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鈴木大拙「大拙つれづれ草」読売新聞社


鈴木大拙は金沢が生んだ世界的な仏教哲学者。単なる国内研究者ではなく、英語で日本の仏教思想を広く翻訳し、広めたという点で他を圧倒している。キリスト教の素養もあり、仏教を客観的な視点から実に深く観察している。俺が一番面白かったのは「エデンの園」と「自由」に関する考察だった。キリスト教的な思想では必ず一神教の神が存在し、その対象あっての自由であり、幸福ということになるが、そうすると自然と人間の位置は確定される。自由はどこまでも「~からの自由」ということになり、明治時代に大量に輸入された西洋的自由の意味となる。しかし、本来日本にあった自由とは「対象化不可能な自然と一体化した自由であった」というのだ。
我々に常に必要なのは「再発見」である。それは「自然に帰れ」ということにつながる。この自然はネイチャーではない。英語のネイチャーは対象としての自然しか含まれていない。自分の中にある宇宙とつながっている部分のことだ。著者が言う「エデンの園」とはこの「自然の世界=無の世界=ゼロの世界」のことを指している。苦楽善悪にとらわれない次元が「エデンの園」ってわけだ。無になれない人間は自然に帰れない。でも人間は無の世界をもっている。その無に心を向かわせる役割を宗教は負っている。日本語に「おかげさま」という言葉があるが、この対象は特定の人だけをさすのではない。「おかげさま」には無の力への問いかけが含まれている。こういう言葉が英語にはない。日本人としてもっている無の世界へのチャンネルを絶ってはならない。禅や老子に通じる世界であるから論語が好きな人には歓迎されないかもしれないが、ステイーブ・ジョブズが語っていたinner voiceにも通じるものだと思う。ある意味本当のクリエイティブはこういう思考からうまれるんだと思う。

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