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開いて『日記:2024.4.24』

メモ帳を整理して、今まで作ってきた物語を眺めて見た昨日。

今日改めて、未完成の過去作を開いてみた。


今日は母とスーパーに行った。近々従姉妹の家に行くことになり、母が料理を持っていくことになっていて、それの買い出しである。

今年初自転車。疲れはしなかったけど、こんなに力が必要だったかと思うほどに体力不足が顕著に出る。家で最低限の運動をしているだけでは人間として終わってしまうかもしれない。そんな危機感を少しだけ鞄に入れて帰宅した。

お気に入りのドラマを観たり、もうすぐ終わりそうなドラマを観たり、新しく始まるドラマの予告を観たり、私の今日はドラマで満ち溢れていた。

夕食が終わってパソコンを開いた。最近再開した文字起こしをまた始めるのだ。
昨日、30分ドラマを2時間掛けて完了させた身としては、長編ドラマに手を付ける資格がないとビビってしまった。記録には付けなかったけれど、30分ドラマの前に大好きな芸人さんのYouTubeを文字起こししたので、今日も好きなYouTuberの動画を題材にした。


文字起こしをしていて気付くことは、言葉尻の癖である。

作り物を2回、ノンフィクション雑談を2回文字起こししてみて、両方とも登場人物が登場人物である所以、特徴があることに気付く。(もっと前に気付くべきなのかもしれないけれど、ここは成長したと前向きに捉えることにする)。

雑談はともかく、作り物でも喋りの癖が分かりこの人がこの台詞を言っていると名前を書かなくても分かるようになる。

これはとても大切なことだ。

ドラマや映画は、監督の采配やキャストの演技力で左右されるが、基盤が面白くないとまず意味が無い。
ストーリー性、キャラクター性、言葉の選択、掛け合い。小説のように読み物として成立するものではなくて、脚本として面白いもの。それを求めていかなくてはならないのだ。

私はこれを学べただけでも、文字起こしの価値があったと思える。


昔に書いた脚本を開いた。確か高校生くらいだったと思う。

割と書けていた。
書き方の基礎は無くても、物語は面白いと思えた。過去の自分を全くの別人だと捉えて見れていた。

私は過去の自分に常に後悔させないような生活をしたいと言いながら、過去の自分を舐めていたのかもしれない。私は意外と、今の私と変わらない思考なのだ。
基礎や勉強した分の経験は変わるが、自分らしい所は何も変わっていなかった。ほっとした。

過去の作品を見て訂正した。追加した。

楽しい。脚本を書くのはこんなに楽しいことだったか。

ニコニコしながら書いていた私は、連日の文字起こしで少々痛めた右手の親指に触れながら、脚本執筆の楽しみを知った。

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