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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語57

「花嫁が大好きなおばあさま」


翌年、長女の結婚式がありました。

「ママ、ドレスでいいかなぁ」
「お着物はちょっと無理だし」
「え、でもね、友達の結婚式で花嫁のお母さんがドレス着てたら
スタッフに一般参列者と間違われちゃったみたいよ」
「着物、着れないかなぁ」

数日後、長女がLINEでURLを送ってきました。
「これ、どうかな」

ホームページを見てみると「明日櫻」という車いす用着物のレンタル会社でした。

明日櫻 – 車椅子に座ったまま誰でも簡単に着られる着物のお店 (asusakura.jp)

和服が上下別れていて車いすでも着られるようです。
さっそく問い合わせをしてみました。
母と妹と一緒に現地まで行き、試着とサイズ合わせをして、初めて留めそでを着ました。
まさか、留めそで姿で娘の結婚式に出られるとは、
思ってもいなかったことです。

「それでは、花嫁がお色直しに退場いたします」
「花嫁が大好きなおばあさまにお手伝いをお願いいたします」
淡いピンク色の和服姿の母は、うれしそうに立ち上がり
しっかりとウェディングドレス姿の孫娘の手を取り
大勢のゲストの拍手を浴びながらテーブルを回っています。
私は拍手をしながら涙が止まりません。
今思うと、母の最期の晴れ姿でした。

その後も母の体調は安定しているようでしたので、
一緒に、初夏の八ヶ岳や、毎年恒例秋のの軽井沢旅行を楽しみましたが
この軽井沢旅行が母との最期の旅行になってしまいました。

これからは母との時間を大切にしようと決めて、
1日1日を丁寧に暮らしていきたいと思い、
2020年3月に退職をしました。

ところが・・・
そうです、コロナウイルスが日常の暮らしをすっかり変えてしまったのです。
母は感染をとても恐れて、家にこもるようになってしまいました。
実家へ行っても中へは上がらず、母が玄関まで出てきて、手作りの総菜や、皮をむいて食べやすい大きさに切った里芋やら大根やらをどっさり持たせてくれました。
母は30代で自分で大衆食堂を開き、それから、近所の会社などのお昼のお弁当を中心に配達をする、給食センターを立ち上げていました。
その後学校給食の調理員として公務員になり定年まで勤めていたのです。
コロナ以前は実家で母の手料理を一緒に食べて、帰りには沢山のごちそうを持たせてもらっていました。

そんな母は体調が悪くても、
「大丈夫、大丈夫」
「ちょっと、疲れただけ」
と笑顔を見せていました。

クリスマスには次女がケーキを焼き、長女も駆けつけ
妹や兄たちと母のベッドの周りで賑やかに過ごしました。
「お正月にまた集まろうね」
「じゃぁ、またね」
そう言って、新年会の約束をして帰りましたが、
お正月に母の元気な姿はありませんでした。

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