見出し画像

魴鮄の茫茫な胸びれ

相変らずタイトルと写真に関連性はなく、氾濫する心の反乱を観覧しているような日常。

「夢」というものは誰でも見るし、見てないという感覚はただ覚えていないからだという。非常に勿体無い、大変に勿体ない。毎回気になっているドラマが始まったのに寝落ちして観れていないというような状況の最上級のような感じ、しかもそのドラマに再放送は存在しない。日々感じていること思っていることその日一番心に残ったことが夢として表れ、挙句内容はここ一番全力をかけて全身全霊をもって直接的な表現とは離れている、それが夢。もしかしたら人は本能的に勿体ぶったり遠回りするのがすきなのだろうか。

遠回りと言えば、"急がば回れ"ということわざは琵琶湖に由来し、琵琶湖を渡し船で渡るより、どんなに遠くなっても橋を渡って陸路を行く方が確実でしょってところから来ているらしい。この由来は平安時代から。人は昔から遠回りがすき、どこでもドアがなっかなか発明されないのも頷ける。かくいう俺も新幹線でぴゅーっと向かうよりも目的地に「近づいている」感をより感じられる高速バスとか鈍行で向かうのがすきだったりする。もはや急がば回レ回レ回レ回レ回レといった具合。

雪月花で思い出したがお花のひとつに「月下美人」というものがある。この名の由来は、夕方辺りから咲き始め朝には萎んでしまうところからきており、お花というのは基本太陽がすきとか明るい時間に咲くイメージがあるが、夜を好んで咲くお花もある。
初めて知った時は、名前の付け方が素晴らしすぎてとてつもなく感動した。この植物は老樹や朽ち果てた樹、腐葉土に根を張って育つので、もし擬人化、いや擬人花されるとしたら廃墟の元に佇む白髪の美人、という感じだろうか。擬人化という文化はだいすきだ。絵はまったく描けないがそういうイメージとかは常日頃、蕾のように膨らませている。

「夢」という字は草かんむりから出来ている。その幹は太く逞しいのかもしれないし、何メートルにもなるものかもしれないし、はたまた限られたどこかの時間のなんらかの瞬間に咲いて萎む、咲いて散る、ひっそりと開くもの、綺麗な花だったり変わった香りも放つのだろう。遠く回り道の方に見えるようなそんな夢の、強さも儚さも愛おしく思い、努努見た記憶がなくとも、そんな夢を見る自分自身もすべて大切にしていきたい。

今日も明日も、夢を見るあなたが誰もが健やかにいられますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?