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047.写経師の厳しいノルマと罰則規定

格調の高いしっかりした筆致で経典の文字を1日に3,000字書き写すという作業スピードはいったいどのくらいのペースなのでしょうか。
下世話な話ですが、現代の代表的な写経である般若心経を手掛かりに比較してみましょう。
般若心経の本文は字数にしてわずか266文字。タイトルの「摩訶般若波羅蜜多心経」の10文字を加えて276文字です。この般若心経の写経では、慣れている人でも1枚を仕上げるのに、約40分、一般的には約1時間かかるのが普通とされています。
これを、標準時間として算定すると、1枚を写経する時間としては45分~50分くらいになるのではないかと思います。1日3,000字を書くということは、般若心経にすれば、3,332字÷276=約12枚です。
正倉院での写経の設定時間を、現代の仕事時間に合わせて、1日に8時間を従事したとして比較してみましょう。
写経を行うための、筆を手入れし、紙を用意して・・・などの付随作業に20パーセントの時間が使われたとして(余裕率20%)、正味稼働時間は、480×0.80=384分。この時間で般若心経12枚を完成させるペースは、1枚32分程度で筆写し続ける計算になります。
勤務時間は日照時期によって日の長い夏の間は長功、冬季は短功と区別されていました。夏の長功の間、12時間勤務としても、休憩を入れて11時間で12枚を完成するのは1枚を仕上げる時間は約55分。
実際には余裕時間も各自が管理したと考えられますので、300字弱を32~55分で、誤字・脱字もなく、一定の品質を保って仕上げる作業は、般若心経のような同じ文字を繰り返し写すケースでも、途方もない速度です。ところが、写経師が書き写す経文は、毎回初めてのものということになります。ミスをしたら罰金という緊張感を考えると、1枚を平均で32-55分で仕上げるというのはとんでもないペースといえるでしょう。
当時の写経所で筆写された経典は、正倉院の他にも五島美術館はじめいくつかの美術館で見ることができますが、しっかりと書かれた字体です。書の専門家の意見では、このレベルの質で筆写を求められれば、集中力が続いてもせいぜい1、2枚、日常作業として1日に7枚も書写し続けることは不可能に近い……といいます。
となると、日常的に作業時間が8時間を超えていたのではないか、とも考えられます。作業の質や量、作業時間を見るかぎり、現代の標準時間と比較しても、考えられない厳しさであったようです。
しかも、経典だけに要求される仕上がり品質は高く、書き終わったものを校生がチェックして、
・5文字誤字があると1文が、
・1字欠けていると1文が、
・1行脱落していると20文が、
書誤料として減給されるといいます(③『奈良町末期写経師の実態』園田学園女子大学論文集1)。
写経作業の対価は写経料紙(476文字)1枚に対して約5文、1日に7枚で35文です。それに対して、1行の脱落があると20文の罰金をとられるということは、ミスをすると、4枚分の作業が無に帰し、その日の収入は15文になってしまいます。
さらに、1枚に2行の脱落があると、その紙は反故にされ、その分はその日の俸給から差し引かれたそうです。それだけ、写経料紙が高価なものだったということでしょう。
これでは、書いた時間が無駄になる以上に、マイナスがでます。いずれにしても、誤写、脱落への厳しさは並大抵ではありません。現代では、こんな厳しい罰則では、写経師になり手がいないでしょう。しかもこんな罰則規定は労働協約違反で、ブラック企業として糾弾されそうです。

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