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隔てるもの(RRR)

 2023年2回目の映画はまたしてもRRRだった。初めて観賞した際にもう一度観ると決めていたが、これほど興奮が忘れられない作品はなかった。

 今日(2023/01/13)の映画館は立川のシネマ・ツーだ。極音と言う表示にいまいちピンとこないまま訪れたところ、音の大きさといい、繊細さといい、また新しい点で圧倒された。座席を取り囲むスピーカーの多さや、むき出しというか、音響に力を入れているのは入るとすぐにわかる。
 建物も所謂おしゃれで、観賞前後の心の興奮をリラックスさせてくれる。

 何度も観るとストーリーは概ね頭に入っているため他のところに注意がむく。美味しそうなところをかいつまんでいたのをいつしかそれを全てさらって食べるような感じ。しかしやたら伏線などに気を取られていてはもったいない。なら何を見ればいいのか、残念ながら他言語が分からない僕は字幕を見ている。無念。ニュアンスも日本語からは伝わらない。理解を示す感嘆の声さえ「なるほど」と訳される。

 RRR評論
 隔たりがこの映画の魅力である。初めは暴動と警察官の間、次第にビームとラーマの天地の相違を表すものとして登場する。ラーマが改心するとき、その隔たりはビームの感情によって蜂起した民衆の力で崩れた。そして総督婦人の死として隔たりの行きつく先が示された。
 その隔たりの象徴が有刺鉄線だ。ラーマは有刺鉄線の内側に入り込んだ者。その自覚はビームに鞭打つ時に生まれ、ビームによって蜂起した民衆は隔たりを崩すのであった。そうして、ラーマは隔たりの外でビームの血に触れ、本当の使命を理解する。
 柵やムチなど隔たりを強調する有刺鉄線は、いずれ権力者の首を絞める。総督婦人はラーマに有刺の鞭を打たせたが最後、それに巻かれて死ぬのである。

 世界史で『ラーマーヤナ』を聞いたことがある。この映画は二人の主人公が神話的に扱われるので、インド神話を理解すればもっと深くまでインドに浸ることができる。まさに沐浴である。
 こういうことは僕よりもよく知っている人がいるのでこれ以上の言及はしない。

 また映画館で見たい。ラーマの打つドラムが心臓に響き踊る彼らの息づかいさへ聞こえる熱いナートゥはスマートフォンではあまりにちゃちすぎる。

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