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シンプル

 シンプルはアメリカへきて、初めてできた友達だ。
 彼とはボブの家で会った。僕よりすこし年上、40歳ぐらいだろうか。澄んだトパーズ色の目、大きな体、無精ひげ。明るく話好きで、ハイキングの経験も豊富らしく、ハイカー・ホストの家での振る舞い方もよく心得ていて、あっという間に輪の中心になった。英語が下手な自分にも構わず話しを振ってくれたから、僕も疎外感を味わわずに済んだのだと思う。
 気楽にしているようで、周りのこともよく見ている人だった。おしゃべりで豪快で、同時に面倒見のよい親切さがあった。
 僕に、リンキンという最初のトレイル・ネームをつけたのも彼だ。
 出発の前日にサンディエゴのグロサリーに買い出しに行ったとき、店の前の駐車場で、僕の前を歩いていたシンプルが何かを拾いあげて、渡してきた。リンカーン大統領の横顔が刻印された1セント硬貨だった。
「トレイル・ネームが決まったぞ。お前はリンキン(リンカーン)だ。」
 と彼は言った。名前をつけるチャンスを狙っていたのだろう。

 だから、旅のはじめのころに出会ったハイカーたちは、僕のことをそう呼ぶ。
 しばらくして、僕はカヨリ(コヨーテ)という名前をつけられて、そちらを使うようになったけれど、道すがら、再会したハイカーがリンキンと呼んでくれると、歩き始めたころの自分に再会したような気がしてうれしかった。

 出発の朝。メキシコとの国境のすぐ隣に建つサウザン・ターミナスから、僕たちはケイトリン、チャロ、ボウイというハイカーと一緒に歩きはじめた。
 1時間もするとチャロとボウイはだんだん遅れていった。紅一点のケイトリンはすごく速くて、ちょっとずつ待ってくれているようだったけれど、それでもそのうちに引き離されてしまった。
 僕はその日シンプルと一緒に歩いた。そして、レイク・モレナというリゾートへたどり着きそうだったその日の終わりに、ほんの少しの行き違いで、はぐれてしまった。
 この年4か月間歩いた中の、それがたった1日のことだったのを不思議に思う。シンプルはこの旅をとおして、僕にとってずっと大事な存在であり続けた。
 初めてできた仲間だったからだろうか?
 たぶん、シンプルは僕を、PCTという未知の世界に迎え入れてくれたのだ。

 シンプルと過ごすあいだ、いろんなことを学んだ。休憩を取るペース。追い抜いていくハイカーとの、まるで旧知の仲かご近所同士のようなおしゃべり。「最初の10日間はつらいぞ」というのが彼からの忠告だった。
 袋から出したままのマルチャン・ラーメンにピーナッツバターを塗ってスナック代わりにするのは、参考にしなかった。そんな食べ方をするハイカーには、その後会うこともなかった。

 南の国境からまだ近く、灌木の中を走るトレイルは、ベージュ色のさらさらとした砂をわけて光るなだらかな白いすじだ。どこまでも青く抜けた空。シンプルの着古したシャツは、色あせて優しい菜の花の色だった。思い出すそのひとつひとつが、懐かしい南カリフォルニアの色彩だ。
 日差しの照りつける平べったい大きな岩の上に並んで休みながら、彼のトレイル・ネームの由来について訊いた。
「シンプルなものが好きだからだよ。」
 そう言いながら見せてくれたハットのつばの裏には、黒マジックでおおきくsimpleと書いてあった。
 その名前を自分から名乗ったのか、誰かからもらったものなのかはわからない。


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