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どうする秀秋2もうひとつの関ヶ原

平伏していた片倉重長がおもむろに面をあげる。
「畏れながら言上つかまつります。奥州会津表で上杉退治の下知に従い我ら伊達勢は上杉の籠る白石城を攻略いたしましたが、内府殿をはじめとする上方勢7万は小山にて江戸へ引き換えしたよし。上杉が知るや否やたちまち反転攻勢をかけて参りました。元より上杉退治は上方勢との協同作戦の約束。いくら伊達とは申せ倍以上の2万5000の大軍に囲まれては為す術なく和睦するに至った次第に御座います。」
「左様であるか。して我ら小早川に何の用だ?」
「はい。主政宗はいずれ上方で大きな戦が起きるであろう。もし東軍が勝つとすれば上杉の南下を抑え徳川の背後を安んじた伊達は安泰であろう。しかし吝嗇な内府殿では大きな加増は望めない。反対に石田三成の起こした西軍が勝てば天下大乱は続き切り取り勝手。我ら伊達勢は一気に南下し関東を奪うつもりであると。この合戦の鍵を握るのは金吾中納言様に違いない。もし戦がはじまって間に合うようなら身を捨てでも西軍につくように言上いたせ。伊達は今後小早川とは誼を結びたいと。
また兼ねてより中納言様がお目をかけているこの私片倉小十郎重長を金吾様に差し上げると、そう申しております。」
そう言う片倉重長は頬を赤らめ目にいっぱい涙を溜めている。
余程主伊達政宗と別れるのが辛かったと見える。
そこでふと思い出した。
秀吉がいた頃政宗が京都や伏見でとても美しい小姓を連れ回し評判になっていたものだ。
そのとき秀秋はその小姓に淡い恋心を抱いたのであるがあの時の小姓がこの男だったのであるか。
よく伊達公は気づいたものだ。
しかし諸大名を羨ましがらせた寵臣を手放すなど伊達公も断腸の思いだったに違いない。
そこで秀秋の意志は決まった。
「よし、片倉重長。只今よりお主は余の家臣じゃ。」
「ははっ、有り難き仕合せ。」
「殿なりませぬ。かような伊達のはかりごとに乗せられては。」
「いや、余は決めた!」
「殿!」
「平岡、稲葉そちらも迷っておるのだろう。だか遠く奥州から伊達公が後ろ楯になると言っておるのだぞ。」
「しかし。」
「従わぬなら斬り捨てるまでよ。」
「……。ならば殿、黒田の陣屋にいる拙者の弟は殺されるでしょうがその遺児、なにとぞお引き立てを。」
「相分かった。」
この平岡勝頼は黒田如水(長政の父)の姪を夫人にしており黒田家とは遠縁にあたる。
その縁もあって内応の約束をして長政に弟を人質に出していたがこれも戦国の常である。
「松野主馬。」
「ははっ。」
「今すぐ大久保猪之助、並びに奥平貞治を斬り捨てよ。」
「御意。」
奥平貞治もまた家康から送られてきた軍監である。
松野主馬は小早川陣営でも東軍につくことに異を唱えて諫言してきた男である。
まさかここで役立つとは。
それを聞いて稲葉正成も覚悟を決めたようである。
「皆の者。よく聞け!我らが敵は秀頼様へ弓引く逆賊徳川内府家康じゃ!勝てば恩賞は思うまま。余は関白となるであろう。
いざ出陣じゃー!」
たちまち出陣の法螺貝が鳴り響き戦鼓、陣鉦に山が包まれる。
山の随所に陣を敷く小早川の違い鎌の家紋の旗が一斉に動き出す。
「殿、それがしに20騎お与えくだされ。」と片倉重長がいう。新参者が先陣務めて忠義を示すのは戦国の習いである。
「ならぬ。そなたは余の側におれ。」
「しかしそれでは筋が立ませぬ。なにとぞ。」
「ならば物見だけじゃ。決して槍合わせはならぬぞ。」
せっかく手に入れた美童をむざむざ戦死させるのは惜しい。
「御意。必ず生きて戻りまする。」
秀秋も兜の緒を締め馬上の人となった。
「殿よろしいですか?」と平岡が問う。
松尾山の麓に陣取る赤座、小川、朽木、脇坂は西軍ではあるが戦意上がらず傍観している。
状況によって寝返るつもりなのだろう。
まずはこの四隊を蹴散らしそのまま徳川の本陣に突っ込むつもりだ。
「このまま下山し勢いまま道を塞ぐ勢を攻めよ。敵味方分からぬ者は躊躇わず討て。」
「御意。」
秀秋が抜刀して下知を下すと小早川勢1万5000が怒涛の勢いで山を下りはじめた。
麓に陣取っていた四将はまさかの攻撃に混乱。たちまち総崩れとなった。
このまま徳川の本陣に突っ込むつもりである。
その時秀秋はどこからか伊達政宗の笑い声が聞こえてくるような気がして背筋が寒くなった。

【続く】


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