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ソノラ・パスのキャンプ

 日暮れが近づくと、ハイカーたちは落ち着かない気分になる。キャンプのことを考えなくてはならないからだ。水場の情報源であるウォーター・レポートをたしかめたり、アプリにダウンロードしてある地図を開いて、この先のキャンプ適地までの距離を見て、今日はじゅうぶん歩けたのか、もう少し速足にして、あと3,4マイル、最後の追い込みをかけようか・・・いろいろなことを考える。
 シエラの北部を歩いていた僕はひとりだったから、いくつもテントを張れるような広い場所までがんばったり、みんなの水事情などに気をくばる必要はなかった。それでも、その日のうちに抜けられると思っていたソノラ・パスを越えられないまま、だらだらと続くトレイルを歩いていることは、少し無計画だったには違いない。
 まばらだった針葉樹の木立もいつしか遠のき、進めば進むほど、あたりは荒涼とした高地の様相に変わった。それは峠が近いことを意味していたが、日暮れまでに到達できる見込みはなかった。
 トレイルはごつごつと赤黒い火山性の岩山の斜面や谷の上を延々と続き、どうしたものか思案しつつ歩いていたが、ふと平場が目に入ると、もう今日はここでいいや、とバックパックをおろした。
 まわり全部を囲まれた、浅い鍋かクレーターの内側みたいな場所で、なだらかな鍋肌の真ん中ぐらいをトレイルが横切っている。少しのぼったあたりにキャンプしやすそうな場所があった。雪がそこらじゅうにこびりついて、鍋底にたまった雪の表面は、半透明に青く凍りついていた。

 歩き始めて、2か月が過ぎていた。
 ハイキングはもう新鮮なものではなくなっていた。仲間を離れ、一人になってからというもの、思うように進めないシエラのセクションに苛立っていた。歩く意欲がわいてこない自分に対して、失望も感じていた。
 どうして歩いてるんだろう。そんな思いに沈んでいると、美しいはずの景色も心に響かず、歩いていける自由さも忘れてしまったようだった。でも、やめるにはまだ早すぎるとも思っていた。

 ツェルトの隣にすわって、岩のうえに見える空を眺めた。すでに空からは昼の青さがうすれ、夜がおとずれる前の、白っぽく抜けた色をしている。ハイカーは誰もやってこない。適地のすくないこんな場所に入りこむ前に、みんなとっくに快適なキャンプ地をみつけて休んでいるのかもしれない。

 持っている水が少ないことには気づいていた。
 夕飯を水なしで済ませても、この乾燥した高所では夜のあいだ、少しずつ飲んでいなければつらいだろうから、ボトルの水はほんとうにぎりぎりだった。だんだん水が空になっていくことを考えると心配だったが、もう受けいれて、今夜はここで過ごすことに決めた。でも、いざとなったら、凍った雪を掻いて融かすことだって、できるかもしれない。

 岩肌が逆光の中で黒い影になり、雲が輝きはじめた。外には、もうすばらしい夕焼けが始まっているにちがいない。
 流れてきた雲がだんだん髑髏のかたちになって、ぽっかりとあいた眼窩がこのキャンプをじっと見下ろした。僕は心の中に薄暗い不安が広がっていくのを感じて目を背けた。やがてその雲も流れさっていった。
 見上げればもう深い夜の色あいが、空の真上から降りかかってきていた。

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