見出し画像

季語「ピーマン」を詠んだ句より一句

ピーマン切って中を明るくしてあげた  池田澄子

 
 ピーマンを見たり、食べたりするたんびに頭をよぎる俳句がある。スーパーマーケットで見かけると「なかが暗いだろうに」とか、食卓に並ぶと「あぁ、明るくされちゃって」とか肯定的な場合も否定的な場合もある。要するにこちらの気分で、その句は意味づけされ、頭のなかで強制再生されるのだ。そんな句が掲載の句である。
 作者は池田澄子さん、若々しく元気な1936年生まれの現役の俳人である。独特の視点で世界を捉えていて、多くの作品に感銘を受けてきた。

 この句は言ってみれば、ピーマンを切ったときの感想である。ただ、感想がただならないのである(笑)。なにしろ「中を明るくしてあげた」であるから。ほとんどの場合、ピーマンを切るのは料理のときだと思うが、そんなときに誰にこんな思いが浮かぶだろうか。しかも、このような感想を句にすることができるというところに彼女の真価がある。

 俳句の解説のなかに自分の句を解説するというアプローチがある。これをするのは個人的には避けたいと考えている。何故なら、俳人の自作の句を解説した文章を読むと、「あれ、そんなことだったのか」と、がっかりすることが多い(。自分もご多分に漏れないと思うからだ(笑)。

 ところが、彼女の自句自解は面白い、知性や性格までが短い文章から汲み取れる。この句に関する自句自解を紹介して、この稿を終わりにしたい。ふらんす堂から出版されている「自句自解Ⅰベスト100 池田澄子」より以下引用。

『 こういう完全痴呆的な句を、もう一度作ってみたいと思うことがある。知性にも知識にも関係のない、主張も見栄もない句。
 そんなの簡単と思うけれど、案外出来ないものだ。出来ないとなると追い掛けたくなって、その時には既に作意や野心がめらめらしているので結局、理が通ってしまう。それにしてもこの句、小さな親切、大きな迷惑ってとこで、世のためにも人のためにも自分のイメージアップにもならない。でも、何故か私らしいような気がする。「空の庭」』(黒川俊郎丸亀丸)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?