【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第55話-春、修学旅行3日目〜初夏の足音を聞きながら

 家に帰るまでが遠足です。
 学校に戻り、貴志に送ってもらう道すがら。公園脇に設置されたベンチも、瑞穂には修学旅行先に変わりなかった。
 修学旅行中に、もう一度ゆっくり話したい。まだ家に着いてないからセーフだよね?

 瑞穂に促され、貴志はベンチに腰掛ける。重い荷物からひとまず解放されて、二人はホッと一息ついた。
 瑞穂がゆっくりと貴志の隣に腰掛けて、空を仰ぐ。緊張が止まらない。でも、今はその緊張の理由をはっきりさせたい。
 私は…北村くんの事をどう思っているの?

「福原の両親は、仕事終わるのが遅いのか?」
 貴志から唐突に問いかけられた。瑞穂は自分の緊張の糸を解くのに忙しく、わたわたとしている。
「もう、終わる…頃かな」
 他の生徒たちは両親の迎えで車に乗り込み、解散している。県を跨いで引っ越した先で、娘を私立に編入させるような両親だ。瑞穂を迎えに来ない理由があったのかも知れない。
 貴志の疑問は単純で、しかし的確だった。仕事終わりに迎えに来てもらっていたら、そろそろ学校で合流できているはずだった。その父からの申し出を、彼女は断っていたのだ。
 この時間のために。

 緊張の糸は固く団子を作っていたようで、ほぐれるのにかなりの時間を要してしまった。静かな時間が流れていた。
 瑞穂は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。気持ちを整えて、口火を切る。
「北村くんは、サトちゃんの事好きなの?」
 あれ?私、なんでこんなド直球で聞いてるの?
 瑞穂は自分自身の問いかけに驚いて、焦るように貴志の顔を確認した。相変わらず前髪に隠された顔は、やはり驚いたような、戸惑っているようなそんな表情に見える。
 見てたのか?そう聞かれている気がするのは、後ろめたさがそうさせるのか。
 昨日の貴志と理美の抱擁。あれを思い出すと心が重くなってしまう。
 見てしまったこと、気づいてないのかな?北村くんは、サトちゃんほど動揺してないんだよね。
 抱き合うくらいじゃなんともないのかな?実はすごく慣れちゃってる…とか?
 瑞穂が勝手に想像の翼をひろげていく。
 自分の想像で、瑞穂は心が重くなっていくのを感じていた。胸にちくりと刺さるものがある。

 高島さんと俺の関係…か。勝手に答えるわけにもいかないし、なんて言えば良いんだ?
 しばし逡巡して、貴志はようやく言葉を見つけた。
「もしも好きな人がいて、その人に告白した。その結果付き合ってはいないとして、その相手に対しての友情って、福原は成り立つと思うか?」
 どちらが告白した…とは言っていない。それは瑞穂が聞きたいことの答えには、なっていないはずだった。しかしある意味的確な聞き方だったかも知れない。
 今の瑞穂に対する、裕の立場がまさしく同じだったからだ。
「わからない。私が告白した立場だったら、やっぱりずっと好きなんじゃないかな?
 告白された側だったら、きっと無邪気に…その好意を、友情として…」
 語尾の歯切れが悪いのは、裕にどれだけ残酷な事をしたのかに気づいてしまったから。
 そうか…。私、酷いヤツだね。ごめんね、裕…。
「好きだって気持ちを忘れるには、相手と距離を取るほうがいい。
 傍にいて、その気持ちを友情に変えるまでには、すごくエネルギーが必要だ」
 貴志の言葉に見えるトゲは、自分自身の嘘に対してだ。紗霧と1年以上会えなくても、気持ちを忘れることなんてできなかった。
 それでも理美が自分を想い、苦しんできた時間を考えてみる。
 高島さんはすごいな。自分の気持ちと向き合って、答えを出して。
 俺はまだ、向き合えてもいない。
 口先だけの「さようなら」を紗霧にぶつけただけだ。それも電子的なメッセージで一方的に。
「答えにはならないかも知れないけど、俺には高島さんを好きになる資格なんてないよ」
 好きじゃ無いとは言えない。恋じゃなくても好意的には思っている。ただ自分の中に、恋ができるだけの余裕がなくて、苦しませてしまったんだ。

「好きになるって、気持ちだよね。気持ちを持つのに、資格なんているの?」
 瑞穂の問いかけはか細い声だった。ハッとして貴志は彼女の表情を確認する。
「誰かを好きな気持ちに必要なのは、資格じゃないと思う。
 覚悟…だと思うよ」
 寂しそうで、悲しそうなその表情は、普段の明るさを一切感じさせてはくれなかった。
 沈んだ表情の彼女に何と声をかけたらいいのかわからない。
「意外そうな顔、してるね。私だっていつも笑ってるわけじゃないよ」
 知っている。初めて会った日は貴志に「馬鹿は死ね」と言われて目に涙を浮かべていた。
 ずっと笑っているだけの人間なんていない。笑っていられるのは…。笑っていられるのは、裕のように、ちゃんと自分の気持ちと向き合って、受け入れてきた者だけだ。
 そうか…。福原を憎めないのは、俺にない強さを福原の中に感じていたからか。
「私ね、今までクラスにちゃんと馴染んだ事がなかったんだ」
 瑞穂の口から出た意外な言葉に、貴志は耳を疑った。

「私ね、いつも笑ってるから、最初はすぐに仲良くしてもらえるんだ。
 だけどね、いつも笑ってて、真剣に見えないとか…。なんか怖いとか言われて、そのうち人が離れていくの」
 瑞穂はうつむいている。声はかすれて、今にも消えそうだった。
 それには貴志も半ば同感だった。瑞穂は怖い。しかしそれは、いつも笑っているからではない。
 瑞穂自身が無意識のままに、相手の心の奥底を見透かしてしまっているからだ。
 動物的な直感で、伝えてはならないことは言わないようにしている。それでも、口を閉ざすことで余計に相手に伝わってしまうこともある。
 貴志だって、無口、無愛想の仮面の奥を、何事もないように覗き込んでくる彼女が怖くて仕方ない。でもそれは…心を覗かれるのが怖いだけ。
 そうか、福原は人の本質を見抜いてしまう能力で、しなくても良い苦労をいっぱいしてきたんだな。

「それでも裕は、好きになってくれただろう?」
 ズルい言い方だと思う。そしてそれは福原を、一番傷つける言い方だとも思う。
 それでも…。
「裕は良いやつだよ。俺なんかとも仲良くしてくれる。ちゃんと人の痛みとも、自分の痛みとも向き合える凄いやつなんだ」
 貴志だって、そこまで鈍いわけではない。
 裕からの告白を断って、そして今日、ここで二人で話している事が何を意味するのか。そんな事、ちゃんとわかっている。
 わかっているからこそ…。
 俺なんかよりも、裕を見ている方が福原にとって…。
 そう考えて、頭をよぎるのは…紗霧の悲しそうな顔だった。
 あんな悲しい顔をさせた俺が、誰かと付き合うなんて、二度と許されないんだ。

「裕が優しいこと知ってるよ。ああ見えて真面目で、いつも北村くんのこと心配してて、友達思いで…」
 瑞穂が列挙していく裕の長所に、貴志はひとつひとつ頷いた。
 福原は本当に裕のことをよく見てくれている。
「大好きだから…。大好き…だったから」
 沈んだ悲しい顔で呟く瑞穂。その目の端に浮かんだ涙は宝石のように美しくて。
「だから裕と同じくらい気になっている人のこと、無視したくなかった」
 瑞穂の目からこぼれ落ちる宝石たちが眩しくて、貴志は目を背けてしまった。
 彼女の泣き顔を、なぜか見たくなくて。
「私ね、裕が、好きだよ。
 だから、このもやもやする気持ちをくれた誰かさんを、私がどう思ってるのか…。
 はっきりさせないと、裕とは付き合えない」
 裕を裏切るような事はしたくない。
 瑞穂は小さな声でそう続けた。
「もやもやの理由はわかったよ。
 その誰かさんは、裕よりも優しいくせに、その事を誰にも気づかれたくなくて。
 その誰かさんは、友達思いで、気遣いもできて、料理が上手くて。
 その誰かさんはきっと誰よりも笑顔がかわいくて、素直で…。
 きっと素敵な人なんだ」
 瑞穂はベンチから立ち上がると、貴志の前に立った。
 その目から流れていた涙は止まっている。涙の代わりに浮かぶのは、春の日差しのようにぽかぽかと暖かな笑顔。
 月明かりが瑞穂の笑顔を、優しく照らしていた。
 貴志の心の中で消えかけていた、小さな光すら再び灯そうとしているように。
「私、きっとその誰かさんが好きなんだ」
 瑞穂は静かに、しかし強い決意を胸に言葉を綴った。その誰かさんに向けて。
 振り向いてもらえないかも知れない。あの時、裕の告白を受け入れていたら…そう後悔するかも知れない。
 それでも…。誰かさんの心からの笑顔を見てみたい。誰かさんを幸せいっぱいの気持ちにしてみたい。
「今日はありがと。帰ろっか」
 瑞穂は、笑顔のままで貴志に頭を下げた。

 瑞穂の笑顔を直視できないまま、無言で頷いて貴志は立ち上がる。
 瑞穂からの確かな宣戦布告。彼女は貴志の固く閉ざした心の砦を容赦なく攻めて来るだろう。
 負けられない。もう誰も紗霧みたいな目には合わせない。福原の気持ちには応えられない。
 胸の奥に灯りそうな温かい小さな火を消すように、貴志は強く強く、繰り返し念じていた。

 二人は足取りを揃えて夜道を歩き出す。
 春の一大イベント、修学旅行。それを終えた二人の足音は、目の前にまでやってきた初夏の足音のように聞こえた。


初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする〜春
…………了
二人の物語は夏に続く

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