Kaoru

2017-18に歩いた北米Pacific Crest Trailの思い出を書きとめてい…

Kaoru

2017-18に歩いた北米Pacific Crest Trailの思い出を書きとめています。

最近の記事

シャワーとオレンジジュース

 送り状の差出人と受取人が同じになる、ということは普段あまりないが、長いハイキングではそういうこともある。  シエラの山中、エジソン・レイクの湖畔にあるヴァーミリオン・ヴァレー・リゾート(VVR)の受付で受け取った荷物(食糧ばかりだ)をいそいそと野外のテーブルのうえに開けて、アローラはいとおしそうに、広げた両腕いっぱいに抱きしめた。 「ぜんぶ、わたしの食べ物!」  涎をたらしそうな顔でおどけてみせる。気持ちはよくわかる。前もって郵便局から自分宛てに送っておいたメール・ドロ

    • 名前のない場所

       ホイットニー山の寄り道から帰り、フォレスター・パスへむかうトレイルを歩いていた僕たちは、とつぜん、開けた場所にでた。  雪をたたえたシエラの山々を背景に、池があった。鏡のような水面が、空を映していた。  ティンとスーザン、それからホリィが、水際まで歩いていった。僕は突っ立ったまま、その景色に見入っていた。前日に見たホイットニー山からの景色に比べてしまえば、際立った眺望があるわけではなかったが、晴れた空の下に、静けさが満ちていた。  祝福されているような、平和で、透きとおっ

      • ドント・ラン

         ――Don’t run!!  はるか後ろで、ティンが叫ぶのが聞こえる。  スピードを落とそうか? でもそれは無理な相談だ。僕はいま、ウォーキング・ハイなのだから…。  この瞬間、そしてまた次の一瞬、地形に対してどう対応するのか、最善のやり方はこの体が知っていた。そして心と体はいっせいに声をあわせて、駆け抜けろ!と僕に命令している。  みんなにはあとで謝ろう。と言い訳。そしてウォーカー・パスに至る林のなかをどこまでも駆けおりた。自分が一匹のいきものであることを思いきり味わって

        • ハットクリーク・リムの1日

           人間の背よりは大きいとはいえ、若木ばかりの松林に入ると、まるでミニチュアの国に迷い込んだような気分になる。  小さいころあそんでいたレゴブロックでは、樹木は人形に対してこんなサイズだった気がする。松の木の他に灌木がぼこぼこと散らばっているばかりの、だだっ広く起伏のない大地はそれでなくても、これまで自分が培ってきたスケール感というものをゆさぶってくる。  山火事で燃えたあとのトレイルは何度も目にしてきたが、はっきりと再生しつつある林を歩いたことは、多分なかった。それぞれが

        シャワーとオレンジジュース

          ソノラ・パスのキャンプ

           日暮れが近づくと、ハイカーたちは落ち着かない気分になる。キャンプのことを考えなくてはならないからだ。水場の情報源であるウォーター・レポートをたしかめたり、アプリにダウンロードしてある地図を開いて、この先のキャンプ適地までの距離を見て、今日はじゅうぶん歩けたのか、もう少し速足にして、あと3,4マイル、最後の追い込みをかけようか・・・いろいろなことを考える。  シエラの北部を歩いていた僕はひとりだったから、いくつもテントを張れるような広い場所までがんばったり、みんなの水事情など

          ソノラ・パスのキャンプ

          アイス・アックスのこと

           部屋の押し入れの奥に、カンプの赤いアイス・アックスが眠っている。帰国していらい、雪山に行くこともないので箪笥の肥やしにしているのだが、これはシエラで立ち寄った町のアウトフィッターでもとめたものだ。  トレイルで雪に遭遇したハイカーたちは、次々にアイス・アックスを装備に加えていった。  はじめ、使い方も知らない道具に頼って行動するのはいかがなものかと思っていた僕は持たずにいたが、危なそうな峠越えが続く核心部に突入するときに、仲間たちから説得されるうちに心配になって買ったしろも

          アイス・アックスのこと

          エクストラ・フード

           残雪の多い年だった。前年の冬の記録的降雪は、7月になっても高山のトレイルを覆い隠したままで、僕は標準よりも一か月遅れでメキシコ国境をスタートしたにもかかわらず、シエラ・ネバダでは毎日雪の上を歩いた。  夏を迎えたカリフォルニアの強烈な日差しのなかで雪は溶けつづけ、増水した川では連日危険な渡渉をする羽目にもなった。  だが、もし5月ではなくセオリー通りに4月にこの旅をはじめていたら、シエラではさらに多くの雪と水に阻まれていたのだろう。  雪解けは落雷にも関係しているのかもしれ

          エクストラ・フード

          シザーズ・クロッシングへ

           5月終わりのカリフォルニア南部の乾燥と容赦のない暑さは、日本の気候になれた自分にとって、初めて経験するものだった。  日中歩いていると、口の中や喉の奥のほうがカラカラに干からびて貼りついたようになってくるので、定期的に水を含み、湿らせなくてはいけなかった。  渇きもあるが、そうやって限られた水をどんどん使わなければならないことは不安だった。  吐く一息ごとに、体のなかから水分が失われていくのがわかる。口元が覆われているといくらか楽になるので、体が慣れるまで数日間は、ギャング

          シザーズ・クロッシングへ

          モハヴェ砂漠

           『メイベル男爵のバックパッキング教書』という本の中で、田渕義雄はデザート・トレッキングにふれて、「“星の王子様”の舞台はどうして砂漠だったんだろう。」と書いている。「しかしデザートには何かがある。ほんとうの太陽の光、星と月と、そしてどこまでもつづく太古からの大地の広がりがある」と文章は続く。  砂漠を歩くことには憧れがあった。PCTを歩くと決めたとき、本当は通る場所についてあまり調べていなかった。それでも砂漠のセクションがあるということは知っていて、名高いシエラよりも何よ

          モハヴェ砂漠

          小川にて

           水に関する思い出はたくさんある。  南カリフォルニアを歩いて、水にたいする認識は根本的に変わってしまったといってもいい。乾燥地帯で水を飲んだときの満足感は、他のどんなものとも違っているのだと思う。  ようやくたどり着いた小さな沢の、藻が紛れ込んで少し緑がかった水も、羽虫が浮かんだウォーター・タブの水も、岩肌から染み出すかすかな水の筋も、どれもこの上なくうれしかった。  シエラ・ネバダの水が豊富な場所では、乾燥地帯にあったような幸せを味わえないことを、贅沢だとは知りながら、

          シンプル

           シンプルはアメリカへきて、初めてできた友達だ。  彼とはボブの家で会った。僕よりすこし年上、40歳ぐらいだろうか。澄んだトパーズ色の目、大きな体、無精ひげ。明るく話好きで、ハイキングの経験も豊富らしく、ハイカー・ホストの家での振る舞い方もよく心得ていて、あっという間に輪の中心になった。英語が下手な自分にも構わず話しを振ってくれたから、僕も疎外感を味わわずに済んだのだと思う。  気楽にしているようで、周りのこともよく見ている人だった。おしゃべりで豪快で、同時に面倒見のよい親切

          シンプル

          ボブの家

           飛行機はサンディエゴ国際空港へと到着した。  ハイカー・ホストのボブにピックアップしてもらい、着いた丘の上の自宅には、もう五人ほどのハイカーがいて、広いリビングや庭のプールサイドで過ごしている。僕よりずっと若い人がほとんどでも、中には2度目のPCTだという五十代とおぼしきハイカーもいる。  煉瓦づくりのおおきな暖炉の脇には、必要なページだけ取られて半分の厚みになったヨギのガイドブックが山積みになっている。自分は2階の、物置部屋に2泊した。隣には古いフレームパックやソフトパ

          このnoteについて

           2017年と18年に、メキシコ国境からカナダ国境まで、アメリカ本土の西海岸をつらぬく自然歩道であるPacific Crest Trail (PCT)を歩きました。  そのときのことはこれまで何度かイベント等でお伝えする機会もありましたが、6年以上が経ちすっかりハイキングから離れて生活するなかで、PCTでの思い出を、いま改めて振り返ってみたいという思いがあります。  記憶の中にある道や、出会った人々のこと、いま思うことを、順序は関係なく気の向くまま書き留めていくつもりです。

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