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努力は必ず報われるか『日記:2024.3.12』

段々暖かくなってきた。
今日もまた、予定通り動かなかった。
でも生きていた。
私はまだ生きたいと思っているらしい。


今日は母が不在だったので、ライブDVDや録り溜めた番組をちょこちょこ観た。やはり好きなことを仕事にした人、人の娯楽を仕事にする人、自分自体が商品の人、努力を見せない人を目の当たりにする度に、自分もそうなりたいと思わされた。

仲の良い芸能人が3人揃ってトークをする番組を観た。

3人とも、自分はもうダメだと思っていた時期があったと言っていた。バイトをしている時やテレビを観ている時、同期や同じ夢を叶えた人達が活躍するのを観て「自分はここにもう行けないんだ」と思っていたらしい。

でも彼らは見事に成功して、自分の業種とはまた違った番組に出て、自らの歴史を語っていた。その姿は本当に素敵だった。俺らは頑張ってきたもんな、と、話せるその姿勢や努力が垣間見えた。


だがこれは、綺麗事に過ぎないと思っている自分がいた。

私達が見れる媒体で、自分のことを話せる人間は確実に成功しているからここにいる。失敗した人、やむを得ず辞めた人の話を聞いたことがない。自分がしくじった話をする番組もたくさんあるが、今成功しているからその話も出来るはず。

辞めようと決めた潔の良い人達は、本当に諦める必要があったのだろうか。まだまだ芽が出ず頑張っている人達の中に、明らかに向いていないことに向かって走っている人がいるだろうか。それを見極めることが出来るのだろうか。

やめた人間と、やめなかった人間。
一体何が違うのだろうか。


努力は必ず報われる。
こんな言葉があるが、この言葉をどう受け取っているだろうか。

私は、誰かが言っていた「時と場合による」が正解だと思っている。

自分が出来る最大限の努力で成功するような夢もあるかもしれないし、どうやっても届かないことだってあると思う。
もしくは、努力をしているつもりでも出来ていない・足りない人がいると思う。

だから、努力は必ず報われるなんて、皆が皆言ってはいけない。小さな努力で報われた経験がある奴しか使ってはいけない。


大学卒業目前に物書きになりたいと思った私。元新聞記者の教授と話す機会があった。

教授は私が創作をしていることを、言わなくても気付いていて「メラメラと燃え上がるような、表現への渇き」「人間という摩訶不思議な生き物への、飽くなき興味」の2つを持っていればいい物が書けると話してくれた。

だが、人一倍の努力が必要だとも話していた。

人一倍の努力?
努力をしたことがない私は分からなかった。

だが今は少し理解出来る所がある。
「努力している状態」は未だに分からない。自分がシナリオや小説を根気強く書いていること、日記を毎日書いて投稿していることを努力とは思えないからだ。

だが「努力をしていない」なら分かる。自分の息
惰な状態になぜだか泣けてくる瞬間は、本当に何もしていない。物書きという夢から離れていく気分にさえなってくる。それは確実に努力していない。

私は「努力していない」空間から抜け出せば良いのだ。そうすれば自然と「努力している」の状態になって、積み重ねれば「努力した」になるはずだ。

私はこういう小さな小さな私にしか見えないハードルしか作れない。しかもそれを越えるかも分からない。


こうしておくことで、明日の私が少しでも楽しく過ごせるようにと思うことにする。

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