<ものづくり紀行>横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流《サイトマップ》
<ものづくり紀行>
横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
――150周年を迎える現役ドックの宝庫―-
《サイトマップ》
東京湾の入り口に位置する横須賀は、丘陵の連なる三浦半島の海べりに開けた都市だ。かつては軍港として栄えた海軍の聖地で、いまも海上自衛隊基地や米海軍基地がある。最近はむしろ海軍カレーの街として知名度が高く、日本離れした独特の浮遊感と魅力をもつ街として知られる。
2015年7月5日、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録された。本来ならば、明治初めにつくられ、起工150周年を迎えるドックのある横須賀製鉄所も候補地に含まれるところなのだが、残念ながら外されている。米海軍基地内にあり、保存も自由にならないためだ。海軍カレーの町横須賀――実は、明治の産業遺産という点でも、第一級の遺産をもつ見逃せない町なのだ。
Y1.横須賀製鉄所――起工150周年・造船大国日本の原点
Y2.ヴェルニー公園――軍港横須賀を見渡す歴史の公園
Y3.YOKOSUKA軍港めぐりクルーズ--軍港横須賀のいまを知る
Y4.横須賀造船所――一四〇年間現役で稼働する石造りドック
Y5.横浜製鉄所――横浜につくられた日本初の洋式工場
Y6.戦艦「三笠」と猿島――日露海戦を勝利に導いた旗艦と要塞の
Y7.浦賀ドック――世界でも希少遺産の2つのレンガドック
Y8.観音崎灯台――日本初の洋式灯台
Y1.横須賀製鉄所――起工150周年・造船大国日本の原点
Y1-1.横須賀製鉄所――150年を超える現役ドックの宝庫
Y1-2.横須賀を堪能するおすすめルート
Y1-3.浦賀・観音崎の遺産を堪能するおすすめルート
Y1-4.140年使い続けられる遺産--横須賀製鉄所がつくられた背景
Y1-5.遅れてきた国--フランスの逆転策――25歳の造船技師レオンス・ヴェルニー
Y2.ヴェルニー公園――軍港横須賀を見渡す歴史の公園
Y2-1.横須賀港--米海軍と自衛隊が同居する港
Y2-2.ヴェルニー記念館
Y2-3.ヴェルニー公園
Y2-4.海上自衛隊横須賀基地
Y3.YOKOSUKA軍港めぐりクルーズ--軍港横須賀のいまを知る
Y3-1.YOKOSUKA軍港めぐりクルーズ--軍港横須賀のいまを知る
Y3-2.どぶ板通り--スカジャン発祥のアメリカン・ストリート
Y4.横須賀造船所――一四〇年間現役で稼働する石造りドック
Y4-1.横須賀製鉄所-造船所-海軍工廠――150年をへてなお現役で稼働する石造りドック
Y4-2.製鉄所から海軍工廠へ--初の軍艦「清輝」を建造
Y4-3.石づくりドライドック1-3号
Y4-4.フランス語と造船技術の伝習学校
Y4-5.基地内に残る海軍遺跡――横須賀鎮守府
Y4-6.旧横須賀工廠の庁舎――CPO下士官クラブ
Y5.横浜製鉄所――横浜につくられた日本初の洋式工場
Y5-1.横浜製鉄所――横浜につくられた日本初の洋式工場
Y5-2-1.横浜製鉄所が残した足跡(1)--洋式機械のイロハを伝授
Y5-2-2.横浜製鉄所が残した足跡(2)--富岡製糸場の鉄水槽を製造
Y5-2-3.横浜製鉄所が残した足跡(3)--わが国初の石鹸工場
Y6.戦艦「三笠」と猿島――日露海戦を勝利に導いた旗艦と要塞の島
Y6-1.戦艦三笠と猿島――日露海戦を勝利に導いた旗艦と要塞の島
Y6-2.猿島――東京湾に浮かぶ要塞
Y6-3.ポートマーケット
Y7.浦賀ドック――世界でも希少遺産の2つのレンガドック
Y7-1.浦賀ドック――世界でも希少遺産の2つのレンガドック
Y7-2.浦賀に作られた2つのドック――浦賀と川間
Y7-3.歴史を物語るレンガづくりドック
Y7-4-1.浦賀はドックの街
Y7-4-2.浦賀はドックの街(2)--浦賀船渠(株)の産業界への貢献
Y7-5.川間ドック--マリーナに残るレンガドック
Y7-6-1.東京湾への入り口を照らす浦賀・燈明堂
Y7-6-2.浦賀・燈明堂と庶民の足・渡船
Y8.観音崎灯台――日本初の洋式灯台
Y8-1.観音崎灯台――日本初の洋式灯台
Y8-2.観音崎灯台――フランス製レンズで光達距離26km
Y8-3.観音崎砲台跡
Y8-4.横須賀美術館・走水神社/包丁塚
Y8-5.明治9年からわき続ける水源地
■以下もご覧いただけるとうれしいです。
横浜の開港と生糸貿易の始まり
1954年、横浜を開港すると、たちまち生糸が注目され、日本産業近代化への貴重な資金源となりました。やがて鉄道が敷設され、横浜の街は欧米の近代文明の流入窓口になりました。
横浜の洋館・建造物
生糸貿易を中心に取引は急速に拡大し、多くの商人が世界から集まり、横浜は貿易の一大集散地に成長しました。そんな商都を支えたのが多くの洋館です。
ものづくり 日本のこころ
――日本のものづくりは、世界の財産である――
ものをつくるということに関して、私たち日本人は世界的にも珍しいこだわりを持っているようです。私たちはなぜこんなにコンパクトで、高品質なものづくりをするようになったのでしょうか? そんな疑問から、私たちがどのようにものづくりに取り組んできたのか、考え方とものづくりへの取り組みの歴史などを振り返ってみたものです。
薬師寺・法隆寺--いまに伝わるものづくりの技
重機も自然科学の知識もなかった1500年も前に、飛鳥の工人たちはどのようにして1000年も持つ寺社を建造できたのでしょうか? いまだになぞとされる飛鳥工人たちのものづくりの知恵を考えてみます。
シナ(チャイナ)文化の特異性
長い歴史と独自の文化で中国は世界から注目される国ですが、歴史の長さと文化の独自性で、分かりにくい国とも言われます。外語大岡田英弘教授の「岡田英弘著作集」を入り口に、中国文化の特異性を見てみましょう。
昭和を切り開いた経営者の逆転する発想
第2次大戦で廃墟と化した日本経済は戦後、力強く立ち上がり、世界も驚く高度成長を実現しました。その原動力になったのは、昭和の時代の経営者たちの発想と行動力でした。彼らの発した言葉を振り返ってみると、常識と反対のいわば「逆転の発想」とでも呼ばれるものが多かったように思います。
それらは、言葉そのものの面白さとともに、その裏にある発想の斬新さや、不屈の精神、成功への執念、生きていることへの讃歌といったものがありました。そしてなにより、どんな逆境になっても笑い飛ばそうという諧謔精神にあふれています。
そんな言葉を集めてみました。疲れて固まった頭に「一撃を食らう」快感を味わってみてください。
1.無理を通せば新しい道理が生まれる
2.石橋を叩けば渡れない。
3.果報は練って待て
4.早い馬にはクセがある
5.尻馬に乗ると落ちやすい
6.快晴は嵐のあとにやってくる
7.小売店は消費者の購買代理店である
エトセトラ
特にテーマを定めず、ふらふらと文をつづったものです。深い意味はありません。
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