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思考という監獄

いつから、物事を素直に受け入れることができなくなったのだろうか。

最近私は、考え事をしている私が、とてもみじめに思えてくる。
考え事といっても、何か新しい発見をしたり、興味を持った事柄について思案するのでもなく、ただ、自分の立ち位置について考えているだけ。
私が、他者からどう思われているか、社会的立ち位置はどこらへんなのか、これができない理由はこうだろう、私は変わっている、なんて。

私は、ドストエフスキーでいうところの、地下室の住人みたいだ。

地下室の住人には、自分が特別であるという感覚が根底にあり、嫉妬や羨望という情念を、自分の頭の中でこね回し、理屈づけして、自分を肯定してなんとか存在を維持しているような状態の人である。自意識が強い人。

私が行っているのはつまらない考え事。

私の想像でしかないが、普通の人は、普段なにげなく人と話すときも、その場に馴染むような感覚で、その瞬間を楽しんでいるのだと思う。
なにか、自分が失敗をしたり、他者に負けたりしても、悔しい、恥ずかしい、と思うことはあれど、自分の存在価値に疑問を持ったり、言い訳を探して面子を保とうとすることも、あまりないだろう。
たとえ、そう思ったとしても、口には出さないし、態度にも出さない。

何度も何度も、似たような思考をくり返し、同じ過ちを犯す。

このような考え事は一時しのぎに過ぎないのだ。その場では、自分の面子を保つために有効な手段となるかもしれない。
誰にだって、言い訳、それらしい理由を探し出して、自分を守ることはある。無意識に行われてさえいる。
だが、長く続くと、良いことは全くもってない、と断言できる。その考え事の沼にはまると抜け出せない。
だから、私はいつからか、こんな考え事に憑りつかれてしまった。









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