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車椅子おばあちゃんのルーツ6

「休みたくない~」

中学はどうしたらいいんだろうと悩んでいたのは、私よりも母だったのではないでしょうか。
母はおそらく、市役所や学校などいろいろな所に相談をしたり、調べたりしていたのではないでしょうか。
そうしているうちにうれしい情報が入ってきました。
母が、県内では初めて、肢体不自由児のための養護学校が設立されることを
どこからか聞きつけてきたようです。
その学校が建てられる場所は、自宅からは車で1時間ぐらいかかる場所でしたが、毎日車で送り迎えをすることにして、入学できることになりました。

さて、小学校の卒業式です。
その頃、小学校の卒業式は進学先の中学の制服姿で出席することが慣例となっていましたが、私が進学する養護学校にはまだ制服がありませんでした。
さあ、どうしようと悩むことなく母はデパートの制服売り場へ出かけ、自分が好きな制服を注文してきてくれたのです。いろいろなデザインの中から王道の可愛いセーラー服でした。
真っ白いスカーフに、白い3本線「ザ・セーラー服」「ザ・女学生」という制服でとっても嬉しかったのを覚えています。

私は、そのザ・セーラー服を着て、ほとんど登校することのなかった普通の小学校の普通の卒業式に母と一緒に出席しました。
卒業式が終わると、「まったく、失礼しちゃうわよ」
「結局○○子の学校の名前は入ってなかったんだから」
覚えているのは母がプンプン怒っていたことです。
卒業式で卒業生たちの進学先の中学校名とその中学校は何人進学するかの紹介がありましたが、最後まで私の学校名は紹介されなかったということです。私は全く気が付きませんでした。

でも、私は可愛いセーラー服が着られてとてもうれしい気持ちと、もう小学校に行かなくてもいいんだというほっとした気持ちで、晴れ晴れと、地元の普通の小学校にお別れをしたのでした。
「ばいばい!」

さあ、お気に入りのザ・セーラー服を着て、4月からピカピカの中学生です。
小学校は2年生の2学期から始めたので、入学式は初めてでした。
翌日から片道1時間以上かけて車で送り迎えの通学が始まりました。

兄は中学3年生、高校受験です。妹はまだ小学校3年生です。
母が切り盛りをしていた大衆食堂の仕事もあります。父は普通のサラリーマンでした。
そんな中、毎朝1時間かけて私を学校に送り届け、また1時間かけて家に戻ります。
そして店を開き、午後には店を閉め、また1時間かけて私を迎えに学校まで行き、1時間かけて家に連れて帰ります、また店を開け、夜遅くまで営業していました。

「今日学校お休みしてもいい?」
「ちょっと、頭が痛くて、車で事故でも起こしたら困るから」
時々、朝に母がそう言うことがありました。
そりゃぁ、具合も悪くなるでしょう。

それなのにわがまま娘は、
「え~、学校行けないのぉ?」
「休みたくない~」
と言い返します。

私は養護学校が大好きでしたので、そういう時は思いっきり拗ねて不機嫌になり口も利かずにふてくされていた事を覚えています。

母は私の送迎のために自動車の運転免許証をとったばかりの運転初心者でした。
毎日どれだけハードだったのだろうと、二人の子供を持った時につくづくと思い知らされました。
母の頑張りに対して、感謝と尊敬の気持ちが溢れてきます。


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