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ボブの家


 飛行機はサンディエゴ国際空港へと到着した。
 ハイカー・ホストのボブにピックアップしてもらい、着いた丘の上の自宅には、もう五人ほどのハイカーがいて、広いリビングや庭のプールサイドで過ごしている。僕よりずっと若い人がほとんどでも、中には2度目のPCTだという五十代とおぼしきハイカーもいる。

 煉瓦づくりのおおきな暖炉の脇には、データが載っている部分だけ剝ぎ取られて半分の厚みになったヨギのガイドブックが山積みになっている。自分は2階の、物置部屋に2泊した。隣には古いフレームパックやソフトパックが置かれていた。
 おなかの突き出た、いかにもコロッとしたおじさん体形のボブだが、動きはきびきびとして、とても身軽に見える。ショートパンツ、ホワイトソックスに履いたスニーカーがよく似合う彼を見ていると、アメリカ人がアウトドアを愛している、その愛し方がなんとなく伝わってくるような気がした。
 2匹のおおきな犬―――名前は忘れてしまった。たぶん、ゴールデンレトリーバーとマスティフ。
 悠々として、要領のよさそうなレトリーバーに比べて、マスティフのほうはリビングのものを散らかしたり、癇癪を起こしたりして、ボブに怒られていた。気が弱く不器用そうに見える彼は、なんとなくさみしそうな目をしていて、はじめてのアメリカで心細い気持ちだった僕は彼にたいして妙な親近感を感じた。

 サウザン・ターミナスへ送ってもらう前夜、なかなか眠れなかった。焦燥感で頭がいっぱいで、胸が苦しくて、じっとしていられない。心に不安があるとき、いつもそうなる。
 気が昂っているのはみんなも同じだろう。僕はやっと眠れたころかもしれないほかのハイカーを起こさないようにそっと階段を下りて、気分が落ち着くまで、リビングで過ごすことにした。

 広々としたリビングに、プールつきの庭に面したガラス戸から冴え冴えと月が照らして、青白い床の上に窓枠の十字とアイランドキッチンの長い影が伸びていた。
 ソファーにはレトリーバーが丸くなって眠っていた。
 その隣に腰をおろした。彼はいちど頭をもたげたが、気に留めないふうにまた目を閉じた。しばらくして、月夜に誘われたように、窓の外をじっと見つめながらマスティフがやってきて、離れた床の上に体を横たえた。
 ひんやりとして心地よいリビングの空気と夜の静けさを感じながら、眠るでもなしにただソファに体を預けていると、だんだんと気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
 僕は彼らがここにいてくれることに感謝しながら、しばらくの間、月明りのなかで過ごした。


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