つくばを、世界で一番熱い(コンピュータビジョン研究の)場所にする
「cvpaper.challengeって、コンピュータビジョン部と言っても良いよね?」ー現LINE Computer Vision Labの井尻氏(当時オムロン、オムロンサイニックエックス)より
言い得て妙、である。今やCV, NLP, Robotics分野も含めたxpaper.challengeは1,000名を超えるサーベイメンバーが参加し、そのサブコミュニティであるcvpaper.challengeの研究メンバーは2021年12月現在で70名にまで到達している。そして、その中心は学生メンバーにより構成されている。2021年までにも、学生メンバーが主著として執筆した論文がCVPR/ICCV/ICRA/IROS/WACVに採択されている。これらの国際会議採択は、この分野にいる研究者なら誰もが業績として欲しい、言わば研究者による世界大会へのチケットなのである。ここまでのアドベントカレンダー(AC)をご覧になった諸氏ならお気づきであると思うが、学生が研究コミュニティに入る際にはゼロから始めていることが多い。つまりcvpaper.challengeは、(言い方を選ばないのであれば)普通の大学生・大学院生がコンピュータビジョン部に入部し、世界大会を目指し、プロの研究者となり、さらには世界でも一握りのAIスターとなるために日々鍛錬している、という構図なのだ。しかもこれを数年で実現する。さらに我々は本気でトップ国際会議でも受賞する(言い換えるなら、世界大会でメダルを獲得する)意気込みで研究し、次世代の技術トレンドを創出しようとしている。
はじめに | アドベントカレンダー(AC)企画について
まずはACの振り返りから。cvpaper.challenge ACの構想について、実は数年前のけいひぐ氏による研究留学AC(2017 / 2019)、特に2017年版を拝見してから「我々も何かやりたい!」と密かに思ったことが発端となった。しかし、当時は論文投稿するものの、我々の論文は中々国際会議のフルペーパーレベルに通らず、諦めてワークショップに投稿することも多かった。まずは25人分のストーリーを揃える「壁」があったことが、2021年まで踏み切れない理由であった。
それから4年、幸いにもcvpaper.challengeは途中で終了することもなく、毎年2回の論文読破チャレンジを乗り越えるごとに鍛錬され、毎年数十本以上の国際会議論文投稿をする知的体力が養われたわけである。当然ながら投稿する本数も増加するにつれ、採択される本数も増えてくる。我々はクレイジーな取り組みを集団の力で無理なく実行、CV分野の今を映しトレンドを創るための挑戦を蓄積してきたわけである。挑戦(チャレンジ)がストーリーになり、その積み重ねこそがcvpaper.challengeなのだ。晴れて25人分のストーリーを揃えることができた(※1)。
なお、ACの企画自体は福原くん(エクサウィザーズ株式会社 / 早稲田大学)にもご協力頂き実現できた(記事内では親しみを込めて〜くんと呼ぶこともあるがご了承頂きたい)。cvpaperのHP作成・更新やPRMU連携の研究グループリーダーも担当してくれており、最近の発展に間違いなく貢献してくれている。感謝。AC自体は、片岡が発案、企画の大枠作成、著者候補選定・連絡の担当、福原くんはACの作成・管理・更新という役割分担でここまで進めることができた。更新日をうっかり忘れることが確実な私とは裏腹に、リマインダや更新を進めてくれる福原くん。これで研究もあらゆる分野をカバーし、開発も会社側でどんどん知見を吸収しているくらいには完璧なので、見習うべきことが多い。
※1 泣く泣く今回のACでは紹介できないストーリーがあったことは想像に固くないであろう。論文としては外に出ているものの、その舞台裏をどこかで披露したいものである。
cvpaper.challenge創設時の話(片岡視点) | 2015/05 - 2015/08
始まりのストーリーは「CVPR2015の602論文を完全読破」することだった。今でこそ集団のパワーで圧倒的ともいえる量の論文を読み知見を蓄積し続けているが、当時は全11名(内訳はポスドク: 1名→片岡、M2:2名、M1:4名、B4:4名)、うち論文を精力的に読んでいた主要メンバーは5名であった。当時の様子についてはAC初日宮下くんの記事でとても事細かに紹介されている。その後のCCC(cvpaper.challenge Conference) Winter 2021での講演でも「全部読むのはアホらしいと全員が認知」しつつも「みんなで絶望することによる一体感」を感じ「RPGのレベルアップに近い感覚」を頼りに進めていったと分析されている。当時、毎週土曜日に東京電機大学で1日かけてサーベイし、北千住のバーミヤン(今現在では閉店しているようである、伝説となってしまった)で宮下くん含む学生メンバーと夕食、つくばまで帰るのが0時過ぎだったというのを覚えている(なんだか青春してた)。今から考えても完全読破がなぜ続いたかは意味不明であるが、やはり言い出さなかったら始まらなかったし、宮下侑大という男がいなかったらcvpaper.challengeは続いていなかったであろうし、面白いことが起こる時には数奇な巡り合わせがあるものだ。
では、そもそもなぜcvpaper.challengeを創設して「CVPR2015の602論文を完全読破」するなんて言い出したのか?理由はいくつかある。(1) 自らも複数の研究室に在籍した経験からの大学研究室に対する改善案、(2) 直前のTUMでの経験、(3) 産総研の先輩の逸話あたりだ。潜在的には他にもあり、積もり積もった結果だと推察する。
(1) については、芝浦工業大学(学部3・4年時)・慶應義塾大学(修士・博士)に在籍する傍ら、知人の大学や大学院受験なども含め、多様な大学研究室を訪問していた。博士課程になると国内外の研究機関、カリフォルニア大学(博士1年時)、産総研(博士2年時; 当時はインターン生として)、TUM(博士3年時)に滞在。学会などでも先生方から研究室運営に関する話をよく伺っていた気がするし、この手の話には元々興味があったのだろうと思う。しかし、私の修士課程在学当時は第3次AIブーム以前の時代であり、今ほどの劇的な進展の最中にないこともあった。特に国内大学の研究体制や進め方は基本的に前年のコピーで進められていた。しかし2015年当時、すでに起こっている大きな流れに対応するには不十分であると直感していた。サーベイ体制や(次の項目で説明する)研究グループ構築も含め、集団のパワーを最大限に活かさないと、この流れに乗ることができないと、自ら国内外の研究室を見てきた経験から感じ取っていた。
(2) については私のAC12日目の記事「CV分野メジャー国際会議受賞 / トップジャーナル採択までの道のり」、特に「博士課程までの自分 | Strong Rejectとの戦い」でも述べているが、2013年・2014年に滞在したTUMでの経験が大きい。以下は引用である。
特筆すべきは、まず全員がトップ国際会議を狙っていることです。これは私が滞在していたTUMの博士課程修了条件がメジャー会議2報、メジャージャーナル1報であったことが大きいです。印象的だったのは夏休み明けのミーティング、チームリーダーの開始ひとこと目が「で、CVPRにはどんな研究を出すの?」でした。夏休み前後の空気感はどことなく緊張感があるし、昼食中も最近の研究動向の議論、メーリングリストには最新論文の情報が飛び交っています。論文投稿の締め切りが近づいた頃になると、チームリーダーはメンバーの論文に目を通すのみならず、イントロを悉く上書きして意図を汲みつつもより洗練された論調にしていきます。ライティングに自信のあるPh.D.は直前まで実験結果を蓄積して完成された技術にしておき、一週間で一気に原稿を書き切りAcceptを掻っ攫っていく... この実践を兼ねた研究者としての訓練が彼らをトップリサーチャーに押し上げ、なおも成長を繰り返すサイクルを生み出していく。私がTUMでの滞在を終えたあとの数年でも、友人たちは所属を変えつつもBIG3(トップ国際会議 CVPR, ICCV, ECCV)のオーラルに採択、CVPR Best Paper Awardと業績を上げ、トップ企業のResearch Leadや大学研究室のPrincipal Investigatorとなりキャリアを積み重ねています。一時(いっとき)だったとしても、そんな環境に身を置き机を並べて同時期に研究活動を体験でき、その後の成長曲線を確認できたことがより洗練された研究開発を目指すための、大きな転機になりました。さらには、汎ゆる研究機関のチームビルドや体制構築を探るきっかけになっています。
「TUMの博士課程修了条件」にもなっていた、というのもあるが全員がCVPR / ICCV / ECCVのようなトップ国際会議を目指し一体感を感じながら研究を行なっていること、いや寧ろそこは通過点(投稿するのは当たり前)であり、その先の社会的なインパクトを狙っていること自体がトップラボとして認知させていたのだと感じる。途中「私がTUMでの滞在を終えたあとの数年でも...」あたりで触れられているが、その後ヨーロッパの巨大なコミュニティや国・産学官を跨ぐ人材の行き来などに気付かされることがあった。対して自らの周囲はどうだろうか?相変わらず国際会議に出しては落とされ続ける日々であった。多少は励まし合いながら研究をする仲間はいたものの全体の空気を投稿して当たり前にしたかったし、その先の社会的なインパクトを狙いたかった。そして何より、その空気感の中で充実感を持って楽しく研究がしたいと思っていた(これ大事!)。
(3) については、2015/04にポスドクとして赴任した産総研つくばセンターでの出来事がきっかけになっている。当時同じ研究グループに所属していた先輩が「(当時の)CVPR論文を毎年ほぼ一人で完読している」とさらっと話したことに衝撃を受けた。先輩は当時CVPRに5年連続で通すし、単著でも通すし、「英語論文のライティングはどう上手くなるのか?」という旨の質問に対しては「英文校正2, 3回受けたら感覚が掴めた」という具合である。その方はひとことで言うなら「天才」なのである。同じことを一人でやるなどといった真似は未だにできてないが、ともかくその方に少しでも追いつくためには「一人でダメなら集団で取り掛かろう」と思ったわけである。
かくして、(1)(2)(3)やその他の要素が複雑に絡み合い、駆け出しのポスドク片岡(当時28歳 研究費なし・目立った業績なし・人脈なし)と宮下くん含む大学院生・大学生数人によるCVPR完全読破チャレンジが始まったわけである。英語論文を読むことすらままならなかったメンバーを率いて成し遂げるなどできるのか、と半信半疑だった(とは言うが9割くらい疑っていた)が「最悪の場合は自分が602本完読すればOK」くらい楽観的に考え、Twitterやブログに完全読破します、と投稿していた [Link]。そんなかなり際どく怪しい始まりであったが、紆余曲折の末になんとか読破を成功させたのであった。ちなみに、この110日にもおよぶチャレンジの中で片岡は約350本、宮下くんは約200本もの論文を読破、「CV分野における大域的な視点が身についた、研究テーマ設定の幅が広がった(片岡)」「分野の視点が広がり、後輩の研究指導に大活躍した(宮下くん)」と後に語っている。さらに片岡は「宮下侑大という男がいなかったらcvpaper.challengeは最初のチャレンジで終わっていた」とも語っている。
なお、比較するのも大変烏滸がましい話ではあるが、CVPR 2015 完全読破チャレンジは図らずも長尾真先生・金出武雄先生の論文読破の追実施に近い内容となっていた。以下は「人間的情報処理を目指して」からの引用である。
この顔認識の研究は当時の博士課程の学生だった金出武雄氏(現在,カーネギーメロン大学教授)と一緒に行ったが,この研究を始めるにあたってその時点の世界の文字認識,画像処理の研究現状を見ておくことが大切だと考え,当時手に入る全ての文献,約 700 編を集めて二人で手分けして読み,論評し合うということを行った.最初は重要そうな論文を中心に精密に読み詳しく論評するところから始めた.こうして 100 か 200 の論文を読んだ後は比較的楽で,この論文は基本的には先に読んだ論文を発展させたものであるとか,応用的にやったものであるとかがすぐに分かるので,集めた論文も数か月かからずに読み終えたと記憶している.
研究グループを立ち上げよう! | 2015/09 - 2017/12
CVPR完全読破を達成したグローバルな視点があれば、そこから研究テーマを考えるべき!という発想で研究グループを立ち上げた。当然ながら当時サーベイしていた中心メンバーがそのまま研究メンバーに移行した。2015年当時も3研究グループを発足させそれぞれ1テーマを実行するに至ったが、結果は散々たるもので1件も投稿にすら漕ぎ着けられなかった。
さらに、そこからの数年間は「cvpaperってただ論文サーベイしてるだけですよね?」「片岡さんって何でも良いから適当に投稿してるんですか?」という激励のコメントを頂いたこともある。確かに、参加時ゼロからスタートする大学生・大学院生、しかも自らの研究室の学生という立ち位置でもないため、全ての時間を研究に割いてもらうわけにもいかない。昨今劇的に参加者数・投稿数が増加するAI分野の難関国際会議の査読を突破するのは至難の技であった。当時、完全読破や網羅的サーベイを実施する研究コミュニティとして分野内では知名度が上がりつつあったが、論文が通らない。自分は研究者として大成しないのか、TUMのような研究グループを構築するなんて夢のまた夢なのか。葛藤があった。そんな折に相談させて頂いたのが産総研の首席研究員 後藤真孝さんであった。実は私の産総研1年目研修中の座談会におけるメンターが後藤さんであった。実に11分の1の確率でたまたま引き当て、その時にcvpaper.challengeの設立当初の話も含め初めてお話させて頂いた。そこからの数年間、RAと書いた論文が全くといって良いほど通らないとの質問について「大丈夫!今の体制なら諦めなければ必ず結果はついてくる!!」と超激励された。研究コミュニティを諦めて自分の研究時間を増やすタイミングはいくらでもあったが、この分野において研究機関横断の組織化された集団による新しい研究体制を提案することは、自分たちにしかできない、との思いで続けた。後藤さんの激推しとともに。
今回のACでいうと、このあたりのタイミングで原くん[AC2日目; 2017年4月]・鈴木亮太くん[AC3日目; 2017年8月]が
ポスドクとして、鈴木哲平くん[AC20日目; 2016年5月]・鈴木智之くん[AC17日目; 2017年5月]がRAとして研究コミュニティに参加してくれた。なんか鈴木姓がメジャーな勢力になっていた...が、どの鈴木くんもその持ち味を活かして研究のみならず後輩にバトンを渡してくれた。亮太くんはCVxHCIの橋渡し的な研究を行い現在はInteraction Groupのリーダーであり、哲平くんはRA修了後にトップ会議にジャンジャン通してSSII 2020でも隣同士で登壇していたことは感慨深い。智之くんは研究コミュニティで初めてCVPRに通した修士学生となった。原くんもその時のCVPRに同時に通し、今やGitHubで3,000+ stars、論文は1,000回も引用され、動画認識分野においてベースラインとなる3D ResNetを提案した。
そういえば、ジャイアンくん(吉田くん)[AC8日目; 2017年4月]もこの時期B4から参加してくれていた。ボケをかますAI・Neural Joking Machine(NJM)を世に送り出している。ジャイアンくんのキャラクターも相まって、進捗報告ごとに笑いを提供してくれたことは素晴らしかった。プレゼン時ではなく研究が日常レベルでエンターテインメントになっていた、珍しい例であると感じた。
研究グループを強くしよう! | 2018/01 - 2021/12
CVPR 2018に2件の論文を通し、意気揚々とこれから毎回トップ国際会議の査読を突破すると意気込んでいたが、世界の壁はそう甘くはなかった。この時点で研究グループ数を大きく増やしてしまったこと、それらはコミュニケーションを取らず独立して進めてしまったことがその後の停滞を招いてしまった。「研究グループ同士はコミュニケーションを密にとるべき」と言うは易しで、実際に自らの研究でいっぱいいっぱいな上に全ての研究グループと連携を取るのは難しい。さらに、研究体制が整いきらないうちに、原点回帰のCVPR 2018 完全読破も目論んだのが拍車をかけた(※2)。サーベイは完璧に実施したが、完全読破し切ったのは8月(締め切りは11月中旬)。その間、全ての研究グループの進捗はまちまちであった。完全に作戦を見誤った。結局CVPR 2019には3本の投稿のみ、Accept寄りの判定をひとつももらえずに全てRejectであった(※3)。この反省から、現在では類似・関連するサブトピック(例:動画認識・生成モデル・自己教師あり学習)ごとに10名前後の研究メンバーを集約して議論を交わしている。グループリーダーをはじめとして主著・共同主著メンバー、アドバイザ、サポータなどが混在して研究グループを運営している。
※2 だが必ずしも失敗ではなかった。その後の検討の末、研究メンバーのみならずサーベイメンバー全体を巻き込んだ網羅的サーベイの体制を組み上げ、現在に至っている。ちなみに「完全読破チャレンジ」は1本も残さずその国際会議の論文サマリを作成するのに対し、「網羅的サーベイ」は広く論文サマリを作成して公開するという点で研究コミュニティ内で明確に区別されている。
※3 ちなみに、その3本は数回のRejectを経て、それぞれ国際会議やジャーナルに通っている。トップ国際会議はもちろん通すつもりで投稿しているが、良質な査読コメントをもらえることも魅力であり、Rejectされたとしても本気で投稿するメリットは十分にある。
CVPR 2018投稿時を分析するに、原・鈴木智之・片岡の3人の少数精鋭で2本の論文の実験や執筆を完成させたことや、当時出てきていた動画データセットを最速で使用・徹底分析したこと(3D ResNet論文)や自前で構築したデータセットのアドバンテージを最大限に利用して手法も構築したこと(鈴木智之論文)など、トピックごとに提案したタイミングも早く、アピール方法も見極めて投稿することができたと分析する。2019年は通りそうな論文、もう少し実験頑張った方が良い論文、の重み付けなしに全ての執筆論文に対してほぼ均等に時間をかけていたことも、完成された技術に対する論文としてクオリティを上げきれなかった原因である。この反省から、研究メンバーに対しては内部査読のルールが適用された。最低限2週間前には選定した2名以上の内部査読者に提出して、本番さながらに評価やコメントを受ける。論文構成の見直しや追加実験、細かい文法の修正に至るまで、本気で読んでくれる研究メンバーばかりであり、最近の採択率向上にも大きく貢献していると考える。内部査読から共著者へレベルアップする例も確認されているくらいだ。私も内部査読には毎回出しているが、その時点でAccept寄りの判定を受けることは殆どない。忖度なしに容赦無くコメントをしてもらえることで、論文の質は劇的に変わるのである。
今回のAC、当然ながらこのあたりの時期に参加するメンバーが多かった。まず2018年体制からは早稲田大学メンバーである山本くん [AC5日目; 2018年1月]や福原くん[AC19日目; 2018年1月]が参加してくれた。無限リジェクトを乗り越えて博士課程修了に向け着々と準備を進める山本くん、投稿するまで出られない館 XX館(エックス館)での修行を経た福原くん、早稲田大学からはパワフルなメンバーが多い。その後、早稲田大学博士課程に入学する綱島くん[AC9日目; 2018年12月]も含めて、みんな心身ともに強い。岐阜大からも相澤くん[AC14日目; 2018年8月]が参加してくれた。ACにも記載されているが、ラスベガスで初めて会ってから2年後、相澤くんはCVPR 2018 完全読破チャレンジに参加、その流れで研究メンバーになってくれている。産総研インターンという形で研究メンバーになってもらえたが、その後の3ヶ月間の滞在のみでCVPRに投稿するというタフな研究生活であった。その後、岐阜大の先生からは「産総研のインターンから帰ってきたきたら相澤くんが意識高くなった」と伺った。
連携大学院のある筑波大学からも参加者が多かった。私は連携大学院生のメンターも担当させて頂いており、どこからcvpaper.challengeに参加してもらったかの定義は曖昧であるが、最初に参加して業績を出してくれたのがQiuさん[AC18日目; 2018年]であり、次いで中嶋くん[AC10日目; 2018年]だった。Qiuさんは意志が強い。博士課程前半はテーマ設定に苦戦していたが、Vision & Languageに対する拘りから、今では自ら研究テーマを設定して数ヶ月ごとに論文を投稿するに至っている。遂には博士課程最後の研究でICCV 2021にて発表するチケットを手に入れた。中嶋くんも、3年弱鳴かず飛ばずの時期はあったと話しているが、その時期に着実に知識を蓄積して、採択率15%というAI分野のトップ国際会議AAAIの狭き門を突破した。私の現在実験しているベースコードは、中嶋くんに構築してもらったものを採用している。
お馴染みとなった東京電機大や慶應義塾大からの参加も継続している。まずは電大・若宮くん[AC6日目; 2019年4月]、慶大・笠井くん[AC21日目; 2019年4月]なんかは同じく慶大・石川くん[AC外; 2019年4月]と時期を同じくしてRAになるや否や3人でXX館(エックス館)に泊まり込み、いきなり親睦を深めたかと思えば、2ヶ月後には世界的な動画コンペActivityNet Challengeのリーダーボード(順位表)に名前を連名で載せていた。電大の学部4年生として参加してくれた山田くん[AC4日目; 2019年4月]は私の半分本気・半分冗談でタイトルをつけた「AIスターになろう!」という講演から本気でAIスターになることを決意してくれた。山田くんの人生を大きく変えてしまったようであるが、それがよかったかどうかが明らかになるのはこれからである。私も多少は責任があるような気がするので最大限サポートはしていきたいが、たったの2年でロボティクス分野のトップ国際会議の査読を突破しているので、ここまではうまく行っているようだ。さらに、慶大の後輩として入ってきてくれた小暮くん[AC13日目; 2020年6月]は公平性研究にトライしていた。度重なるアノテーション作業にもめげず、確か3回目の研究テーマ設定の話がCVPR 2021 Workshopに採択された。
その他には、現在強力な連携体制を敷くに至っている東工大からも、井上さん[AC24日目; 2018年6月]には准教授になるまでのストーリーをまとめて頂いているし、山縣くん[AC15日目; 2019年4月]には井上さんと共著として取り組んだICPRのストーリーを書いてくれている。東工大メンバーとは度重なるRejectからACCV Awardまで苦楽をともにした仲間になった。瀧川さん[AC22日目; 2019年8月]にも研究メンバーになって頂いたが、海外在住ということもあり産総研の研究リソースを使ってもらうという面で結構ハードルが高く、日本滞在中には間に合わない結果となってしまった。残念ではあるが、今やトロント大のPh.D. StudentでありながらNVIDIAの研究員としても活動するなど、世界をリードする研究者となった瀧川さんとはいつか研究でコラボしたいと思っている。現在ではHQメンバーになってくれている中村くん[AC11日目; 2020年8月]はMIRUオーラルの質問(TwitterのDM)からシームレスに研究メンバーになり、あっという間に2年目は運営側に携わりオンライン会議のCCCの代表として活躍している。3年目となる2022は研究側でも開花してもらえるよう、ディスカッションを重ねている。変わり種は大西くん[AC16日目; 2021年4月]である。元々は私が情報科学の達人プログラムのメンターを担当して高校3年時にメンタリングしていたが、大学生になるとプログラム外になることから研究コミュニティにて研究を継続してきた。国内シンポジウムのViEWで発表を経験し、現在では国際会議投稿に向けて研究を進めているので、どんどん周りの大学院生を突き上げて欲しい。
現在では研究メンバーのサポートも手厚い。AI-SCHOLAR 榎本さん[AC23日目; 2020年2月]とは日本のCV(AI)分野を強くしようと意気投合し、現在では広報側でお世話になっている。研究活動や網羅的サーベイと連携したインタビュー記事もいくつか公開されている。長谷部さん[AC7日目; 2021年]始めResearch Portの皆様にはcvpaper.challengeの事務局としての役割を果たしてもらっている。AI人材が活躍する場を整備して、スターと言えるような人材を研究コミュニティから輩出していきたいし、CV研究におけるエコシステムを構築していくことも目的のひとつである。
おわりに | つくばを、世界で一番熱い場所にする
ACを読んで頂いた皆様、執筆して頂いた研究メンバー、そしてここまでcvpaper.challengeを支えて頂いた多くの方々に対しては感謝の気持ちでいっぱいである。本当はまだまだこの記事では書いていないことが多く、全ての思いを伝えきれていないことが少々残念ではあるが、限られた時間の中で書きたいことは精一杯収めたつもりではある。
突然ではあるが、独国・マックスプランク研究所のMichael J. Black先生をご存知だろうか。米国で教鞭を執られていたが、あるときマックスプランク研究所に研究員(より正確には研究所長か)
として招聘された。あまりの圧倒的な業績であるため詳細を書くのは控えておくが、簡単な紹介に止めたとしてもCV分野のBIG3(CVPR, ICCV, ECCV)全ての国際会議で長期に渡りインパクトを与え続ける論文賞(Test-of-time Award)を2021年12月現在 世界で唯一獲得、当然のようにトップ国際会議でのAwardが複数回あり、近年では毎年のようにCVPR Best Paper Awardにノミネート、研究開発した成果はハリウッド映画をはじめ多様な場面に応用されている。独国を、さらにはテュービンゲンを今や世界で一番熱い場所に変えるなど、今になって振り返るとただ一人の研究者の渡独から世界を変え続ける研究所が創設されたわけである。
これまた比較するのも大変烏滸がましい話ではあるが、cvpaper.challenge は世界を変える物語の途中にいるのだろうか?北米でも中国でも欧羅巴でもない、人工知能の中心から外れてしまったと思われている場所で世界を変えるための研究エコシステム、ひいてはAIスターは誕生するのだろうか?
「CVPRの論文を全部読もう」
2015年5月7日、つくばから始まった物語はまだ道半ばである。