【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第6話-春、始業式〜裕②

 始業式を終え、山村裕は保健室にいた。今日は始業式のみで解散し、明日は1日かけて実力テスト5教科をこなす。
 本来ならさっさと帰って勉強をするべき日だ。貴重な時間を費やして、それでも裕が保健室に現れたのは進路指導室に呼び出された親友を待つためだった。

「美夏ちゃん今日は何時まで仕事?」
 そのフランク過ぎる口調に養護教諭の黒澤美夏は苦笑していた。
「こらこら彼女じゃないんだから」
 苦笑しながらも彼女は裕を招き入れ、椅子に座らせる。迷惑そうな素振りはない。
「今日は部活の生徒もいるから、普通に18時までは開いてるよ」
 如月中学校には試験休みの概念がない。月一回の実力テストのために部活を休んでいたら、競技に影響が出るためだ。その代わりどの部活も18時には終了する決まりがある。
 7時半登校の8時から7単元。2年間で中学校の必修範囲をすべて履修し、3年生は全範囲の総復習に充てられる。
 かなり忙しいカリキュラムながら、中学受験で塾生活を経験していればそこまで苦痛に感じる生徒はいない。
 むしろ受験への対策を学校でまかなってくれるため、如月中学校の生徒には塾通いの必要がほとんどなかった。むしろ公立中学校で塾通いしている生徒に比べれば、自分の時間は多く取れる方だ。
 椅子に座りながら両手を合わせて頭を下げる裕。軽くウインクをしながら、軽い調子で口を開く。
「いつもごめんね。貴志がまた呼び出されちゃってさ~」
 黒澤は笑っている。貴志がある時を境に周りにきつく当たるようになったことは教諭全員の共通認識だった。理由も学校側で把握しているため、担任は3年間ずっと貴志を受け持つように配属されている。
 生徒の間ではただの嫌われ者となってしまった貴志だが、教諭たちはむしろ完全にバックアップ体制を取っていた。今日の呼び出しもむしろ純粋に貴志の進路指導のためだった。生徒間での悪態をついたことに対するお咎めは、軽い注意で済まされているはずだった。
「山村くんって本当に付き合いいいよね」
 親友を待つ生徒を黒澤は労った。裕は肩をすくめておどけて返す。
「親友だからね」
 そしていつもヘラヘラとしている表情が刹那に引き締まる。口調も…重い。
「オレも当事者だから」
 貴志が態度を悪化させたきっかけ。裕も貴志もその事件の関係者だった。裕に至っては自分のことのように責任を感じている。
 肉まんを見ては揉む仕草をしたり、常に下ネタや冗談を絶やさない。そんな裕が真面目で友人思いであることを黒澤は知っていた。
 貴志が本当は明るくて聡明で人付き合いも良い事も知っていた。
 二人揃って当然1組にいるはずの成績ながら、わざと成績を落とし4組になるようにコントロールしていることも、その理由も知っていた。
 この学校で全校生徒を敵に回している貴志だが、大人たちは二人の味方だった。ただ彼らの心の傷を癒やす術を持たないだけだった。
「あれはあなた達の責任じゃないでしょ?」
 黒澤の言葉に裕は首を横に振る。
「あんなに関わっていたのに守れなかったんだ…好きだった女の子を」
 他人のための涙を見せないために必要以上にふざけて、バカの仮面をかぶる。そんなひたむきでまっすぐな少年と、黒澤はどんな顔をして向き合えば良いのかわからずに、机の書類に目を落とした。
 ノックの音がして扉が開く。その向こうに貴志が疲れた表情で立っていた。

「黒澤先生、いつもすいません。お邪魔します」
 他の生徒が見たら心から驚いたであろう腰の低さで、貴志が頭を下げる。進路指導の内容は彼の志望校についてだった。
 1年の頃から決めていた、裕に合せて決めるという一言を答えただけだった。一応の心変わりを確認されたが、貴志は固い決意を答えたのだった。学校側としては確実に進学実績を作ってくれる貴志には県内2位の進学校を受けて欲しかったが、それでは中高一貫コースに入るのと変わらないからと断った。
 もちろん県内1位の進学校とは如月高校の事である。如月高校を受けない以上、次の候補は自然と2位の学校になる。貴志が如月高校に入らないと決めた理由も学校側は把握していた。そしてそれは学校にとって非常に大きな損失だったのだ。彼ならば大学の進学実績はもとより、その後の人生においても如月高校のブランド力を確実に高めてくれるはずだった。
 それを「あの事件」が壊してしまった。貴志も裕もあの事件の関係者だった。なんとかこの二人の人生が少しでも良い方向に向いてくれたら…黒澤は純粋に願っていた。

 裕が放った言葉は黒澤の願いを受けてのことだったのか…裕が貴志に話したかったこと。その口を開くのだった。
「オレさ、あの福原瑞穂だっけ?転校生の」
 貴志をまっすぐに見つめて言葉を続ける。
「オレあの子結構好きかも知れない。貴志には言っておかないといけないと思ってさ」
 貴志の目が真ん丸に見開かれたのが、長い前髪の表からも見て取れた。へ?と声が漏れる。裕は何の話をしているのだろう?
「たぶん貴志もあの子の事、好きになれると思うんだ…だからお前には先に伝えておこうと思ったんだ」
 裕の目は真剣だった。真剣に真面目に、まっすぐと親友の目を見る。
「オレ達の協定復活させようぜ、前と同じように」
 同じ相手を好きになった時、お互いに遠慮はしないこと。恋愛は相手の気持ち次第だから、振り向いてもらったほうが付き合う事。親友を思い身を引くような行為は相手を傷つけるかも知れないから絶対にしないこと。
 協定の目的は驚くほど単純だった。好きになった相手の幸せを一番に考える事。
 貴志は黙って俯いて、結っている髪をほどいてまとめ直した。前髪をアップして顔が見えるようにする。裕の前でだけは彼は素顔を見せるのだった。
 線の細い輪郭に、整いながらも力強くやや太めの眉は意志の強さを物語るようにまっすぐと伸びている。切れ長の目は中学生とは思えないほどの落ち着きを見せていた。鼻は高くないものの、低くもない。映画の主演俳優のような整った顔つきがそこにあった。その目は揺れている。
「復活もなにも協定を破棄した事はないだろう?そもそも俺がなんで福原を?」
 好きという言葉を貴志は声に出そうとしなかった。その目が動揺でさらに揺れて泳いでいる。
「たぶんあの子は近いうちに気付くんじゃないかな?お前の本当の性格に」
 伸ばした髪で表情を隠し、罵るように言葉を紡ぎ続けて学校中から嫌われた。人は相手の態度の表面しか見ないから、嫌われるのは簡単だった。だけど稀にいるのだ。表面に出していない、深いところに押し込めた感情に触れようとする奇怪な人間が。
「今日初めて会ったのに変だけどさ、福原ってちゃんと人のこと見れる子なんじゃないかな?
 そう思ったらなんか、一目惚れみたいな感じになったんだ」
 今朝の貴志に抗議していた態度を見て、裕は胸の高鳴りを感じていた。貴志の暴言に耐え…耐えきれてはいなかったが、涙を堪えながらも謝罪と礼だけはちゃんと伝えていた。裕ですら腹を立ててしまう貴志の暴言に対してだ。事実と感情を分けて考えるのは大人でも難しい。まして思春期真っ盛りの成長過程の心で、死ねとまで言われて自転車修理の礼に頭が回ることなどありえないだろう。

「なあ貴志…オレが言うのも変だけどさ。
 お前がさ罪の意識で辛い人生を歩み続ける事はないと思うんだ」
 裕の瞳が揺れる。貴志の心の一番痛いところを突こうとしている。自分も知っている気持ちだけに、痛いし、怖い。
 それでも裕は口を開いた。今の時点では根拠も確信もないけれど、一年半ぶりに親友が心を取り戻すチャンスだと思ったから。
「今まで十分辛かったんだ。
 もうお前が誰かを好きになっても、坂木さんも悲しまないよ」
 裕の出した名前に貴志の顔が苦痛に歪んだ。二人の好きだった人。貴志の初めての彼女。そして一年半前突然連絡も取れなくなった人。
 坂木紗霧(さかき さぎり)それが彼女の名前だった。

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