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"私とコミュニティの話"連載Vol.5<成田範之さん>

「私とコミュニティの話」連載第五弾!

暮らしのサービスcircleでは、‘‘人と関わり合いながら暮らす‘‘ことについてお話を伺う連載、「私とコミュニティの話」をお届けしています。

今回は、パーソルダイバース社で組織開発/人事の仕事に従事されながら、大学講師やパラスポーツ、地域振興の活動など多岐にわたってパラレルに活動されている成田範之さんからお話を伺いました。

今回お話を伺った方

成田範之さん
学習塾の室長からキャリアを始められ、人材系大手パーソル社へ転職。
人材派遣の営業、キャリアアドバイザー、アウトソーシング事業などを経て現在パーソルダイバース社にて人事・組織開発に従事。
本業のみならず、大学講師や福祉活動・パラスポーツ、災害復興支援、地域活性化の活動にも取り組み、父として育児にも励んでいる。

人間としてカッコいい、「イケオジ」になりたい

ー本業の組織開発・人事のお仕事だけでなく、地域活性化のお仕事やパラスポーツ・福祉の分野、はたまた大学講師のお仕事まで・・・とにかく成田さんはまさに”副業”を超えて”複業”を体現されている印象です。

自分の仕事や活動場所を分散しなければ!と意図的に思ってそうした、というわけではないんですよね。僕としては、自分が生きていく、生き抜いていく上で必然で、僕にとっての『生存戦略』だったんです。

ちなみに、最近の話で言うと三線の免許を取ったんですよ(笑)
友人が茶道を始めて、「師範になる!」と話していたのを見て、「ああ何かカッコいいな!」と。(笑)

年を重ねれば重ねるほどモテなくなるし(笑)、渋くて深みのある「イケオジ」になっていきたいぞ!と考えて、調べて行ったところ「コレだ!」と。(笑)
90代くらいのおばあちゃんなんですが、先生に2人もついてもらって、弟子入りして(笑)学び始めました。
そして遂に免許が取れたので、僕の肩書には「古典音楽家」というのがまた増えましたよ(笑)

色んな『肩書き』を持つ成田さん!

『社会出世』という生き方がある

ー成田さんが、今の複業的な生き方・働き方に行きつくまでの経緯をぜひ教えて下さい。

僕はまず学習塾に入り塾長を務める、という形からキャリアが始まっています。教育、生徒さんへの指導というのは凄く良い仕事だったんですが、塾は生徒が学校が終わった後に始まるので、夜型の仕事なんですよね。
ちょっと体がもたないかもな~と思うようになり、転職を考え始めます。

それで転職して始めたのがパーソルでの仕事です。パーソルキャリアでキャリアアドバイザーお仕事や派遣営業の仕事をするようになりました。
そんな時、リーマンショックが来まして・・・。求人をご紹介する仕事なのにご紹介する求人がないという状態に。会社自体も倒産の危機と言えるくらい大変な状況になりました。合わせて、僕自身は急にグループ会社に出向することになり、やったことのない飛び込み営業をやる羽目に。でも、社会全体の状況がリーマンショックで苦しい不況だったので、希望しない業務配属になったからということで社外に転職することも憚られ・・・。そこで新規営業を経験した後、再度パーソルに戻りました。

ただ、更にその先がまだあるんです。パーソルに再度戻ったタイミングで、派遣法改正の話が当時出てきていまして・・・会社としても人材派遣の事業の雲行きが怪しいのでは、となり、パーソルの中でも今度はアウトソーシングの事業のほうに飛ばされることになりました(笑)
なので、僕にとってみれば、ほとんど「自分で」キャリア選択をする間もないまま気づけばIT領域の方に次は飛び込んだ、という感じになります。

そこで引き続き営業の仕事をやることになったんですが、どうやら自分の気持ちと反して向いていたようで(笑)成果がどんどん出たんですね。
マネジメントも任されるようになり、管理職になりました。

だけど、自分の気持ちとはまた違って、というところで、無理はしていたんです。今度は体調を崩してしまいました・・・。ここで、他の方からの期待を受けて、頑張って応えられるようにとやってきたけど、それで体を壊すようであればやっぱり「やりたいことをやったほうがいい」のではないかと思うようになり。復職のタイミングで、「自分は人事をやりたい」と自分から申し出て、組織開発・人事のお仕事をやらせていただけるようになりました。また、大きな組織で歯車のように動くのは嫌だったので、どちらかというと小さい組織で立ち上げから動きたいと相談させていただき、それで今のグループ会社で組織開発を担うようになった、という経緯になります。

今は、冒頭でお話しいただいた通り、組織開発、人事、障害者雇用というのは本業で勿論やっていますし、所属しているパーソルグループでもほとんどの人材領域を経験してきた、という状態です。
自分がボクシングをずっとやってきたということもあって、障害者支援と絡めてパラスポーツの分野、福祉の領域でも活動を行っています。
妻の出身地域とも接点ができて、熊本の地域振興の活動も行うようになりましたし、田町で占い師の活動もしていました(笑)
大学講師の仕事もありますし、子どもがいますので育児もやっています。

ボクシングボランティアに取り組んでいるときの成田さん
奥様の出身地域の熊本で、復興支援や地域振興の活動も行われています
大学で講義をしている時の成田さん

振り返ってみると僕としては、リーマンショックを受けて会社が倒産の危機となったり、体を壊したりと、自分の努力ではコントロールできない変化を受け、「あの時死んでいてもおかしくなかったかもな」という経験を何度もしてきたことから、1つのことに依存する怖さ、恐怖心というものを誰より感じているほうだと思っています。だからこそ、1つの会社・活動にコミットして所謂『社内出世』を目指していくような生き方ではなく、「社会出世」というのを生き方・働き方として大事にするようになったんです。

色んな「はたらきかた」を経験して。”ゲートキーパー”という道を選んだ

お伝えした通り、僕は色んな活動に取り組んできたという事もあり、色んな「はたらきかた」を経験してきたと思っています。

一つは「自由人」という生き方。中小企業やベンチャーで勤務したり、個人事業主として独立して活動したりなどがこれにあたるのかなと思っています。僕も色々取り組んでいるので、「独立しようかな」と考えたこともありました。でもそこまで不安定さやリスクは自分には取れないなと。

もう一つは、所謂「組織人」としての働き方です。大企業の会社員などですね。安定さはありますが、不自由さはやはりあります。

僕は、両方経験してみた結果、どうやら『ゲートキーパー』というような存在になっていたということなんです(笑)
いわゆる、会社勤めをしながら副業的に色んな活動をしている人のことですね。時代の流れ的に、社会の動き的に、やっとこういった活動の仕方に日の目があたってきた、というところでしょうか。現在こういう動きをする方は凄く増えてきているかと思います。

成田さんが整理した、「はたらきかたの種類」

『ゲートキーパー』的な動きをしていると、「会社勤めと独立のいいとこどりでいいね」という風に言われたりします。でも、決してそんな簡単な話ではなく、ゲートキーパーの僕としてはそれなりに不安を抱えながら生きています。例えば、同い年の人を見て、「もうちょっと上の役職になれていたりしたのかな、年収が高かったりしたのかな」と思うことも正直ありますし、「もうちょっと、”本業”を頑張っていても良かったのかな」と思うこともあります。

また、常によぎる自分の”中途半端感”と、その不安もあります。例えば、三線を習いに行った話を最初にしましたが、三線なら三線でその道のプロフェッショナルがいるわけです。パラスポーツであれば、スポーツの道としてそこに人生を懸けているアスリートがいるわけなんですが、そこまで覚悟や熱意を持てるわけではない。常に不安がよぎってはいます。

後は、出る杭は打たれますねということ。僕は、何に取り組むにしても、お金になるまで真剣に取り組むようにしたり、その分野でメディアに載るまではやるなど、一つ一つに真剣に取り組んでいるということはアピールするようにはしていますが。

着たい服と似合う服。色んな服を着て、そして脱ぎ捨てて

僕が社内出世より社会出世、と考えるようになった最初のきっかけはやはりリーマンショックですね。会社の中で認められて仮に出世したとしても、会社自体がゼロになってしまっては意味がない。「社会で通用する人になりたい!」と強く思うようになったのがきっかけです。どちらかというと自己防衛からなんですよね。この時から社外の勉強会などにも積極的に参加するようになりました。

とはいえ、リーマンショックの際に急にグループ会社に出向になり、希望していなかった営業の仕事を始めざるを得なかったのも、実は悪いことばかりではありませんでした。僕は学習塾の仕事からキャリアを始めたということもあり、どこかで「自分は教育系の人だよね」と自分で自分のことを思っていた時期がありました。でも、いざ営業の仕事を始めてみると、営業の仕事の方が全然向いていることを発見したんです(笑)

この時から、「自分で自分の可能性を限定しないのは大事だな」と考えるようになります。やっぱり「着たい服と似合う服は違うよね」という話なんだと思ったんです。
例えば、僕の場合、人事という仕事は「着たい服」ではあるんですが恐らく「似合う服」ではないんですね。(笑)
逆に、営業という仕事は「着たい服」ではないが「似合う服」なんです(笑)
と思ったときに、今人事と営業という2種類の仕事の話しかしてないですけど、もっと世の中に僕に「似合う服」や「着たい服」ってあるんじゃないかな~と思ったんです。

だから、色んな事を取り組んでみているのも、色んな服を色々来てみてるという感覚。あとは、最初に「いま~のような活動をしています」と何個かご紹介しましたけど、それは上手くいっていることや続いている事しかお伝えしてなくて、本当はもっと色んな服を着てみてるんです(笑)
色んな服を着てみては、「これちょっと違うな~」となって何回も脱ぎ捨てて。それを繰り返しているっていうだけなんですよね。

何か一つに振り切れない自分が、本当は悲しかった

営業の仕事をやるようになって、成果が出てマネジメントも担うようになって給料が上がった時に、「あ、やっぱり社内出世ってイイじゃん」と思ったこともありました。
でも、お伝えした通り、周囲の期待に応えようとするあまりメンタルをやられてしまって休職・降格することに・・・。やっぱり自分は「社会出世」を目指す方がいいんだろうなと、改めて思いました。

組織人になり切れなかった僕は、前述したいわゆる「自由人」としての道も模索しました。知り合いのベンチャーの社長さんとやり取りし、お仕事を手伝ってみたり、独立を検討したり、色々考えました。でも、ベンチャーや独立の道に行くほど振り切ることはできずに、相当悩みました。

悩んだ僕は、悩んだ末「どっちもやるぞ!」「どっちも目指すぞ!」という行動に出ました。なので、色々やっていたんですが・・・そうすると、ファンも増えるんですが、やっぱりアンチも増えるんですね。「組織人のくせに好き勝手やっている」と批判されたり、本業で企画提案しても全然通らなかったり。そんなことばかりでした。

今であれば、副業・複業の推進が世の中としてあったり、色んな事にマルチに活動している人を見て素敵だなと感じる人も増えていると思いますが、十数年前の話ですからね~。まだ世の中的にもそういう動きは受け入れがたかっただろうし、妬まれていた部分もあったと思います。

しばらく、突っ張って生きていましたが、やっぱり当時は自分の生き方が否定されているようで辛かったですし、何か一つに振り切れない自分が悔しかったですし悲しかったです。何をしても中途半端になるような気がしていました。本当は何かを極めたかったのにできなかった。結局、組織人にも自由人にもなれなかった。でも、意外と世の中そういう人が多くいるという事も知りました。

パラレルキャリアという”未来の生き方”

そんな時、大学の先生に出会って「パラレルキャリア」という考え方を知りました。どうやら僕の生き方は「パラレルキャリア」であり、『未来の生き方』であると先生が教えてくれたんです。パラレルキャリアの考え方の中には、家と会社の往復だけでは発想が貧弱になるのでサードプレイスが重要であるとか、緩いつながりをたくさん持っているほうが心身が健康になりやすいとかいろいろポイントがあるのですが、まさに昨今やっと注目されるようになってきたことばかりですよね。

自分の生き方は『未来の生き方』だったのか・・・!

ただ、このパラレルキャリア、結構大変さもあって。1つ1つでお金を得られるようになるまで、時間もかかりますし。最初、『パラレルキャリア』という考え方で自分を捉え直した時、本業とちょっと2つ3つ副業を兼ね合わせて、自分の関わる先も収入も大きくしていけたらいいかな?と考えたのですが、意外とこれが自分には合わなくて。

考えた結果、ドン・キホーテのロングテールビジネス」の発想に行きついて!自分は売れ筋を決めて2,3個で勝負するより、100個小さく色んな事にトライして、それぞれから売り上げを得るようにするのが良いのではないかと。ヒットした商品がいつまでもヒットし続けることもないわけですし、そのほうが変化にも柔軟に対応できるし、自分が今まで悩んできた自分の”中途半端感”も逆に活かせるんじゃないかって思うようになったんです。

また、”ワークライフシナジー”も意識するようにしました。以前は社内での仕事と社外での活動を隔てていた部分がありましたが、もっと「社内での経験が社外での活動にこんな風に活かせるのではないか」「自分が社外で取り組んできていることが、社内でこんな風に還元できるのではないか」という視点を持ってやるようにしました。これを意識して色んな事に取り組んでいくことで、社内でも異端児感が薄まり、アンチが減りましたね(笑)

とはいえ色んな事に取り組んでみたり活動を広げていくときの基準として、興味を持ったことは何でも!というわけではなく、「公共性、社会性があるテーマである」ということは大事にしています。家族など周りの方の共感や協力を得るうえでも、大事ですし。公共性、拡張性が大切で、それに取り組むことによって利益が出そうかどうか?は一番最後って感じですかね。

自分の話をしていますか?

ー一般的には、色んな方を見ていると、「自分の居場所はここしかない、ここでうまくやっていけなかったら終わりだ」と思い込んでしまって苦しくなってしまったり、成田さんのように苦しくなっている際に自分なりに考えて新たなアクションを取るというよりは、沈んでいってしまう方の方が多いんじゃないかな、と思っています。そういう方はどうすればいいんでしょうか・・・?

うーん。僕も転職支援など仕事でやってきているので思うんですが、そういう時は「迷っているんだったら動かないほうが良いよ」って逆にそう声をかけています。動くか動かまいか、迷っているくらいであれば目の前にもうちょっと集中してみてもいいんじゃない?と声をかけることが多いですかね(笑)

仕事にせよ他のことにせよ、新たな外の場所に出ることにリスクが無いなんてありえないんです。必ずリスクが伴いますから。やっぱり腹を決めないといけない。それができないのであればまずは今に集中してみてもいいんじゃないの、と。

でも、それだけではなくて、思う事としては、「自分の話をもっとしなよ」と声をかけたりしますね。「あなたは、自分が悩んでいることを、苦しんでいることを、こういうことが悲しかった~ということを、実はこういう事に興味がある~ということを、ちゃんと誰かに話し続けていますか?」という事なんです。

悩んでいると、どこかに正解を求めて、誰かを自分の参考にできないかと探して、人の話を聞きに行くこともあると思います。それ自体は良いと思うのですが、自分にとっての完璧なロールモデルなんてなくて、最終的には自分で選択して自分で進んでいかないといけない。他の人の話を聞くことも大事だけど、自分の考えや心情をもっと話してみること、打ち明けてみること。そうすれば意外と誰かがちゃんと耳を傾けてくれたりするし、ヒントをくれたり、何かを繋いでくれたりする。それを模索していく上でも、「自分の話をする」というのは大事だと思っています。

ー「自分の話をする」うえで、重要なのは最終的に”勇気”だと思いますか?

勇気も大事ですが・・・「自己開示」って言葉がありますが、僕凄く重い捉え方をしがちな言葉だと思うんですよね。凄く重いことを打ち明ける時に使うような印象の言葉で。

そうではなくて、もっとかろやかに「自己表現」で良いと思うんです。些細なことでいい。まずは「~のドラマが面白い」とか、「~が最近嬉しかった」とか、「あの芸人さんが面白かった」とか。そういったことから感じたことを人に共有していく。そこからじゃないんでしょうか。

ー日々の些細なことから、自己表現、ということですね!
成田さん、今までのエピソードから今の活動に至った考え方の経緯など、素敵なお話を本当にありがとうございました!

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