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正確な性格に不安なファン

性格は1人につきひとつだが、人格というのはいくつもある気がする。辞典で調べると人格の方が性格よりも広義的なのだが、例えばこれは音楽だったり絵だったりなにか制作物やものを作る人にはかなり顕著に出ると思う。

なにか創作、制作活動をしているのかどうかというのはその人を端から見ても分からない、当たり前だが本当に分からない。おそらく一般的に、早寝早起きをして仕事をきっちりして、模範的な生活をしている人がなにか物書きをしてるとかというようなことは想像されず、夜更かしをしたり特殊な仕事をしているひととかが物書きや物作りをしているという見解だろうと思う。だが、例えばこち亀の作者の秋本治は時間きっちり残業なし定時で終わり、というとてつもない模範サラリーマンのような仕事ぶりらしく、お描きになられている両津勘吉とはまっっったくの逆だ。真面目な性格だからこうやる、不真面目な性格だからこうなる、というのはあるようでない概念的だと思うのだ。ものすごく仕事に真面目な人が趣味でとんでもない暴力的な小説や絵を描いていたりするとき、描いている間その人には暴力的な人格がその時だけあるような感覚じゃないかなぁ、と思っている。何かをしているとき、その人には別の人格が出ている気がして、"多重人格"なんて基本的にヤバいようなイメージで使われる言葉だけど人間誰しも多重人格なのではと思っている。すごいなんかかたい文章の書き方してるけど俺自身はほんと小学生のときにつけられた「蒟蒻」というあだ名が示すとおり、かたいようなことは一切無い。noteを書いている時の自分は、普段の自分とは違うのだ、そしてそんな瞬間を楽しんだりもしている。

トップに飾ったのはSpotifyまとめによって現れた今年俺が聴いた音楽の感じらしい。去年はどんなんだったか忘れてしまったが、何となく分かる。夢や希望があるアニソンみたいなのがすごくすきで、それを自分にも照らし合わせて希望や情熱をもらったりしていたし。そんな夢や希望たっぷりの歌詞を書いている人がもしかすると昨日一昨日はちょっと死にたくなってしまったりした時があったのかもしれないし、そう考えるとやっぱり何かをしているときには別の人格があるんじゃないかと思う。普段あっけらかんな自分もときに書き表せない程の黒いような色に飲まれて、車にの窓に使うスモークを視界に何重にも貼ったように淀む時もある。それでも車の中が暑くなったらやっぱり窓は開けるから、目の前もいつかは開けるんだ。


やまない雨はないけど やまない人もいない

あなたに、どうか良い事がありますように。今日も一日、お元気で。



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