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痕『2023.11.26』

何も無い日に思うことは、特に何も無い。


特に大きな用事があった訳でもなく、外に出なかった訳でもなく、忙しかった訳でもなく、暇過ぎて病んだ訳でもない。

日記を始めてもうすぐ二ヶ月になるが、常に用事があったり、暇さえあれば何かを考えたりしていたりした。
色々な意味で忙しない日常を、必死に日記として書き出していた。

それは、仕事を辞めたという大きな出来事があったからだと思う。


今は十一月下旬。
仕事を辞めてもう二ヶ月だ。仕事を辞めたという話題を眺めるのももう飽きた。

私の周りの人々は、仕事をしなくなった私を受け入れ終わっている。私が辞めた理由が真っ当であることと、終身雇用の時代では無いことを全員が理解していることが理由だと思う。
私も周りの人に説明して、私が直接話せる範囲は伝え終わっている。あの子仕事辞めたんだな、という認識はもう当たり前に変わった。

そして私自身、仕事をしない自分に慣れてきた。
働いていた時に感じられなかった「非日常だと思っていた日常」。家近くの風の凶暴さ、自転車の運動量、土日に家族と出掛けられること、創作の楽しさ。それらは今まで手にしていたのに、仕事をした途端に忘れてしまい、自分の中には無くなっていた物だ。
それを今日まで取り返してきた。大切さにも改めて気付いた。


でもこれで良いのかな。と思った。


次のステップに進まなければいけない。いや、誰かに強制されているのではなく、進みたいと思った。
物書きとしての一歩でもあり、人としての一歩を。

私は二千年生まれ、二十三歳。来年は年女、二十四歳だ。
二十三歳の私の人生は、何回記憶を消したとしても嫌でも残る「痕」だ。でもこれは、消さなくても良いのかもしれない。過去の自分や、これからの自分において、この一年は経験として染み込んでいて欲しいと思うからだ。

この「痕」を、どう生かせるか。
この「痕」を生かして、自分はどう生きていきたいか。
私がもっとも苦手な、自分を見つめなおす、をしなければならない。

過去を振り返ったり、自分はこんな人間でこういう風にありたいと目標立てることが苦手な私。でも苦手など言っていられない。私はもう二十四歳だ。

これからどう生きていこう。
それをどこから考えていけばいいのだろう。


やっぱり私は、いつも何かしらを考えている。

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