見出し画像

楽観的人生『2023.11.10』

最近、何かを忘れている気がする。

頭の上にあるメガネとか、クッションの下にあるリモコンとか、差しっぱなしの鍵とか、そんな物体ではなく、もっと、概念的なもの。

今日はそれを思い出した。
私が忘れているのは『目標』だ。


一月から、プロの脚本家になりたいと思って創作を投稿してきた。もう少しで一年が経つ。
だが今は、各SNSに創作を投稿して、長編の小説を考えて、一日が終わる。

小説家になりたくないとか、こんな生活は嫌だとかを思っている訳では無い。だが、自分の中で少しずつ『脚本家』という夢を諦めているのか?とも感じた。


私は、諦めの悪い母親を持っている。
どんなことがあってもめげない。誰かにやってもらえばいいのに、諦めてもいいのに。そんな時でも聞いたり調べたりしてやり遂げる。

私は真逆だ。
その行為が得意な人がいればその人に任せたら良いし、諦めても死なないのであれば諦める。そんな人生だった。

でも脚本家は別で、今までの諦めが早い私を捨てて、新しい自分として『めげない』を強く意識していたと思っていた。

だが最近、小説作りが楽しい。

脚本は初めての書くものだし、分からないことだらけだったから勉強に力を掛けて、自分がやりたい『自分の想像を表現したい』まで追いつく事が出来ていなかった。
でも小説はどうだろう。私の表現の仕方にぴったり合っていて、書くことが楽しいと思えてくる。

これは諦めか、それともこっちが向いているのか。
今の私では何も分からなくて困る。遠回りか近道なのかも自分では判断出来ないし、判断出来る人がそもそも存在しないんだと思う。

一体どうするべきかと考えたが、答えは一つしか無かった。


楽しい方に行く。


私は今の今まで『楽しい』という軸でしか動いたことが無かった。今思い出した。
だから常に目標を設定出来ず、あれも良いなこれも良いなと楽しんで脱線してしまう。たまに目標を思い出して、ああそうだったわと脱線した道からまた目標に向かって歩く。そして脱線する。繰り返しだ。
そしてこの考えを理解出来ない友達に驚かれる。

目標は設定したものの、目標に向かう為の方法を上手く計画出来ないのは、人生を楽しさで決めているからだった。
だから計画的に過ごす友達の考えをまんま真似することは不可能だったのだ。

楽しいを突き詰めれば、目標に向かえるのか?私が思う楽しいについて行けば、行き着く先は私の満足する場所なのか?
今までこの行き方しかしていなくて、他の方法が分からないし実践出来ない。
なら、自分が出来る方法で前に進むしかない。

あれも楽しい、これも楽しい。
今の自分はまさにこれ。だから多分、多分だけど、道は合っているんだと思う。

『楽しい』で行動し、脱線し、その先にあるのが私の目標なのかもしれない。

遠回りが必須になってしまっているけど、見て見ぬふりをしようと思う。

この記事が参加している募集

#今日やったこと

30,894件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?