起立性調節障害で卒業できない~って泣いてたJKが23年春、大学卒業するよ🌸
地獄を見た女子高生の今
タイトルを見てこの文章を読もうと思ってくださった皆さんこんにちは。
初めまして。
今、どのような心境でこの文章を読むことにしたのでしょうか。
ご自身やご家族など周りの方がこの病気に悩まされていますか。それとも、なんとなーく気になってみてくださったのでしょうか。理由はなんにせよ、ありがとうございます。
私は23年卒、4年制大学の4年生です。タイトルにある通り、高校1年生で起立性調節障害を発症し、一時は高校を卒業できないところまで追い込まれたわけですがなんとか崖っぷちの状態で卒業し、大学進学もできました。大学進学を機に体調は徐々に改善し、4年経った今では体調がすごく悪い日が1年に一週間も無いといった感じです。この言い方で分かるように、今も「めちゃくちゃ健康!!寝込むなんてない!」というところまではいっていません。でもきっと、私のポテンシャル的にこんなもんだろうという風に考えて前向きに生活しております。
まあ、そんな私のなんでもない7年ほどの物語を、興味を持ってくださった皆様にお伝えできればなあと思いまして執筆している次第でこざいます。
伝えたいと思っていたあの頃のこと
どうして自分のことを発信したいと思ったのか、どうして今なのか。
私は高校時代の担任の先生に「いつかこの経験を多くの人に伝えたい」と言っていました。でも、大学に入ってすぐも体調が悪く寝込むことも少なくはありませんでした。私は「乗り越えた人」になりたかった。だからつらい時期には何の発信もしませんでした。ところが今度は、体調が落ち着いてくると、大学の生活を普通に楽しみ、新たな人と出会い学校に行けなかった日々を隠すようになりました。高校時代からの友達もわざわざ掘り返したりせずにいてくれたおかげであの頃のことはなかったかのように生活してきました。でも、心のどこかであの頃のもやもややつらかったこと、心に残った出来事を誰かに伝えたい。今、つらい状況にいる人たちの希望の光になるかもしれない。そう思い、高校生活、大学生活の集大成としてこの文章を書くことを決めました。
そして、もう一つの大きなきっかけとして、私が関わっているボランティア活動の影響があります。不登校やひきこもりへの支援活動を通して、自分の過去を伝えれば子供たちに何らかの影響を与えられるかもしれない。けれども、自分の過去を伝えるのは怖い、恥ずかしい、不安。そう思い、今もボランティアに関わる人には私の病歴、高校時代については言わずにいます。目の前の数人にいうのは怖いけど、私を知らない誰かに伝えてみることはできるかも、そう思いました。この文章を通して、自分と、自分の過去と、自分の未来と向き合うことで目の前の子どもたちにも伝えられるようになればいいなと、そんな思惑もあり、この文章は生まれました。
次回:頭が痛くて学校を休みがちになった6年前
次回は、私が起立性調節障害の症状を訴え始めた6年前のお話をします。
頭痛と倦怠感があり、学校を2,3日休んでしまった12月のある日。
パンチの効いたわが母が「そんなに頭が痛いんやったら、病院行ってCT撮ってもらってこい」とぶちぎれ、私はひとりで市民病院に行く羽目になります。笑
次回『「15歳の子ひとりででかい病院に来させるなんて親は正気か?」と医者に引かれる』の巻!!!!
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