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020.スイスの時計職人の働き方

 一見近代以前の日本人は怠惰だったと考えてしまいそうですが、明治の初めに来日したお雇い外国人のなかには、このような気ままな働き方は必ずしも日本だけではなかったという人もいます。

スイスの遣日使節団長として1863年に来日したエメ・アンベール・ドロズは、スイスの時計生産者組合の会長を務めた人で、来日中に集めた資料を基に(⑮『幕末日本図絵上・下』雄松堂出版)を書いています。その中にこんな文章があります。

 

「私は幼年時代の終わりころに、・・・(中略)・・・・概して人びとは生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きてきたのを見ている。労働それ自体が、もっと純粋で激しい情熱をかきたてる楽しみとなっていた。そこで、職人は自分の作るものに情熱を傾けた。彼らにはその仕事にどれくらい日数を要したかは問題ではない。作品が、かなり満足ができる程度に完成したときに、やっとその仕事から解放されるのである。疲れがはなはだしくなると仕事場をでた、・・・どこか楽しいところへ友人と出かけて行って、勝手気儘に休息をとるのであった」。

 

 アンベールが近くで見てきたスイスの時計職人の姿です。日本の職人の仕事ぶりを見て、思わず故郷の先人たちを思い出したというのです。

 いまでも、スイス人技能者は技能五輪の世界大会で上位に名を連ねる高い技術力を誇っていますが、第二次大戦後しばらくは、熟達した技能者と言えば、第一にスイスの職人があげられたものでした。

ドロズは、スイスの職人の情熱を傾けた働き方、つまり、質の高い、中身の濃い働き方があり、それは日本の職人にも同じように見られたと書いています。

工場が近代化されて大量生産が求められるようになると、チームでの作業が要求されるようになります。その結果として始業時間や終業時間が明確に決められて一斉に時間管理が行われます。

機械化されてペースが決められ、集団で働くことが当たり前になる以前の人たちは、そのような管理された労働に、慣れていなかったということでしょう。

このことは日本やスイスだけでなく、イギリスなどでも同様のようです。トマス・スミスというアメリカの歴史家は、E・P・トムソンが書いた論文「時間、労働規律と産業資本主義」を引用して、産業革命の時代にイギリスでは働くときの時間の考え方が大きく変化したとして、

 

「工場労働の第一世代の人びとは「工場へやってきたとき・・・不適当な時間観念を内在させていた」。「不適当」というのはそれまでの生活習慣の中での時間の観念が、工場で求めるものと異なっていた」(⑯「仕事と日本人」武田晴人 ちくま新書)。

 

と書いています。

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