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考古学の可能性~近藤義郎『前方後円墳の時代』(岩波文庫)~

 ここ数日、考古学界隈のニュースを騒がせている古墳での発掘成果。地中から歴史的遺物が発見されるということは、多くの人を魅了し、改めてその力に感動を覚える。その感動が覚めやらぬまま、本書を紐解いた。

1.考古学によって世界を語ること

みずからを歴史学と任じて久しい考古学が、その独自の資料のみを使って果たして歴史を復元·再構成しうるものかどうかを、私自身検証するためでもあった。

近藤義郎『前方後円墳の時代』(岩波書店 2020年) 6頁

 非言語から人類の「社会」をみるということは、言語偏重による社会像の形成に異議を唱えることでもある。
 近藤が戦後、日和見的であった考古学を反省し、そのパラダイム転換を模索してきた。歴史学の接ぎ木的役割から解き放ち、物質的遺物から人類の営みを復元することは、史料には語り得ないものを語るということである。

ここで使用した考古資料に関しては、私自身で発掘したもの、あるいは踏査·実見したものを中核にすえた。これをもって体験主義的傾向とされる向きもあるかもしれないが、これは第一には、右に述べたごとき考古資料の性格と現状によるものであり、第二には、私自身がまさにその課題を抱いてこれまで発掘をおこない、調査を進めてきたという当然な理由による。

同書 7頁

 また、近藤の問題意識は、考古学が世界の見方を肌感覚で叙述する営みでもありうることを語ってくれる。 
 世界の見方は、その人間の五感を通じて形成されていく。たとえ取るに足らない遺跡と思えても、どこを、どのように見ているのかによってその重要性は幾らでも変わってくる。
 私達が"常識"とする世界の枠組みから外へと導いてくれる。その導きは決して論理的な説明だけではない、肉体に蓄積されてきた熱を帯びて迫ってくる。

2.物と場所と歴史

弥生時代を通じて形成されてきた部族首長の機能と権限、そしてその霊力は、究極的には部族の血縁的同祖同族関係に基づいたものであった。(略)首長の死に伴なう集団の存立は、その霊威を引き継ぐにふさわしいと観ぜられ選出された後継首長によって保持される。すでにみた弥生墳丘墓は、地域により、あるいは地域の中にあっても、型式や盛大化の程度の差はあったにせよ、まさにその霊威を次代の首長が集団成員の参加の中で継承する場であったのである。

同書 257頁

 本書の前半部は、弥生時代から古墳時代へと至る過程が述べられている。
 弥生時代の稲作の労働集約化による単位集団の「自立性」、そして、墳丘墓の出現と祖霊祭祀による首長の権威増大が古墳成立への過程を準備する。古墳は社会の中における重要な"場"なのである。
 また、「古墳時代」を考えるには前代からの流れを意識しなければならない。突発的に古墳が現れるのではなく、前代からの下地がある。
 時代とは連続性(人間が恣意的に順列を設けてはいるが)の中にあって単独で存在することはないのだ。

首長権威についていえば、かつての集団性に基づく首長の権威は、生産力の漸進的な上昇の中で成立しつつあった首長自身を先頭とする成員の動産所有、それと不可分の関係で形成されてくる家父長的家族体、それらの結合体としての氏族の相対的自立化の中で、変質を余儀なくされていった。首長層への横穴式墓室の普及、埴輪と副葬品の変化など先に述べたことは、権威の発現が集団性に基づくよりも、むしろ支配の組織に基づこうとしていたことを示すかのようである。すなわち、首長霊を鎮魂し首長霊を継承する儀礼から、集団的祭祀の面はしだいに薄れていた。

同書 455頁

 弥生時代からの連続性と大和政権の強大な力によって最盛期を迎えた古墳時代であるが、その衰退の過程というものが面白い。結局、そういうところに目がいってしまう。
 当初の集団祭祀という目的を忘れ、世俗的かつ形式的なものへと古墳は移り変わっていく。
 誰かのためというよりも、個人のため。過去の歴史やこの世ならざる世界との繋がりを断絶し、今ここだけの世界へと志向していく。

大王と首長、さらに各地家父長層の関係を律したものは、視覚的·恒久的記念物の形をとらないもの、つまり、姓、あるいはそれに原初的な位階などを含めた制度的な身分秩序と考えざるをえない。そうした制度的な身分秩序にも、物による表徴が伴なったかもしれないが、その場合でもそれはもはや、前方後円墳築造に示されるような直截的·第一義的関係を示すものでなく、副次的かつ流動的なものであったろう。このような制度的身分秩序の成立は、いうまでもないことであるが、その秩序を施行·維持させえた法的·政治的·経済的·軍事的機構が、原初的にもせよ、大和政権の中に成立していたことを示すものといえるだろう。

同書 466頁

 物はやがて副次的な地位に位置付けられ、"法"が重要となる。社会は言葉を複雑化させ、やがてその下で人間は生活をしていく。コミュニケーションの道具であった言葉は、己の社会的位置付けを規定するという逆転現象が起きていくことは避けられないのかもしれない。
 しかし、近藤は物が副次的で、法が直截的な時代は、その逆転が起きる以前の時代に、既にその萌芽を見てとるのだ。

3."憶測"と"論理"

 ここからは本書から少し距離を取り、ここ最近の考えと共に本書を位置付けたい。

 非言語から「社会」をみるという営みは、言語偏重による社会像の形成に一石を投じることができる。
 20世紀以降の哲学が、ロゴス·理性から感覚や芸術·文学などへと関心を向けたこととも通底する部分がある。
 非言語を対象として扱うということは、ある種の人間の"無意識"や"言葉にならないもの"について思考するための鍵を与えてくれる。近藤の研究は、彼の手を離れて今日的にはそういった意義をも示してくれる。

 また、ある種の"憶測"が、考古学やその他の人文社会科学の研究において見直されてもよい気がする。
 考古学研究が理化学的手法を用いてミクロな方向へとただ向かっていくことへの懸念があるからだ。絶対年代によって確実な時点が明らかになったり、精密機器を用いる析手法は確かに考古学の可能性を深めてくれる。
 しかし、それ以上に広がりを持たない事実に止まり、分析のための分析という方向へと導いてしまうことにもなる。
 様々な時代の手触りは、点が線となり、面となり、立体へと変わることで生まれてくる。近藤の研究は、物と物との"関係"、物と人との"関係"、物と人と場所の"関係"といった世界の見方を提示する可能性を内に孕む。

4.今日の歴史学と考古学

 ところで、歴史学や考古学といった時間と人間に関わる学問に今日、どれ程の存在意義があるのだろうか。
 無意識や記憶のメカニズムが探究されていく中、"時間"について様々な議論がなされてきた。
 記憶には元々明確な時間による順列はなく、不連続的な刺激伝達とそれによるニューロンの変形を通じて痕跡が残るという(フロイトによる)説がある。つまり、"時間"とは事後的に人間が順列を設けただけであって、本質的に順列を持ったものではないということだ。

 そう考えたとき、歴史学はその存在自体が問われることになる。考古学が絶対年代を重視したのも、「確実にこれは間違いなくその時代にあった」ということを科学的に示そうとしたからではないだろうか。しかし、そもそもその科学の有用性は先程の箇所でも述べたような問題を抱えている。

 無意識の記憶が解明される時代にあって、そもそも歴史を考える営み自体が出鱈目なのであれば、どうすれば良いのだろうか。
 そう考えると、歴史は、あらゆる相対的な関係を紡ぎ直し、新たな世界の見方を提示する営みにしていけば良いのではないだろうか。

 研究者が自分の物差しで社会を見るということに相対的な思考は関わってくる。ここでの近藤のアプローチは、単線的な歴史発展と階級闘争の歴史観から数多く批判される点がある。
 しかしながら、近藤のアプローチは個別具体的な例の豊富さと裏打ちされた実践知によって"物"が世界を語りうるという新たな可能性を確立させた点で不動の地位を得ているのではないだろうか。

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