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私の背中を押すのは、いつも恐怖心

こんにちは。
Made in Walesのモノを集めたセレクトショップ「Cymry(カムリ)」です。(現在、開店準備中)

田んぼが広がり、コンビニまで車で10分。住んでいる地域のコミュニティ結束がまだ強く、帰ってきた時間まで把握されている。父も母も、周りのご近所さんも地元出身で一度も県外へ出たことがない。そんなドがつくほどの田舎の閉鎖的環境で育った私は、おそらく中学1年生くらいの時に、ふと「このままここで生きて死ぬのか」という恐怖に襲われました。それまでもうまく言葉に言い表せないのですが、家族で過ごしていたりすると、そこに縛り付けられているような、この場から逃げ出したくなるような、心がツーンとすることが多々ありました。せっかくこの世に生まれたのに、この地域の人しか、私という存在を知らない。それで一生終わっていいのかな。
世界の人々よ!私はここにいるのー!」
と叫びたいくらい、閉塞感と焦燥感を感じたことを、今でもはっきりと覚えています。それが、私の海外への興味の第一歩でした。

そんなことが、大人になってからも心の奥底の方に沸々としていて。意気揚々と高校を卒業し家を離れ、大学から東京へ出て、社会人として働いていたのですが、なんだか物足りない。故郷を出られたんだから、次は日本を出たいな、と「海外で暮らしてみたい」という密かな野望を持っていました。その中で浮上した、地方へ嫁に行く話。また、私の恐怖心が再登場して、前回の投稿で書いたようにイギリスへ行くことを決断しました。

海外へ行く際の、一番大切なもの

当時、社会人8年目でしたが、正直遊びまわっていて全然貯金がなかった私にとって、海外へ長期でいく手段はただ一つ。ワーキングホリデーしかありません。どこへ行こうと考えたときに、カナダやオーストラリア、ニュージーランドという候補もありましたが、ふと思い出したのは、短大時代にゼミの担任だった恩師が言っていた「ただ海外へいきたいだけでは意味がない。その先の目的を持っていきなさい。」という言葉。そこで、私が一番熱心に取り組んでいた“トレイルランニング”を目的にすることにしました。そうなると、イギリスは、トレイルランニングの歴史が日本に比べるととても長く、そのカルチャーを実際に体感することができるし、同じくトレイルランニングが盛んであるフランスやイタリアなどの欧州の国々にもアクセスしやすく、最適だと考えました。

※私のトレイルランニング目線での英国滞在記を、トレイルランニングのWebマガジン「grannote グランノート」さんに寄稿させていただいているので、ご興味のある方はぜひこちらも読んでみて下さい。

熾烈なイギリスワーホリ抽選

ワーホリ当選通知を握りしめ、VISAを受け取りにロンドンの郵便局へ

ただ、イギリスのワーホリに行こうと決めてすぐに行けるわけではありません。カナダやオースラリアなどはワーホリの入国制限はありませんが、イギリスのワーホリは、YMS(Youth Mobility Scheme)と呼ばれ、年齢制限は30歳まで。さらに毎年1000名人数しか受け入れておらず、抽選で当たった人しかいけないのです。何回も落選したという話を聞きましたし、実際3回落選してニュージーランドへ変えたという友人もいました。なので、本当にこれは運が良かったとしか言えませんが、私は30歳という年齢制限ギリギリで応募して、ビギナーズラック!?で当選することができました。抽選する秘訣はあるのだろうか?と振り返ってみると、完全に個人的意見ですが、「貯金額」が関係しているのかなと予想します。現在はわかりませんが、当時YMSへの応募は銀行の残高証明の提出が必須でした。私の貯金額がそんなにたくさんあったとは言えませんが、おそらくワーホリへ応募することが多いと予想される層(大学生やフリーターの方々など20代前半?)の方々よりは少しだけ多くあって、イギリス側からしても、YMSで入ってきた日本人にはできるだけ多くお金を落としてほしいわけなので、抽選と言っても、どれだけ貯金額があるかを基準するということは考えられるように思います。(本当に全く、個人的見解です。)

と、今回もウェールズまで全く辿り着いていませんね。。
noteでは、私がCymry(キムリ)を始めようとおもうに至るまでの話を、自分の備忘録としても残していきたいと思っているので、ぜひ気長にお付き合いいただけると幸いです。


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