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クリープハイプ 「ごめんなさい」

ドラマ「半沢直樹」が予定よりも撮影スケジュールが押し、一週休みになったことを生放送で主演の堺雅人が必死に謝っている。毎週、ほぼ無料に近い媒体であるテレビで、あんなにも素晴らしく面白いものを見させてくれているのだから謝らなくていいのに。



小田急線が今日も遅れた。10分程度の遅れで、各駅停車に関しては元々10分置きに走っているから、同じような時間に乗ることができたし、到着時間も変わらなかった。だけれど、ホームでも車内でも駅員さんが丁寧にお詫びの言葉をアナウンスしている。私は、すぐに遅れてしまったり風や雨に弱いそんな小田急だって愛しているのに。



バイトに行った。しかし店が空いていなかった。社員に電話すると、臨時休業の日で、シフトがなくなったことを連絡し忘れたらしい。翌日、深く頭を下げ謝ってもらった。普段からお世話になっているし、こんな売り上げもなく、先行きも見えない時代の中で私だけを使ってくれているのだから別に構わないのに(本当はブチギレた)。




その店で充電コードを盗まれた。知っている人間の中にそんなことをするやつがいることを残念にも思ったし、そんなもんだなとも思った。盗まれるのに、形しかないモノは私の中ではまだマシだ。実態のないお金とか、気持ちとか思い出とかそういう情が篭っているモノじゃなくてよかった。だけど、また社員さんが謝ってくれた。あなたが謝ることじゃないのに。




電車で座った隣のサラリーマンが寝た。案の定、私の右肩に慣性の法則で彼の頭がもたれかかってきた。ちょっとそのままにしておいたら私の肩を通り越し、彼の上半身はL字に曲がり始めた。「あ、ウンチョコチョコチョコピーみたいだなぁ」って思った(分からない人は結構)。スマホの画面にサラリーマンの身体が覆い被さってきたところで、死にかけていた蝉みたいな俊敏な動きで彼は起き上がった。寝ていた時の記憶があるのか、まだ側頭部に私の温もりが残っていたからなのかわからないが小さな声で「すみません」と言われた。別に今日は気分も良かったから軽くお辞儀をして返した。数分後、気付けば彼はまた私の手元のスマホを隠してしまうくらいのところまでウンチョコしてきていた。いっそ私もウンチョコしてしまえば良かったのに。




クリープハイプ 「ごめんなさい」


歌詞について語るというエッセイを書くにあたり、絶対に避けては通れないのはクリープハイプ、尾崎世界観さんの歌詞だ。

私自身、大きな影響を受けているし、何より言葉選びの上手さ、大胆さ、たまに出る言葉遊びなんかもどれもがオリジナルで、昨今のバンドシーンの歌詞市場を一気に底上げしたと言っても過言ではないだろう。

誰が見たって素晴らしいものであるクリープハイプの歌詞。だからこそあえて今回は「ごめんなさい」という楽曲について触れていきたい。


何が「あえて」なのかと言うと、この楽曲の作詞作曲はクリープハイプでベース/コーラスを務めている長谷川カオナシさんなのである。


長谷川カオナシさんは元々、初期クリープハイプの一ファンであり、バイオリンやギターを使いながら歌うシンガーソングライターであった。

その楽曲をバンドでアレンジしたのが「ごめんなさい」。曲中、尾崎さん以外の方が歌唱されているが、これが長谷川カオナシさん

クリープハイプのアルバムでは必ず一曲は長谷川さんの楽曲が収録されている。これだけでも分かる通り長谷川さんの楽曲もクリープハイプの一部であり、素晴らしいシンガーなのだ。



「ごめんなさい」はインディーズ時代の名盤「踊り場から愛を込めて」に収録されている。

「今日はちょっと言い過ぎたかなぁ 僕がちょっと子供だったかなぁ」

冒頭から最後まで、この楽曲では語り手が終始頭の中で思っていることがつらつら並んでいる。

Aメロでは、具体的ではないその日の後悔が並ぶ。日々の中で、わりかしみんな気づいている「イライラの犯人は自分」ということに正直になることで、語り手はもっとやり場がなくなっていく。

後悔というのはよくできていて、絶対にその時には気付けないものだ。恥ずかしいこととか悔やみとかはだいたい後から気付いて、いきなりそこに現れる。集団で遊んでて1時間くらい経った時に「あ、そういえば今日お前いたな」って奴。

でもそんな奴は決まって、いるのに一度気付くと存在感がすごいし鬱陶しい。黙っているだけで面白いとか本当に卑怯な存在の仕方をしているものだ。

無視をすると居心地が悪いし、かまってみると長い。扱いづらい奴だよ、まったく。



サビで語り手はこの後悔に「ごめんなさい」という言葉で方を付けることにする。

「ごめんなさい」は歌詞にはあまり使われない日常言葉、いわゆる口語である。文字数も長いし、「ごめんね」とかはよく使われるが「なさい」が付くと雰囲気が作れなくなる、要するにかっこつかなくなるのだ。

ただ、日常の柔らかいところが溢れる言葉でもある。

後悔したこと、あの時言えなかったこととか、それに素直に謝るときにかっこなんてつけてはいけないのである。子供の時に教わったのとそのままに「ごめんなさい」って言わないとそれこそまた後悔が重なっていく。



最近、色んな人に謝られた。こうして書き連ねていると私は同じくらいちゃんと謝れているのか不安になる。

一日生きていれば、誰か一人には迷惑をかけているし、1ヶ月生きていれば大きな間違いだってしている。1年生きていれば、もうそんなこと忘れている。

そうして、もう言う相手すらいない「ごめんなさい」をたくさん抱えて、たまにうっかり思い出したりしてしまうのだ。


謝って済むなら警察はいらないけど、謝って済むのならその方がいいな。


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