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エクストラ・フード

 残雪の多い年だった。前年の冬の記録的降雪は、7月になっても高山のトレイルを覆い隠したままで、僕は標準よりも一か月遅れでメキシコ国境をスタートしたにもかかわらず、シエラ・ネバダでは毎日雪の上を歩いた。
 夏を迎えたカリフォルニアの強烈な日差しのなかで雪は溶けつづけ、増水した川では連日危険な渡渉をする羽目にもなった。
 だが、もし5月ではなくセオリー通りに4月にこの旅をはじめていたら、シエラではさらに多くの雪と水に阻まれていたのだろう。
 雪解けは落雷にも関係しているのかもしれない。2017年は山火事も多発し、スルーハイカーたちは矜持と苦笑いを半々に、自分の歩いたこの年を“The year of ICE and FIRE(氷と炎)”と名付けた。
 気候変動の影響があることは、容易に想像できる。毎年帰国してくるハイカーの話を聞いていても、PCTでは毎年、何かしら困難がある。

 クロークというハイカーに初めて会った場所は正確に覚えていないが、2度目に会ったのは、シエラ・ネバダ山脈のセクションの中でも山深いエリアだった。連日、峠越えを繰り返すハイカーたちはフードバックの食料がだんだん減っていくのを心細く感じながら、思うようにすすめない雪道にあえいでいた。
 クロークはまだ二十歳前というオーストラリア人で、クロコダイルに噛まれたことがあるというインパクトのある自己紹介のとおり、怖いもの知らずな雰囲気をもった活発な印象の青年だったが、シエラの山中で再会した彼はあきらかに疲れきった様子で、一緒の若いハイカーとならんで、トレイルの脇に座りこんでいた。
 峠を下った後にあらわれた平地で、土色の草の塊がもしゃもしゃと点在しているほかに木はまばらで、あたりには白っぽい岩が寒々しく露出していた。
 日没までもうひと頑張りしようと考えていたところ、彼らの姿が目に入ってきた。
 その様子に少し心配になりながら、「調子はどう?」というお決まりの挨拶をすると、「腹が減ったよ。」と、弱々しく笑っていた。
 この場所で、食糧が少ないことの心細さを、僕も痛いほどわかっていた。もしも体調が悪いとしたら、なおのことだろう。
 何かわけられるものがなかったかと、バックパックを下ろしてフードバッグの中を探した。僕とて食糧は余分にあるとはいえなかったが、それでも小さなクラッカーが1ダースほど入った包みと、いくつか、小分けのチューブ入りの蜂蜜があった。1食分にも足りないが、少し元気になってくれたらいいと思って、「ホントに少しだけど・・・」と手渡した。
 クロークはにっこりと笑って、ありがとう、ちょっと待って、と言うと、受け取ったクラッカーの包みを開いて2枚取り出し、蜂蜜をサンドして僕に差しだした。
 感謝の気持ちの表現として、受け取ったものからその一部を返す、その行為の自然さに僕は驚くとともに、感動をおぼえた。
 お礼を言って、クラッカーをほおばった。体調のことを聞くと、大丈夫だと言った。

 気がかりはあったが、仲間といることに安心もして、僕は一人、先へ進んだ。
 ところが、しばらく歩いて、ふと立ち止まった。
 僕はいつも1食分を予備として、切り詰めた食糧計画のなかにもそれを残していた。本当は、そのことに気づいていたからだ。
 あるのを知りつつはじめから、シェアできるものから除外していた。それはずるいことのように思えた。

 でも、確かな行程が見通せない雪のトレイルを歩くなか、最後の保険に手を出していいのかと決めかねて、結局、引き返すことはせずに先へと進んだ。
 町へたどり着いたとき、フードバッグの中にはエクストラ・フードのマッシュポテトがひとつ残っていた。

 あのときどうするのが正しかったのか、今もはっきりとはわからない。
 ただ引き返さなかったことの悔しさが、残雪のシエラの思い出のなかに苦く残っている。

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