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Y7-4-2. 浦賀はドックの街(2)--浦賀船渠(株)の産業界への貢献

      横浜港の観光名所「象の鼻パーク」(手前)と「赤れんが倉庫」
      (向う側)を結ぶ新港橋梁。1912年(大正元年)に作られた。
     設計は大蔵省臨時建築部だが、製作したのは浦賀船渠株式会社。
     しっかりした構造で、関東大震災でもびくともしない。週末にな
     れば、多くの観光客が殺到するが、どんな混雑でも危なげない。

■橋梁の鉄骨製作
造船所といえば、本業は船づくりということになるが、実は、産業の構成要素として、巨大な構造物づくりも造船所が担当する重要な仕事の一つだ。
大きな船づくりは、話題にもなりPR効果としては大きいが、実は造船所の収益構造からみてもなくてはならない事業は鉄骨構造物の製作で、むしろこちらが主流といってもいい。
 
巨大なビルは、鉄筋構造であり、その鉄骨構造物を制作するのは、造船会社はお手の物である。
ドックは造船工場に無くてはならない設備だが、ドックで船をくみ上げる前に、船体の構造をしっかり作り上げなくてはならない。
船は、鉄骨構造を鉄板で覆った構造物なのだ。建設業にとっても、造船所の鉄骨構造物製作技術は重要な要素なのである。
 
事業的にも、造船事業には、鉄骨構造物を作るグループと、船体を組み上げる艤装グループの2つの仕事があるが、この両者を適切に稼働することが必要で、鉄骨製作に比べると、船体の艤装作業は時間がかかる。
 
なので、構造物製作グループが手が空きかねない。造船事業をうまく展開するには、両社の作業量のバランスが重要で、造船所として、どれだけ鉄骨構造物の業務を引き受けられるかが、経営効率を左右するマネジメントの重要課題なのである。
 
浦和ドックは、こうして造船以外にも、ビルの鉄骨構造物や橋梁など巨大鉄骨物を多く手掛けているのだ。
 
近年、地域開発で人気の高い横浜・赤レンガ倉庫。隣接する横浜開港時に作られたふ頭「象の鼻」から赤レンガ倉庫に行くために、橋を渡るが、その際にわたる橋は「新港橋梁」と名付けられているが、実はこの橋梁、浦賀橋梁(株)が1912年(大正元年)に、鉄道が走る鉄橋として製作したものなのである。

製造は1912年(大正元年)浦賀船渠株式会社と銘板がついている。

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