車椅子おばあちゃんのルーツ5
「セーラー服がいいよね」
そこでまた挑戦です。
担任の先生に
「家に戻って普通の学校に行きたいです」
と言ってみたのです。
さぁたいへん、母は中学1年生の兄と小学1年生の妹と大衆食堂の切り盛りと犬と父の世話に奮闘していましたが、
そこへ車椅子の私が帰ってくることになりました。
もし私が母だったら、どうにかしてもう少しゆうかり園にいてくれないかと、願ったのではないかと思います。
しかし、母は私の願い通り、私を地域の小学校に転校にさせてくれました。
父は木製のトイレの椅子を手作りしてくれました。
母が車椅子を押して通学し、授業中ずっと教室の後ろで待っていてくれました(毎日授業参観です)
たぶんそれが学校側の車いすの児童を受け入れる条件だったのだろうと思われます。
そして、地域の小学校へ通うという私の挑戦が始まったのです。
おとなしく、ゆうかり園にいればよかったのに。
ところが、私は普通の小学校にはなじめませんでした。
初めのころは何日か登校しましたが、午前中の授業が終わるころには「腰が痛い」と言って早退してしまい、そのうちに全く登校しなくなりました。
そんな私に母は「しょうがないよ、腰が痛いんだもんね」
と言ってくれました。
妹には「今日学校でプリント配るとき、お兄さんかお姉さんがいる人はてをあげてくださいって言われたけど、お姉ちゃん来てないから手をあげなかったよ」
と言われ、ちょっと可哀そうだな、ごめんねと心の中で謝ったりしていました。
家では洗濯物をたたむ係と、お店で使う割り箸を袋に入れる仕事を手伝ったりしてのんきに過ごしていたような気がします。
今のように「不登校」などという意識もなく
母に「しょうがないよね」と笑顔で言われながら
「そうだよ、しょうがないよ」と悪びれることなく毎日同級生が届けてくれた、わら半紙に包まれた給食のコッペパンを「おいしくないな、いらないのに」とか思っていたのです。
「セーラー服がいいよね」
デパートの一角の制服賜りコーナーで母は楽しそうにいろいろな学校の制服を見て回っています。
私は、地元の小学校に転校はしたものの、ほとんど登校できないまま、
あっという間に1年半が過ぎ、中学への進学準備をする時が来ました。
けれども、こんな調子ではとても地元の中学には通えそうもありません。
「どうしたらいいんだろう」
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