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魴鮄の茫茫な胸びれ

相変らずタイトルと写真に関連性はなく、氾濫する心の反乱を観覧しているような日常。 「夢」というものは誰でも見るし、見てないという感覚はただ覚えていないからだという。非常に勿体無い、大変に勿体ない。毎回気になっているドラマが始まったのに寝落ちして観れていないというような状況の最上級のような感じ、しかもそのドラマに再放送は存在しない。日々感じていること思っていることその日一番心に残ったことが夢として表れ、挙句内容はここ一番全力をかけて全身全霊をもって直接的な表現とは離れている、

    • きている

      新しい=寒さ というのが割と幼い頃からの認識。元旦のせいだろうか、とも思ったが氷河期から始まりここまでさまざまなものが生まれてきた、と考えると本能的に感じるものなのではという気もする。 自信のもてる時期 自信のもてない時期 かなり交互に来ているが、最近はそれすらも楽しくなっている。自信のない時期はひたすら殻にこもり、自信のある時期はひたすら外へ出たくなる。ネットでも、実際に外出という形でも。貝類は殻にとじこもることしか出来ないのに、人間は殻を持っていないにも関わらずいつでも

      • そう、急に

        早急にと言われてもこまる。人を急かすことは目玉焼きを作ることの次に難しい。 急なこと繋がりだが、というか「急に」てつければ割と色んなことを始めることが出来る気がする。人を急かしたことってこの人生で2回くらいしかない気がするが、てことで急にお話を始める。お囃子なお話。 人はなにに恋をしている、恋をしていくのだろうか?幼稚園のときの初恋はたしか幼稚園の先生だったと思う、周りの女の子よりも歳なんて上の上なはずなのに、誰よりもかわいくきれいに見えた。もう顔も覚えていないが、あの感

        • 盛大に携帯を

          変えたわけではない、至って普通に変えた。それも新しい機種を買ったのは二週間以上も前なのに昨日までまったくもって手をつけず。もしかしたら俺が浦島太郎だったら玉手箱は開けずに物語は終わっていたかもしれない。写真やラインが受け継がれないよりもSpotifyにログイン出来なくなったことに目からは山の雪解け水のような涙が流れていたが、無事解決。ありがとう妹よ。 「新機種」という言葉にときめかなくなったのはいつからだろうと思い返してみたがもともとそこまでときめく方ではなかった気がする。

        魴鮄の茫茫な胸びれ

          第一回某お酒のCMぽくポエムする号

          見えた写真 見えた景色 それがなんなのか それはなんなのか 例え全く違うものでもいい、それがあなたの心ならば。 写真の中の君は、いつだってそう言っている。そんな気がした 正しいことなんてない 正しくないこともない いいちこ 楽しみはここにある。

          第一回某お酒のCMぽくポエムする号

          吐く場に乗った応じ様

          もう誰も信用するもんかって思いながら生き、3日後、下手すりゃ3秒後には誰かを信じ自分を信じ過ごす。情緒不安定なんてどの人もそうだし今更敢えて提示したり表示したりする必要もないかなって思ったりしたり。あんまりマイナスなことを基本書かないのはそれを言っている自分を想像すると吐き気がするほどダサいから。じゃあダサくなかったら、マイナスなこと言っててもイケメンでいられるなら言うのか。んー、言うかも。 自分ははっきり言って顔面コンプレックスかもしれない、顔面のことをとやかく言われると

          吐く場に乗った応じ様

          僕が見えるかい? 僕が見えてるかい? 俺が見えるかい? 俺が見えてるかい? 私が見えるかい? 私が見えてるかい? あなたは見えるかい? あなたは見えてるかい? 君は見たのかい? 君は見えたのかい? どれも僕で俺で私であなたで君で だれも僕で俺で私であなたで君じゃない 本当の本当は本当なのかい? 本当の本当は嘘なのかい? 嘘の嘘は嘘なのかい? 嘘の嘘は本当なのかい? そこは写してるそこに写してるだけ そこに写してるそこは写してるだけ そこのそこはそこなのだろうか 身も

          正確な性格に不安なファン

          性格は1人につきひとつだが、人格というのはいくつもある気がする。辞典で調べると人格の方が性格よりも広義的なのだが、例えばこれは音楽だったり絵だったりなにか制作物やものを作る人にはかなり顕著に出ると思う。 なにか創作、制作活動をしているのかどうかというのはその人を端から見ても分からない、当たり前だが本当に分からない。おそらく一般的に、早寝早起きをして仕事をきっちりして、模範的な生活をしている人がなにか物書きをしてるとかというようなことは想像されず、夜更かしをしたり特殊な仕事を

          正確な性格に不安なファン

          噛む、come

          因数分解だとか難しい漢字を知ってどんどん脳のしわが増えているはずなのにフーセンガムのふくらませ方が未だに未だに分からない。そうこうしているあいだにフーセンガムの雄と言えるだろう「トップ製菓」はコリス株式会社と合併してしまった。宇宙規模に小さい悲劇。他のことは負けていてもいいのだが妹が先にフーセンガムのふくらませ方を知ってしまっていたので、タイムマシーンがあるならそこに戻ってふくらませ方を徹底的に忘れさせたい。 さて今日はなにかについて、と語る訳でもなくて芋づる式に進んでゆく

          噛む、come

          紅葉を見にい高揚

          画像は住んでいるアパートからあるいて程なくして(その距離3秒)見える景色、つまりアパートからの景色。切り取り方を変えるとこんなにも観光地ぽく見えるのが歯痒くて虚しくて苦しいよ。 いや苦しくはないか。どこで見ようともおんなじ物質おんなじ植物もみじはもみじなのに、場所によってその差は歴然。まさにビールの王冠かヴィクトリア女王の王冠かのような違い。「お出かけしている」という要素が気分と感性をそこまであげているんだろうか、遠出したい。 満ちる高揚、奏でる落ち葉、そしてそろそろ囁く

          紅葉を見にい高揚

          無題(って書くとカッコイイ、何故か)

          マップで適当に見たこの池?湖?牛みたいだ、牛肉は以前にビーフストロガノフを作って以来使ってないかもしれない。 「おでかけ」と「散歩」の境界線、一人での場合はかなり曖昧。 徒歩で10分ならサンダルで適当に羽織るだけでいい気がするし、バスで10分ならちょっとほんの少しキメていきたい気もする。確実、確定…確率にしか頼れないのに"確かなもの"がすきすぎる、それは人間の性? 本能のままに、なんてものに憧れたりしながら、今日もスマホを握りしめて生きていく。 良い一日を

          無題(って書くとカッコイイ、何故か)