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命を頂いて命とする~恵みと犠牲~

こんにちは。こんばんは。
今日も天気が良くて暑いですな~よww

ボクはこれから46時間ぶっ続けの抗がん剤投与に入ります。
とはいっても先ほどまでの点滴タイプではないので、ラクなんですけどね。

今回は、人は命を頂いて生きているのだから、その犠牲と恵みに感謝しようという事について話したいと思います。


今日ボクがこのタイトルで話をしたいと思ったのは、いま一度『命を頂く』という事を考える必要があると思ったからです。
あとは自分が癌を患っているから、今まで以上に命のことを考えるようになったというのも関係しているのかな。

命を頂いて生きているという事は、ボクたちがずっと言われ続けてきた教えでもあるわけです。
だから食事の時に「いただきます」「ごちそうさま」があるのだと。

至ってシンプルで分かりやすい教えではありますが、自然の恵みに感謝することの大切さも同時に考えさせられます。

人間が生きていられるのはナゼですか?
こうしてボクたちが元気でいられるのはナゼでしょう。

ボクたち人間は『命を頂いて命としている』
この事があるからこそ、また地球すべての恵みがあるからこそ、今日もこうして生きていられるわけです。


なんだか当たり前のことを言っているだけだと思いますか?
今日ボクは生きる仕組みについて話しているのではありませんよ。

普段の食事は3食とるのが当たり前だと思っていますか?

お肉やお魚、野菜などの食材が手に入るのは買えるからといって当たり前だと思っていますか?

「おいしい~!」と言えるご飯が食べられることも当たり前ですか?

こういった問いを自問自答してみた時、自然の恵みに感謝することだけでなく、人間が生きる為の『命の犠牲』を考えなければいけないと思いました。
そして深く知る必要があると感じました。


食肉となる動物や海の幸となる魚貝などは、人間の食のため・生きるための犠牲になってくれているのです。
人間と同じく尊い命には変わりないのだけど。
だからこそ無駄なく頂かなくてはならないのです。

野菜や果物に関しても同じです。
太陽や雨などの恵みがあって、さらに栽培・収穫があって、それでようやく食となります。
結果的に野菜や果物の生命を頂いているわけですよ。

大地や海の恵みがあることに感謝しつつ、それに伴う「命の犠牲」というものも並行して考える必要性があると思います。
しかも今あると思います!


昨今では世界中で食糧危機の問題が考えられているし、あちこちで起きている戦争を見れば一発でわかります。

命を頂いて命としている人間が最も考えなければいけない事は、まさに命のことです。
というより、いま考え直さなければいけない事だと思います。
ボクたちは今一度いのちの大切さを、その尊さと儚さを思い知るべきなんです。

恵みと犠牲。感謝と尊さ。生と死。
いのちいのち言っている人間こそが命を粗末にしてるのでは?

分かっていないのは、むしろ人間の方ではないですかね。
だから今ボクたちが考えるべきは『命』なんです。


それでは今回はここまで。また次のお話で会いましょう。









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