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私だけが立ち止まる春『日記:2024.3.3』

3月が始まってもう3日経っていた。時の流れは早い。


物書きを目指してから、物書きというのはどうやってなれば良いのかと考えていた。

コンクールでの受賞がきっかけでプロへの道が出来たり、SNSに載せていた物が評価されたり、人によって様々だった。

脚本家は大体コンクール受賞から映画化、プロになるまでのアシストがつくコースが多かった。とにかくコンクールに参加、受賞していくことが最短であり最多だった。

ここ最近、私に足りないものは何だろうとずっと考えていた。何をどう努力すれば良いのか分からなかった。我武者羅に草木を避けて、時にはジャンプをして障害物を超えて、思い朽木をどかしている今も、果たして物書きへの道に繋がっているのか分からなかった。

場数を踏もうと決めたのは、私に経験値が足りないと思ったからである。

2月末に締切が多く、SNSの投稿を1度休止した。こんなことは初めてで、片手間でやっていた訳ではないが、いつもSNSを続けながらコンクールに挑んでいた。
今回の、立て続けに課せられた物語の完成、私は楽しくもあり目が痛くもあった。

その期間は、締切があるコンクールに参加したという経験、物語を人目に浴びせることが出来るくらいの完成度に出来たという経験になった。確実に私の経験値が上がった。

表現というものは、人によって出来上がる。

人が作り、人が評価し、人が好きになる。そうして良さが伝わっていくものだ。

私は今まで、自分の作品を評価してもらうことが無かった。SNSの投稿のような短い物ではなく、きちんと映像として、もしくは書籍として通る物か、という判定だ。

人に評価されることを恐れていたのかもしれない。評価される程の物を作れる気がしないと怯んでいたのかもしれない。
だから経験値をあげず、ただ褒めてもらえるSNSでうにょうにょしていた。


投稿を初めて1年が経つ。もうすぐで新年度と呼ばれる春がやってくる。周りの人達は、何もしなくても出会いと別れを繰り返すし、卒業と開始の合図を待っている。

自分が何かをしないと何も無い春は初めてだった。

それがとても怖くて仕方ない。世界が動いている中で、私はそれをただ見て止まっている。そんな春を想像してしまって怖くなる。

私に足りないものは、経験値だ。それを理解した上で、場数を増やさなければと思った。


だけどもう1つ足りない。覚悟である。

物書きだけではなく、音楽家や俳優、芸人など、自分の好きなことを表現する仕事は覚悟が必要だ。私は幼少期からテレビっ子だったから、俳優や芸人が極貧生活をしながらも耐え抜いていることを知っているし、絶対に夢を叶えてやるという覚悟を持っていることも知っている。

私にはそれが足りないんじゃないか。

覚悟というのは一体なんだろうと、正体不明のモヤモヤが脳内を曇らせる。
将来の展望か、生きるということに対しての考えの甘さか、計画性のなさか。もしくは全部か。

このままではダメだと分かっていても、このままでいられたら良いのにという自分がいて、嫌いだ。

蠢く春がやって来る。
私を置いて、さよならを告げて新しい世界を生み出す人が何人もいる。


普通に戻れたらと考える自分が嫌いだ。普通なんて今まで1度も望んで無かったはずなのに。

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