喋れたらこのラグタイムを感じてみたかった。
 ちなみに、
 私は現代長歌という「五七五七五七・・・七七」という
 律韻を重視している。
 会話も詩に取りこんでいる。

 なかなか認められないが、ほそぼそと
 やっていくしかない。

 明日もよろしく。
 短歌やろー

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