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囲碁の起源から日本への伝来

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囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。
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#中国

囲碁は何の道具であったか

囲碁は何の道具であったか

 囲碁は最初からゲームとして誕生したのだろうか。碁盤や碁石について元は天文や易の道具だったのではないかという説がある。天文の研究が進んでいた古代中国では、天文学は帝王の学問とされていた。暦を創ってそれを人々に教える、時を授けるということである。これは日本でも古来、天皇家が暦を創っていたことと共通している。そのため、堯帝や舜帝の囲碁創始伝説とは、現在の囲碁のようなものではなく、天文学を息子に教えたの

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碁盤の大きさの変遷

碁盤の大きさの変遷

 碁盤は当初何路盤であったのであろうか。現在では十九路盤が使用されているが、古代では十七路盤が使用されていたと考えられている。それは多くの文献などから明らかになっている。
 十七路盤が、いつから今のように十九路になったとのか研究家の間でも議論の対象になっている。それは梁の武帝によってではないかという説を京都大学で中国の歴史地理を講じた小川琢治氏(一八七〇~一九四一)が「支那に於ける囲棋の起源と発達

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囲碁の名称「棋」と「弈」

囲碁の名称「棋」と「弈」

 「棋」と「弈」という言葉について少し考えてみようと思う。
 「棋」と「弈」はともに囲碁のことであり、「弈」は「棋」の古語であると中国でも日本でも考えられてきた。さらに「棋」と「棊」は同義であり、「棊」は「棋」の古形である。
 囲碁が登場する最初の文献は孔子の編纂と伝えられる歴史書『春秋』の注釈書『春秋左氏伝』とされているが、ここで使用されている「棊」と「弈」の概念が明確ではなく、これ以降の文献に

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囲碁の日本への伝来① 吉備真備伝来説

囲碁の日本への伝来① 吉備真備伝来説


はじめに

 古代中国で成立した囲碁がいつ日本に伝来したかは、日本囲碁史のみならず中国囲碁史でも重要な問題である。また、伝来の時期だけでなく、そのルートが中国から直接伝来したのか朝鮮半島を経由したのかも重要な問題である。
 中国では六一九年に隋が滅亡し唐が建国される。日本は聖徳太子によって隋へ小野妹子ら遣隋使が派遣されたが、唐に替わってからも引き続き使節を派遣している。遣唐使は六三〇年の第一回か

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囲碁の日本への伝来②

囲碁の日本への伝来②

 囲碁の日本への伝来については、どのようにして持ち込まれ、どのようにして広まっていったのかということも考えなければならない。中国や朝鮮半島から伝わり人々の間で広まっていったとするのは普通の考えだが、まずどこに持ち込まれたかということである。渡来人により最初から一般に広まっていったのか、一部の人達によって遊ばれていたのかということも重要である。一部の人達とするのならば権力の中心にいる人々(朝廷等)で

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囲碁の日本への伝来③ 日本と唐の交流

囲碁の日本への伝来③ 日本と唐の交流


唐の建国と囲碁

 四三九年から一五〇年にも及んだ中国の南北朝時代は、北朝の北周が王室の外戚である楊堅によって滅ぼされ、続いて南朝の陳も滅び終焉を迎える。それにより五八九年に隋王朝が成立し楊堅が皇帝となる。
 楊堅(文帝)は学科試験により官吏を登用する科挙の実施や律令制(刑法・民法等)の整備、州県制などの新しい中央集権体制の確立など、大胆な制度改革に取り組み、その治世は開皇の治と称されている。楊

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